第34話 試合

「あいつ意外といい奴だったりしてな」

 サイズ合わせをした自分の着るユニホームを畳んでいると、誰かが言った。

「住んでるところがもっと近くて学校が桃二だったら、あいつもフレンダーズだったかもな」ヨッぴんが呟くように言う。

「でもうちのキャッチャーはやっぱり高橋だろ、あいつじゃ今の玉井チンの球は受けられないぜ」ミッチャが付け加える。

「ってか、中学はあいつと一緒になるんだろ。それより明日は、形だけでも同じチームになるのが、なんだかウケるよな」

 どうやらぼくらのあいだで石神くんは好感度を上げているようだ。来年、一緒の中学になったらきっと上手くやって行けるだろう。

「ところで今日の練習どうする?ユニホームを着て練習しようか」

 湯田くんが言った。彼はまだユニホームを脱いでいない。きっとそのつもりだったのだ。

「そうだな。スパイクの感触にも慣れておかないとな」

 高橋くんは、上着のボタンを閉じるのは諦めたみたいだけど、スパイクには問題がなかったようだ。

 ぼくたちは一度畳んだユニホームをもう一度着てから紅葉山公園に向かった。明日はいよいよ桃三との試合だ。いやフレンダーズ対中野ホワイトウルフズの試合だ。


 九月の第二日曜日、午前九時。秋晴れの空は雲一つない快晴だけど残暑はまだ厳しくて気温はグングン上昇している。場所は中野ホワイトウルフズが練習場として使っている哲学堂少年野球場を使うことになっていた。

「なんか、すげぇ本格的な球場だな」高橋くんが同じ言葉を二度繰り返した。

 球場の広さに手入れの行き届いた芝と、バックスクリーンや掲示板、ナイター用の照明がぼくらを圧倒する。しかも球場はひとつだけじゃないようだ。

 ホワイトウルフズのメンバーはノックの真っ最中だった。

 恰幅の良いユニホーム姿のオジさんが、大きな声をだしてバットを振っている。白髪の目立つ髪が帽子の下からはみ出している。ぼくは一瞬、かの有名な監督なんじゃないかと錯覚してしまう。今この広いグラウンドを支配しているのはこのオジさんだった。

 ぼくたちが圧倒されているのは、もしかしたら球場の設備とかじゃなくて、このオジさんの気迫のせいだとぼくは思う。

 なんだかとても声をかけれる雰囲気じゃなくてぼくらは、揃ってバックネットに佇んでノックを眺めていた。因みに守備に就いている選手が来ているユニホームはぼくらの着ているグレーのものではなくて白地にピンストライプが入っているものだった。それでも彼らがホワイトウルフズと解ったのは胸のに入っているチーム名が同じだったからだ。

「あっ来てるじゃねえか」

 一塁側のベンチから、こっちに顔を覗かせたのは石神くんだった。石神くんがベンチから出てくると、ホームでノックをしているオジさんの手が止まる。

「お前たち、こっちに来いよ。うちの監督を紹介するよ」

 ぼくらは圧倒された気分のまま、おずおずとグラウンド内に入って行く。

 ノックをしていたオジさんははやっぱり監督だったのだ。石神くんは守備に就いている選手にも声をかけてホームに選手を集めた。集まってきた選手のみんなは桃三との試合に出て来た顔ぶれがほとんどだった。

「監督、こいつらが桃二の連中だよ」

 ぼくは随分と前から石神くんのこの態度に違和感を覚えていた。監督と守備に就いていた少年たちが着ているピンストライプのユニホームは見たところ、これが正式なホームの柄で、ぼくたちが着ているのは、今日のために二軍用かビジター用のユニホームにしてくれたのだろう。これで見間違うと言うことはない。

 そして石神くんはなぜか、ぼくたちと同じグレーのユニホームを着ているのだ。これも今までの話の流れから石神くんは一軍ではないからグレーのユニホームを着ているのは納得がいくのだけど、ここでの石神くんの振舞は、一軍の選手を呼びつけたり監督に指示したり……、そもそもぼくらの一日体験入団をどうして石神くんが可能にできたのか適当な理由が見当たらないのだ。もしかしたら彼はこのチームのマネージャーなのかも知れないとぼくは勝手に思っていた。

 ところがイッちゃんが前に出て「今日はよろしくお願いします」と挨拶をしたとき、互いが帽子を脱いで監督の素顔が、露になるとその全てが氷解した。

 重たそうな目蓋にこの怒っているような細い目は、石神くんの生き写しだった。いや正確には石神くんの方が生き写しなのだ。ふたりが親子だということは一目瞭然だった。

「君たちが噂の桃二の生徒たちか、今日はお手柔らかに頼むよ」

 高橋くんよりも、ふた回りは大きくて丸々とした体型の監督は、人の良さそうな笑みを浮かべて息子の背中をポンと叩いた。さっきまでのノックの気迫とは、まるで別人だった。

 ぼくたちは監督の計らいで、少しのあいだ練習する時間をもらえた。ノックの打席にはヨッぴんが入った。

 ホワイトウルフズの一軍選手はベンチの前で監督の話に耳を傾けている。ぼくたちの練習には誰も興味を示していない。


「よーし、そろそろいいだろう、桃二集合」

 ぼくたちは、なぜか石神くんの指示に従って三塁側のベンチ前に集まった。

「石神、何でお前がこっちのベンチにいて、俺たちに指示を出してんだよ」

 湯田くんが口を尖らせて言う。もちろんみんなも同じ意見に決だ。

「何でかって、そりゃあ俺だって二軍だからな」

 中学になったら一緒のチームになるかも知れないと、昨日話したことがこんなに早く実現しようとしていた。

「お前、もしかして自分でこの試合を企画したのはいいけど、あとになって自分の出る幕がないことに気が付いたんだろ」

 穂刈くんの指摘に石神くんはわかりやすり動揺を示した。

「残念だけど俺たちのチームにお前が入れるポジションは補欠くらいしかないぞ」

 ヨッぴんはふざけ半分で、石神くんのことを受け入れようとしている。

「ケチケチすんなよ、俺は代打でいいからよ。それに来年、中学生になったらどうせ一緒のチームになるんだからよ、ほらみんなベンチに入ろうぜ」

「こいつキャプテン気取りだよ。どうするよイッちゃん」ミッチャが言った。

「まぁいいんじゃねえの、石神がいたから今日の試合ができるんだし、一軍の奴らの情報も教えてくれるんだろ」

 そんな素振りを見せないものの、イッちゃんは石神くんにだいぶ感謝しているみたいだった。

「みんな、あっち見てみろよ」

 穂刈くんが一塁側のベンチを見ながら言った。

 監督を取り囲んでいる選手と、ベンチに引っ込んでいる選手とがいる。

「ベンチに桜井が入ったところだ」

 見ると確かに桜井くんがベンチに座っている。ぼくと穂刈くんは一度、遠くから見ているけど、他のみんなはきっとネットとかの映像でしか見たことのないスーパースターがそこにいた。

 他の少年たちとベンチで戯れていてもひと際、光り輝いていて探さなくともすぐに見分けがつく。

「石神、桜井は試合に出ないのかよ。ってかベンチにいる連中の方がなんか強そうじゃね」

 湯田くんの声はいつも大きい。背を向けている監督がチラリと鋭い視線をこっちに向けた。

 慌てた石神くんが遮るように立ちはだかる。

「ベンチにいるのは一軍でもシニア大会に出てるレギュラーの連中だ。お前たち素人相手に出てくるわけがないだろう」

 監督を囲んでいる選手は知った顔が何人もいる。桃三との試合で紛れ込んできた選手は一軍でも控えの選手だったのだ。

「なんだよ、玉井チンと対戦したいんじゃなかったのかよ」

 ヨッぴんが眉を吊り上げて石神くんを見る。桃三の選手は平均して背が高い方だけど、ヨッぴんの背丈は両チーム合わせても断トツで一番だとぼくはベンチの一番端に座って考えていた。

「だれがそんなこと言ったんだ。確かに玉井はスゲーよ。だけどそれは小学生レベルでの話だ。今日だってレギュラー陣は試合するつもりで来てねえんだよ。たんなる興味本位で観に来てるだけだ。己惚れるなよ玉井。ホワイトウルフズのエースピッチャーはお前より早いんだぞ。まぁ桜井を除いてレギュラー陣は全員中学生だから当たり前だけどな」

 ぼくたちはまだ、そのレギュラー陣のプレーを見たわけじゃないけど、この本格的な野球場の雰囲気に呑まれているのか、石神くんの言うことがいつもの強がりには聞こえない、ぼくは真に受けてしまい急に不安が込み上げてくる。玉井くんが打ちまくられて空に舞い上がった打球を青褪めて見上げる姿を想像してしまう。ぼくは思わず玉井くんを目で探してしまった。玉井くんは少し離れた場所で高橋くんと何やら話している。そもそも石神くんの話を聞いていなかったようだ。フレンダーズのみんなも誰一人として石神くんの話を真に受けていない。

 それどころか、

「馬鹿野郎、俺たちの実力を舐めんなよそっちのレギュラー陣全員引っ張り出してやるからな」

 と言い放って中指を突き立てている湯田くんのパフォーマンスはフレンダーズの全員の気持ちを代表しているようだった。

 

 そしてぼくらは、いよいよホームの前に整列した。








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