第38話 ファン

「カメラのフラッシュだ!」

 きっと最初の目的は桜井くんを写すことだったに違いない。しかしSNS上で話題になっているピッチャーの玉井くんがここまでの選手だったことにバックネット裏に陣取っている観客らは、掘り出し物を見付けた気分で玉井くんにもシャッターを切り始めた。

 投げるたびに焚かれるフラッシュに玉井くんは目を背けることで対応しようとしているのだ。今の暴投は、ベンチから桜井くんがグラウンドに出て来たことで注目がそっちに行くと踏んで前を見て投げたが、そうはならず無情にもフラッシュは玉井くんを襲った。その結果、暴投になった。皮肉にも投球練習の剛速球が観客の注目を引き付けて離さなくなってしまったのだと思う。だから玉井くんは二球目からまた余所見をするような投法に戻すしかなかった。そのため制球は乱れたまま三番バッターはフルカウントの末、フォアボールを選んだ。

 走者を、一二塁において次の四番バッターはいよいよ桜井くんだ。

 桜井くんが打席に立つと声援とフラッシュが倍増する。このフラッシュを背にしている桜井くんと対戦するのはあまりにも不公平な気がする。

 それでも玉井くんは、桜井くんに一球目を投じて行く。すごい数のフラッシュの明滅が玉井くんを襲う。

 このときぼくは、信じられない光景を目撃してしまった。ぼくは思わず前に踏み出していた。それと同時に快音が轟く。

 桜井くんの打った鋭い打球は、ぼくの目が振り返って追いついたときは既に外野のフェンスを越えて行ったあとだった。

 一瞬の間をおいて三塁側ベンチと観客席の歓喜が爆発する。

 こんなに鋭い打球のホームランをぼくは初めて見た。とても小学生が打った打球とは思えない。

 桜井くんの凄いホームランに魅了されている場合じゃなかった、観客のフラッシュが玉井くんの投球を襲う瞬間、ぼくが見たものが思ったとおりなら、これはあまりにも酷い。ぼくは我慢ができなくなって外野からピッチャーマウンドに向かって走って行った。

 得点ボードに、さっきまで守備に就いていた一軍の控え選手が、白いチョークで三の数字を書き込んでいる。ぼくは余計に腹立たしくなる。

「玉井くん、ぼく見たんだよ!」

「どうしたんだよ、カミちゃん」

 玉井くんは、ほとんど汗を掻いていない涼しい顔でぼくのことを見返した。カメラのフラッシュのせいで本来の投球ができなくて、あんな投げ方を強いられていると言うのに、どうして玉井くんはいつもと変わらないテンションでいられるんだ。キャッチャーの高橋くんが慌ててタイムを要求して駆け寄ってくる。

「カメラのフラッシュのせいで投げにくいんでしょ。だから前を見ないで投げているんだよね」

 玉井くんはグローブで口を隠した。

「外野から、それが解ったんだ。さすがカミちゃんの観察力はすげえな」

「何言っているんだよ玉井くん、あのフラッシュはワザとだよ。ぼく見たんだ、一番手前に座っている人が手を挙げて、合図を出しているんだ。あんなの反則だよ。ぼくはてっきり玉井くんのファンになってシャッターを切っているのかと思ってたよ」

 マウンドにはいつの間にか、桃二のメンバーが全員集まっていた。話しながら興奮していたぼくは、心の片隅でみんなの前でこんなに声を荒げるのは初めてだと言うことにも気付いていて、恥ずかしい気持ちと桜井ファンの妨害行為に対する怒りが入り混じって半ば歯止めが利かなくなっていた。

「今のホームランは無効だよ。ぼく監督に抗議してくるよ」

 ぼくは止められても行く覚悟で、目の前にいる玉井くんと高橋くんを避けて行こうとした。

「カミちゃん、そんなことはとっくに解ってるんだよ」イッちゃんが言った。

「えっ」ぼくは玉井君に振り返った。

 イッちゃん、ヨッぴん、穂刈くん、湯田くん、高橋くん。内野陣は全員、相手の妨害行為はとうに承知の上だったのだ。みんな玉井くんと同じような冷めた顔付きをしている。

「何で知ってて、じゃあどうして……」

「これがアウェーで試合をするってことなんだろ」

 またイッちゃんが言った。ちょっと寂しそうな顔をしている。それはきっと、これでも戦うと決意した玉井くんの側にいて、実際には何もしてあげることができない無力さが、もどかしくてそんな顔になっているのかも知れない。

「カミちゃん、せっかく試合をやってんだからさ、抗議なんかして試合がブチ壊しになるのだけは、止めとこうぜ」

「でもこれじゃあ……」ここまで覚悟しているならぼくに抵抗する術はない。

「なんだよ、カミちゃん。このままじゃ俺たちが負けると思ってんのかよ」

 湯田くんが穂刈くんの肩をつかんで前に出てきた。

「カミちゃん、得点差はまだ十二点もあるんだぜ」

 ヨッぴんが言う。そして玉井くんがグローブで口を隠したままみんなに顔を寄せた。

「みんなが稼いでくれた得点は無駄にしねえ。こんなアウェーの洗礼、今に跳ね返してやるから。少しのあいだ守備の方を頼む。俺は絶対に負けないから」

 ぼくは胸が苦しくなった。みんなと一緒に野球がでてき、今ほど嬉しいと思ったことはない。


 そのあとも一軍レギュラーの猛攻はしばらく続いた。ぼくらのように打者一巡とまでは行かなかったけど、一回の裏で六点を献上することになった。

「ジーマン、お前何とかしろよ」

 この試合が始まる前、石神くんは隠しごとが発覚して、みんなに下半身を剥き出しにされる羽目になった。石神くんはそれでも自分の下半身を自慢したものだから、このときから石神くんのあだ名は「自慢男のジーマン」になってしまっていた。

「何がだよ、イッちゃん」

 イッちゃんの眉毛がピクリと反応する。あんなに横柄だった石神くんが「イッちゃん」と呼び始めることにはさすがに気持ちが悪い。ジーマンとあだ名を付けられたことで本人はぼくらに受け入れられたと思っているのかも知れない。

「観客席のフラッシュだよ。あれ何とかなんねえのかよ」

 玉井くんはブルペンで投球練習をしている。

「何だよ。お前たち写真撮られることに緊張してんのか、俺なんかなぁ……」

「こいつに言った俺が馬鹿だったな」イッちゃんが肩を竦める。

「あっ桜井くんがこっちに来るよ」

 桜井くんはファーストの守備位置にいた。練習のパス回しが終わると、一塁側のぼくたちのベンチに小走りで駆け寄ってくる。オーラが凄い。彼はイッちゃんに真っ直ぐ向かってきた。

「キャプテンの君、玉井くんは噂通りの凄いピッチャーだね。ぼくも本気を出さなきゃ打てなかったよ。彼はこれからも成長する。今はまだ制球に問題があるみたいだけど、見込みがあるよ。ぜひうちのチームに正式に入るべきだと思うんだ、君から誘ってあげてくれないかな」

 ぼくたちが呆然として返事もできなかったのは決して、桜井くんのオーラに圧倒されたと言うわけじゃない。それでも桜井くんは相手が緊張して返事もできない状況になるのは慣れているようで「じゃあまた」と言い残して再び小走りで自分の守備位置へと戻って行った。

「試合中に勧誘しやがって、あいつ馬鹿なのかな」と湯田くんが呟くように言った。

「桜井は偉大な奴だよ」ジーマンが誇らしげに言う。

「こいつは偉大な馬鹿だな」

 と穂刈くんが石神くんには気付かれないように指さして言ったのが、ぼくは可笑しくて笑いを堪えるのが大変だった。

「今の桜井の口ぶりだと、玉井チンが自分のファンに困らされてるの知らねえみたいだな」ミッチャが桜井くんの背中を見ながら言う。

 一塁側の観客席は桜井くんのファンが集まってきてキャーキャーと騒いでいる。桜井くんは声援に応えるように片手を上げて見せた。まるでアイドル歌手みたいだ。

「案外さぁ、どこに行ってもこの調子で本当はたいしたことなかったりしてな」

 勇内太州くんが言った。

「いや、そうだとしても、さっきのホームランは凄かったぜ。あのスイングスピードには、正直度肝を抜かれた」

 投球練習を切り上げてベンチに戻ってきた高橋くんが会話に入ってきた。キャッチャー目線の感想は説得力がある。確かにあの弾丸ライナーは見たこともない速さだった。ボールに対して生き物みたいな強い意志を感じるのは、玉井くんの全力投球でしか感じたことがなかったのに、まさか打球を見ても感じるなんて驚きだった。

「玉井チンこのアウェー、攻略できそうかよ」湯田くんが言った。

 玉井くんは黙ったままコクリと頷く。

 その隣で石神くんが首を傾げていた。

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