第36話 コールドゲーム?

 グラウンドでは、金属バットの快音が何度も鳴り響いた。四番のヨッぴんも当然のようにホームランを打った。

 監督の目には信じられない光景が次々と起こっているに違いない。打者が一巡して先頭バッターに戻って湯田くんがこの回、二度目のバッターボックスに立ったときぼっくたちは七点を奪っていた。アウトになったのは玉井くんと高橋くんだけだ。一塁側ベンチは盛り上がりっぱなしだったけど三塁側のベンチはいつの間にか静かになっている。

 それでもフレンダーズの猛攻はまだ終わらない。

 湯田くんは二遊間を抜ける痛烈なヒットを打ち、ぼくは三遊間を突破するヒット、そしてイッちゃんもセンター前ヒットを放ち、満塁になったところで、ヨッぴんが二打席連続のしかも満塁ホームランを打った。

 これで四点を追加して得点は十一点になった。

「十五点でコールドだったよな」穂刈くんが石神くんに言った。

「このルールって一軍がさっさと十五点を先に取って試合を終わらせるつもりだったんだろ」

 同じチームの一軍と二軍に別れての練習試合とはいえ、ひとり敵チームにいる石神くんは、ぼくたちが打ちまくるのを見てさぞ複雑な気分だったに違いない。このチームの監督は自分の父親でもあるのだから。

 石神くんは穂刈くんの言葉に黙って頷いてから言い出した。

「親父はこの試合乗り気じゃなかったんだ。だってそうだろ、うちはリトルリーグでも強豪のチームだ。もうすぐ世界選抜から声が掛かろうかっていうスーパースターの桜井もいるんだぜ。それがどうしてお前らみたいな素人集団の野球チームと試合をしなくちゃならないんだよ。公式戦だって近いのに、そんなに暇じゃねえっつんだよ」

「ならどうして試合することを認めてくれだんだ。あんな強面でも息子の言うことなら何でも聞いてくれる親馬鹿だってことか?」

 腫れぼったい目蓋を無理に開けるようにして目を見開いた石神くんは、少し怒ったように見えた。

「親馬鹿だったら俺はとっくにレギュラーに入っているよ。親父は野球のことに関しては私情を挟まない」

「じゃあなんでだよ」話を聞いていた玉井くんが割って入ってきた。

 打順が回ってきた穂刈くんはバットを持ってベンチから出て行く。

「桜井だよ。俺が桜井に玉井のことを話しだんだ。俺が監督に言うよりも桜井が言った方が説得力があるからな」

 話している間にも打順はどんどん回って打線は尚も繋がっていく。ミッチャがスリーランホームランを打ち。初ヒットを記録した高橋くんも生還する。十四点目のホームベースをミッチャが踏んだ。

 そして次のバッターの勇内太州くんは意表を突くスクイズを敢行する。さすがにこれは失敗に思われた。三塁手がダッシュしてファールライン際を転がる球を掴んだとき、勇内太州くんはまだ一塁ベースに程遠かったからだ。これでようやくチェンジになるとみんなが思った。ところが一塁手がボールを取り損ねてセーフになってしまう。それどころかベースを駆け抜けた勇内太州くんはそのままセカンドに向かって走り出した。

 エラーした一塁手は慌てて二塁に送球したが、これがとんでもない悪送球になってレフトとセンターのあいだに飛んで行った。

「ウホーッ」

 勇内太州くんは尚も走り続ける。セカンドベースを迷わず蹴った。凄い!スクイズで三塁に行ってしまうなんて。

「あいつ行くつもりだ」石神くんが言った。

 三塁側のコーチャーズボックスに入っているイッちゃんのストップの合図はまるで相手にされていない。

 勇内太州くんは三塁手にタックルするような勢いで突進して行く。彼はどこまでも破天荒だ。この期に及んで笑っている。勇内太州くんの気迫に三塁手はボールをバックホームするように合図を送っている。

 きっと勇内太州くんは最初から走り切るつもりだったに違いない。もしかしたら勇内太州くんは野球のルールを知らないのかも。

 レフトからの返球がホームに届くのとベッドスライディングした勇内太州くんがホームに滑り込むのはほとんど同時に見えた。

「セーフッ」

 十五点目が入ってしまった。一塁ベンチが湧き上がる。胸を泥だらけにした勇内太州くんが、みんなにハイタッチで迎えられる。まるでサヨナラホームランでも打ったかのような騒ぎになった。

「お前ら、はしゃぎ過ぎだ。対戦相手に対する敬意ってもんがねえのかよ、まったく」

「石神、お前なら解ってると思うけどよ、この裏の回の攻撃、控え選手のままじゃ、間違いなくコールドが成立するぞ」

 穂刈くんの言った通りだ、フィードにいる一軍の控え選手の面々は、桃三の試合に間切れて、玉井くんと何度か対戦している。彼らはスタミナが切れる前の玉井くんからヒットを打ったことは一度もない。

次のバッターの玉井くんがセカンドゴロでアウトになった。

やっとチェンジになって、ようやく一回表の攻撃が終わった。

「そんなことは解ってるよ」

 石神くんがベンチから出て行って、監督のもとへと走って行く。監督のもとへ走ったのは石神くんだけじゃなかった。一塁ベンチからもレギュラー陣の何人かが監督のもとへ駆けて行くのが見える。さすがにこのまま見ているわけには行かないと思ったのだろう。

 一回裏で一軍チームが一点も得点できなかった場合、その時点でコールドになる。皮肉にも監督自身が作ったルールで一軍チームは二軍チームにたったの一回でコールド負けるになるのだ。

「でも、あの監督、首振ってないか?」

 ファーストミットをひさしにして湯田くんが背伸びをしている。

「おっ石神のやつ、戻ってきたぜ」

 石神くんが渋い顔をして戻ってくる。その顔で結果は察しがついた。

「だめだ、うちの親父、意固地になってやがる。玉井、俺の親父の目を覚ましてやってくれ」

「俺たちが打撃だけのチームだと思ってんのかな」

 湯田くんがグローブで口元を隠しながら言った。

「だけどあんまり意固地になり過ぎて、コールドで終わったりしねえかな。俺は桜井が空振り三振するのを見に来たんだけどな」

 キャッチャーマスクを身に着けた高橋くんが言う。

「その心配はねえよ。観客席を見てみろよ」

 バックネット裏や三塁側ベンチの客席には、この試合を観戦している一般の人たちが見える。徐々に数が増えているのには気が付いていた。よく見てみると本格的なカメラを構えだしている人もいる。子供より大人の方が多い。

「桜井を追っかけてる記者もいる。毎週来てるんだぜ」

「マジかよ。情熱大陸とかだったりしてな、そんなわけないか。じゃあ今の俺たちの攻撃も撮影されたのかな」

 ミッチャが少し興奮気味に言う。

「アホッ奴らの目的はあくまで桜井だ。あいつが出てくるまでは動かねえよ。だけどな、この試合がホワイトウルフズの一軍と二軍のただの練習試合じゃねえってことはSNSで拡散してるからな、少なくともここに来てる観客はみんな知ってるよ。この状況でホワイトウルフズの一軍が素人集団に、それも一回コールドで負かされるわけには行かないだろ」

「石神、お前一体どっちの味方なんだよ」穂刈くんが笑いながら言った。

「うるさいっ、お前ら早く守備に就けよ!」

「どっちにしろ、派手に恥をかくのはお前の親父だけどな。まぁいいかみんな行こうぜ」

 イッちゃんの掛け声でぼくはライトまで全力で走って行った。一塁側で監督に檄を飛ばされた一軍選手が円陣を組んでいるのが見える。ライトの定位置からだとやたらと遠く感じる。外野からホームベースに向かう景色はTV画面でよく見る光景だ。改めてみると内野席にはかなりの人が試合を観に来ているのが解る。

 特に三塁側に人が集中して入り始めている。どんな現象も外野から見ていると他人事のようだ。

 センターでは長谷川くんが頭にグローブを乗せて芝に座っている。レフトのミッチャは大股を開いてストレッチをしている。

 監督がよく通る声で「プレイ」を宣言しても尚、外野のこの二人の態度に変わりはない。ぼくは少し苦笑してしまった。フレンダーズは相手の監督を苛立たせる天才だ。そう思うとぼくは愉快で仕方がなかった。


 一回裏、一軍の攻撃。玉井くんのピッチングがいよいよ始まる。

 




 










 

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