第29話 ダークヒーロー

 殴られる!ぼくは目を閉じて覚悟を決める。

 次の瞬間、自分の顔が潰れるような痛みが襲ってくる。そのはずだった。

 だけど現実はそうはならなかった。

 胸倉を掴まれているぼくは、うしろから別の手に肩を掴まれて引っ張られていた。

 その勢いでぼくの胸倉を掴んでいる手が外れる。そしてうしろに引っ張られたぼくと入れ替わるように、別の誰かが前に出る。

 その手に肩を掴まれるのは、これが二度目のことだ。

「悪かったな、こいつらは二人とも俺のダチ公だ」

 増田圭樹。半年前にぼくからドラクエを騙し取ろうとした。不良少年。

 あの時も規格外の小学生だったけど、あれから半年後の圭樹はさらに大きくなって、この狭い裏路地でトレードマークのような金髪を振り乱す。

 跳ね上がりざまに振り下ろされた圭樹の拳が、茶髪の少年の顔面を捕らえた。

 聞くに耐えない鈍い音がする。たった一発のパンチで茶髪の少年は弾かれたようにもんどりをうって路上にのたうち回った。

「なんだてめえは、やっちまえ!」

 茶髪の仲間が怒りの形相で圭樹に殺到する。

 もっと後ろに下がってろと、ぼくを押しのけた圭樹は殺到する敵を迎え撃つ。刹那に目撃した金属製の輝きは圭樹の拳から放たれていた。助けてもらっておいて何だけど、それは反則だよ圭樹。相手が大怪我をしてしまう。ていうか既にひとりしているし。それでもぼくは、何も言うことができなかった。

 ひとりで五人を相手にする圭樹は狭い路上で躍動する。圭樹の膝をまともに食らったひとりは両手で鼻を抑えたまま地面に蹲り、左右の長い腕でふたりをヘッドロックに抱えたまま、正面に対峙する相手にハイキックを浴びせる圭樹の横顔は笑っていた。


「カミちゃん、大丈夫か、マッちゃんと圭樹は」

 イッちゃんが駆け付けたのはそれからしばらくしてからだった。

「遅いぞ磯村、どこで何やってた。もう終わっちまったぞ」

 六人の中学生を地べたに正座させて仁王立ちの圭樹が振り返る。

「マッちゃんは大丈夫か」

「うん、大丈夫だよ」

 顔を腫らせて右の脇腹を押さえているマッちゃんが言った。でも見ているだけで早く病院に連れて行きたくなる。だけど正座させられている中学生の方が余程痛々しい姿に変わり果てていた。全員もれなく流血している。

「お前やり過ぎなんだよ。手加減てものを知らねえのかよ」

 確かにこれは子供のケンカでは済まされないレベルかも知れない。

「久々に暴れたからな、それよりこれ……。まだ一銭も使ってねえってよ」

 圭樹が黒いバッグをイッちゃんに投げてよこした。

「やっぱりこいつらが盗んだ犯人だった。松信はこいつらのパシリだったけど、このことは後から知った話で、松信が警察に行くって言いだしたからここでシメられてたんだとよ。だいたい磯村の読み通りだ」イッちゃんは大きく頷いた。

「マッちゃんは関係ないんだな」

 イッちゃんが正座している六人の前にしゃがみ込んで言った。ひとりが頷く。マッちゃんの無実を認めたのだ。

「マッちゃん、警察に行こうか」

 イッちゃんの提案に正座している六人が同時に顔を上げて反応する。だけど一番反応をしたのは他でもない圭樹だった。

「磯村、ちょっと待て警察に届けたら俺まで傷害で引っ張られることになるじゃねえか、それだけは勘弁しろよ」

「マッちゃんだって病院に連れて行かなきゃならないんだから、どの道発覚するぞ」

 イッちゃんが口をへの字にして腕を組んだ。

「ならよお、こいつらもグルにして、この金みんなで山分けにしねえか?」

 どこまで本気で言っているのか解らない口調で言う圭樹を無視してイッちゃんは立ち上がった。

「あんたら捕まりたくなかったら、もう二度とマッちゃんに近付くなよ。それが約束できるなら、このバックは俺が責任を持って文房具屋に返しておくから、今日のことは忘れてくれ。もう帰っていいよ」

 圭樹はどことなく納得していないようだったけど、これがベストのような気がした。六人は弱々しく立ち上がると「わかったよ」とか口々に何かもごもごと言いながら、この狭い裏通りから立ち去っていった。


「磯村、財布を拾って届けたら一割もらえるの知ってるか。そのバックかるく30万以上は入っているぜ」

 イッちゃんが圭樹をキッと睨む。

「圭樹、お前があんなにやり過ぎたのがいけないんだからな、うちの寿司をたらふく食わせてやるからそれで我慢しろよ。その前にセンブーのところだ。いこうぜカミちゃん、マッちゃん」

 父親の暴力のせいで夜遅くまで街をほっつき歩くようになったマッちゃんは、いつかブロードウェイに何店舗かあるゲームセンターを徘徊するようになった。そこで桃二の卒業生グループと知り合いになって遊ぶようになる。最初は楽しかったが次第に遊びは万引きや恐喝といった非行へとエスカレートしていった。マッちゃんはそれに伴って彼らと決別することにしたのだが、昨日の晩、父親の暴力から逃れるために家を飛び出したマッちゃんは夜通し街中をほっつき歩いていて、やがて朝を迎えてしまったため、少し早いと思ったがこっそりと家に戻りランドセルをもって早朝の学校に向かったのだ。それはたまたまではなくてマッちゃんにとってはよくあることだったのだ。それを知っている学校の用務員が朝早くから学校の門を開けてくれているのだ。あのときぼくが早朝のランニングで学校に行ったとき校門が開いていたのは、マッちゃんのためだったのだ。

 そして文房具屋の事件が起こった。

 あの日の朝、マッちゃんは目撃してしまったのだ。

 ゲームセンターで知り合った仲間が店から飛び出して逃げていくのを。そのすぐあとに顔色を失った店のオジさんが出てくるのを見て、マッちゃんは何が起きたのか想像が付いた。

 一方でイッちゃんは以前からブロードウェイのゲームセンターでたむろしている連中の評判が良くないことを知っていた。磯寿司の常連客や商店街の店主らからも聞いていたし、何よりこの中野で、かつて一番の不良少年だった増田公樹の弟、圭樹からも聞いていたからだ。圭樹曰く「俺と兄貴が中野から引っ越したから調子に乗って粋がってるダサ坊の集まりだ」そうだ。

 そしてイッちゃんは、時々ゲームセンターに出入りしているマッちゃんのことも寿司屋の配達がてらに目撃していて、たまにふたりで遊んだこともあった。イッちゃんが心配していたのは、文房具屋からお金を盗んだ犯人が最近評判の良くないあの連中だったとして、マッちゃんがその連中に巻き込まれていないかということだった。まずそれを確めることを優先した。でも時間があまりない。文房具屋が警察に被害届を出す前に何とかしたかった。ブロードウェイにはゲームセンターは三か所あった。連中を探すのにイッちゃんは圭樹に協力を求めた。中学を卒業して単身で中野に戻ってきている兄のもとに弟の圭樹が遊びに来ていることを知っていたからだ。最初は兄の公樹も探すのに乗り出してきたが、それだけは丁重にお断りして、イッちゃんは良かったと思ったそうだ。とぼくは後日イッちゃんから聞いた。


 ぼくらは四人でセンブー塾に向かった。











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