第28話 ファンタジア

 ファンタジアは、ゲームセンターだったのだ。

 店の自動扉をくぐり抜けると、外からは想像もつかない大音響に迎えられる。暗い店内がゲームの音と光で底深い穴倉を演出している。そこかしこで明滅するネオンは夢中になって遊んでいる人たちの顔を赤や緑に染めている。奥は思ったよりも広く、信じられないほど多くの人たちがゲームに熱中していた。

 ぼくは急に心細くなってくる。ぼくはお金を持っていなかった。店員はそんなぼくを目敏く見付けてお金のないぼくを追い出しに来るのではないか、ぼくはこんなところにいちゃいけないんじゃないかという焦りばかりが募る。

 不意に大音響が耳に入らなくなった。

 マッちゃんを見付けた!

 ぼくは店内を駆け出していた。

「マッちゃん!」

 ぼくの声は周囲の大音響に呑み込まれる。自分でも自分の声が聞き取れない。

 ぼくは黄色いTシャツを着たマッちゃんを追いかける。

 マッちゃんはひとりじゃなかった。きっと夏休みに駅前でマッちゃんと一緒にいた連中だ。

 突然、物陰から出て来た何かと鉢合わせしてぶつかった。ぼくは床に尻餅をつく。

 何が起こったのかわけが解らない。

「Oh!ソーリー、ソーリー、ゴメンナサイね」

 派手な赤いフレームの眼鏡をかけた坊主頭の黒人がぼくに謝っている。彼のうしろにはガンダムのコックピットが扉を開いていた。

 英語で何を言われているのかさっぱり解らないけどその黒人の人は、ぼくに手を貸して立たせてくれたあとも、怪我はないかと心配してくれる。

 ぼくはOK、OKとしか言えなくて、なんだか妙に恥ずかしい思いをする。

 大丈夫だという意思がやっと伝わるとぼくはようやく解放された。

 恥ずかしさのあまりマッちゃんを探していたのをすっかり忘れていた。ハッとして店内を見渡してみる。黄色いTシャツがどこにも見当たらない。ぼくは隈なく店内を回って一人、一人の顔をさりげなく覗いて見るけどマッちゃんはもうどこにもいなくなっていた。

 ぼくが黒人とぶつかった場所は入口にほど近い。いくら恥ずかしくて気を取られていたとしても、あの黄色いTシャツが前を通れば気付くはずだ。ということはマッちゃんはまだ店内にいるはずだ。ぼくはもう一度店内を見て回る。なんだか妙に店員と目が合って仕方がない。ゲームもしないで店内をウロウロしているのが怪しく見えるのかも知れない。それでもぼくは店員を避けるようにしてマッちゃんを探し回った。だけどやっぱりマッちゃんの姿は見当たらない。立ち止まって考えていると、いよいよ店員のひとりがぼくに向かって歩いてきた。ぼくは諦めて店を出ることにする。

 そのときぼくに向かって歩いて来る店員のずっとうしろの方で、外から店内に入って来る客の姿が見えた。扉が黒くて気が付かなかった。出入口はもうひとつあったのだ。

 何か言いかけてきた店員の脇をすり抜けてぼくは、その黒い扉に向かう。ガラスのその扉が黒く見えたのは外がもう暗かったせいだ。ぼくはその出入り口から外に出た。

 そこは薄暗くて細い裏通りだった。昼間でも日が当たらないような、ジメジメとして汚れたアスファルトは少しベト付いていた。地元の人しか知らない自転車留め放題の秘密の裏道。華やかな商店街を支える陰の部分。そんな感じがした。絶えずどこかの店の換気が吹き付けていて、生暖かく油っぽい湿気が汗ばんだ素肌に纏わりついて不快になる。こんなところ少しでもいたくなかった。エアコンの効いている店内に戻ろうかと思ったときだった。さらに裏へと続く明かりの点いていない赤提灯の角の奥から物音が聞こえた。ゴウゴウと唸る換気の音で解りにくかったけど、それには人の怒鳴り声や呻き声が含まれていた。しかも一人や二人じゃない。

 ぼくはそっと忍び寄って赤提灯に隠れながら角の先を覗き込んだ。

 複数人の少年の背中が見える。少年と言ってもぼくよりも年上だ。下を見ている彼らの視線を追う。ぼくは息を呑んだ。少年たちの足のあいだから黄色のTシャツが垣間見えた。

 地面に伏せた黄色いTシャツの少年を複数の少年が囲んでいるのだ。

「お前、せっかく遊んでやってたのに俺たちを裏切るっていうのか」

 足の裏で肩を蹴られた黄色の少年は何も答えないで黙っている。

「来年からは同じ学校の後輩になるんだからよ。そしたら虐め殺すからな」

 恫喝の度に周囲の少年たちが黄色のTシャツを踏みつける。

 ぼくは膝がガタガタと震えて動くことができないでいた。

 黄色のTシャツの少年が寄ってたかって暴力を振るわれている。ぼくの頭はそれ以上のことを考えないようにしている。黄色の少年はマッちゃんの可能性が高いのにぼくは確認しようとしないのだ。解っているのに、マッちゃんだとハッキリさせるのが怖い。マッちゃんだったら助けなきゃ友達じゃない。それができる自信がなかった。

 ぼくはとうとう目を瞑ってしまった。だけどそのとき呻き声が上がる。相当に痛い思いをしているに違いない。そしてその呻き声は、間違いなくマッちゃんのものだった。

「マッちゃんっ」

 咄嗟だった。ぼくは思わず赤提灯の陰から飛び出していた。

 マッちゃんを取り囲んでいた大勢の少年たちが一斉に振り返る。彼らの隙間から、腫れ上がった両目蓋を見開いたマッちゃんと目が合った。

「なんだてめぇは」

 ひとりが鋭い眼光をぼくに向け肩を怒らせて迫ってきた。身体の大きさからいって明らかに年上だ。

 胸倉を鷲掴みにされた。茶髪の生え際と尖った眉毛の一本、一本が見える。普段ぼくが生活している日常には、いない種類の人間だった。

 ねっとりと絡みつかれるような視線に息苦しさを覚える。

「お前、松信の友達か」

 言いながら振り上げられた拳に、ぼくは固く目を閉じるしかなかった。

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