第27話 行方

 ぼくと言えば、イッちゃんがあんな含みのあることを言い残していくものだから、尚も蔓延している違和感にすっかり感染してしまい考えているうちに、全く忘れていた今日の早朝のことを思い出した。

 もしかしたらイッちゃんは、マッちゃんに会いに行ったんじゃないか?

「先生、今日はぼくも帰ります」

 センブーの返事も聞かないまま、ぼくは教室を出て家まで走って戻った。そしてその足で自転車を引っ張り出して押し駆けしながら飛び乗ってマッちゃんの家に向かう。キッチンの方から夕飯の香りが鼻孔を刺激した。お母さんの声が聞こえた気がしたけどぼくはもう全力で走り出していた。

 二人乗りした道のりを今でもはっきりと覚えていた。自転車に乗った警察官と擦れ違った場所も覚えている。

 ぼくは迷うことなくマッちゃんが住んでいるアパートの前に辿り着いた。

 時刻は夕方の5時半を回っている。

 マッちゃんが住んでいるアパートの電気はどの部屋も点いている。あのときはアパートの前で別れたから、どの部屋がマッちゃんの家か解らない。アパートの集合ポストに名札も表示されていない。こうなったら二階のどの玄関でもいいから叩いてみて違っていたら、松信さんのお宅はどの部屋ですかと尋ねて回ればいい。

 こういうのは苦手だけど、ぼくは意を決して二階に続く階段を上り、一番端の部屋の玄関扉の前に立った。だけどノックするぼくの手が動こうとしない。

 ここでマッちゃんに会えたとしてぼくは何を言うつもりなんだろう。

「マッちゃん、今日はどうして学校休んだの?朝会ったときは元気そうだったからぼく、心配になっちゃってさ。ところでさぁ今日学校で大事件があったんだよ、学校の前の文房具店で、一か月分の売上金が盗まれちゃったんだって!マッちゃん知ってる?」

 とでも言うのか?

 そもそもぼくはマッちゃんのことを疑っているのか?

 今日の早朝に紅葉山公園の近くでマッちゃんに会ったとき、マッちゃんは一体どこから、どこに行くつもりだったんだろう。マッちゃんの家とはまるで違う方角だった。ランドセルを持っていたのに、会ったときはぼくと同じように学校に背を向けて歩いていた。学校の方角から歩いてきたと考えるのが自然じゃないだろうか。あのときマッちゃんのランドセルには何が入っていたのだろう。そしてマッちゃんは今日どうして学校を休んだのだろう。

 マッちゃんが犯人だったらぼくはどうしたらいい?マッちゃんを説得して学校に連れて行けばいいのか。そんなことをしたらマッちゃんはぼくのことをどう思うだろう。

 色々と考えながら、知らない人の家の前でぼくはいつまでも迷っていた。すると一つ離れた部屋の扉が開いた。中から黒縁眼鏡をかけた肌着にステテコ姿のおじさんが、大きなゴミ袋を持って出て来た。ぼくはこのおじさんがマッちゃんのお父さんに違いないと直感した。咄嗟に言葉が出る。

「すっスイマセン。ぼく松信君に会いに来たんですけど……」

 おじさんはゴミ袋を持ったまま動きを止めて、ぼくのことを訝しい目で見ている。ゴミ袋を握っている岩のような拳に、痣だらけのマッちゃんの背中を思い出す。ぼくは思わず一歩退いた。

「真二ならいないよ」

 やっぱりこのオジさんはマッちゃんのお父さんだった。

 オジさんはぶっきらぼうにそう言うと、階段を下りていきゴミを捨てて、その場に立ち尽くしているぼくの前に戻ってきた。

「帰ってくるまで待つつもりかい。それなら家に……」

「い、いえ大丈夫です。ぼく村上って言います。マッちゃんに、い、いえ真二君に来たことを伝えて下されば結構です」

 それだけ言うとぼくはその場から逃げるようにして階段を駆け下りて自転車に飛び乗った。

 マッちゃんのお父さんは酒臭かった。あの岩のような拳骨で殴られるんじゃないかと思った。だから怖くなって逃げ出したのだけど、ぼくは少し安心した気持ちにもなっていた。「待つつもりなら家に……」と言ったあのときの顔は子供を思おうお父さんの顔をしていた気がする。全然違うけど目の色だけはぼくのお父さんと同じだった。マッちゃんがどこに行っているのか心配をしている目をしていた。決して思っているほど悪いお父さんじゃないかも知れない。きっと何かの掛け違いで、こじれているだけで修復は可能な余地を残していると信じたい。

 それより今はマッちゃんがどこにいるかだ。

 転校して来て友達が増えて、この街にだいぶ慣れ親しんできたとはいえぼくは、まだまだ新参者だった。この時間、マッちゃんのような少年が行きそうなところなんて見当も付かない。イッちゃんに会わなければならないと思った。この街で生まれ育ったイッちゃんの方がずっと視野が広いはずだ。そのイッちゃんが気になる奴がいると言ったんだ。それがマッちゃんではないとイッちゃんの口から聞きたかった。ぼくなんかの勘よりイッちゃんの方がずっとあてになるはずだ。

 イッちゃんがどれほど当てになる人間かぼくは自分に言い聞かせながら、イッちゃんの家を目指して自転車を漕いだ。それでもぼくの頭の中に浮かんでくるのはマッちゃんの顔ばかりだった。

「こんばんは、オバさん。イッちゃんはいますか」

 イッちゃんの家の玄関を開けてぼくは叫んだ。家の前にイッちゃんの自転車がないことは解っていた。

「高敏なら、さっき駅の方に行くって出て行ったわよ」

 家の奥から聞こえてきたオバさんの声が終わらないうちにぼくはお礼を言って玄関を閉めた。ぼくはとにかく駅に向かって走り出す。だけど駅と言ってもその先どこに向かえばいいか。取り敢えずサンモールに行ってから決めよう。

 やがて、昼間とは打って変わって人通りが多くなっている飲み屋街の仲見世通りに出る。磯寿司の看板にも電気が点いていた。

 そう言えば夏休みにイッちゃんと高橋くんと新宿のバッティングセンターに行ったとき、中野駅の北口でマッちゃんに会ったことがあった。あのときイッちゃんは最後にマッちゃんに、あとで会いに行くようなことを言っていた……。イッちゃんは確か店の名前を言ったはずだ。

 ぼくは駅前の駐輪場に自転車を止めると、あのときのマッちゃんを追うようにサンモール商店街に入って行った。

 サンモールは昼間と変わらない混雑した人の流れが続いている。時刻は午後の6時を回っている。入り乱れる老若男女にぼくは途方に暮れそうになる。それでも左右の看板を確認しながら前に進んで行く。店の名前を見ればあのときイッちゃんが言った店の名前を思い出すかもしれない。頭上に並ぶ看板を見ながら歩いているうちにイッちゃんかマッちゃんと擦れ違ったらどうしようと言う心配もある。同じような年恰好の少年にも気を配りながら進んで行った。

 永遠に続いているように感じたサンモールはやがてブロードウェイに接続する。サンモールに立ち並ぶ店名は、どれもぼくのうろ覚えの記憶には無反応だった。だいたい子供が好んで出入りする店があまりなかったような気もする。あるとしたらマックくらいだった。もちろんマックの店内は覗いてきた。

 ここから先のブロードウェイは商店街と言っても4階まである。どの階もリング状になっているから歩いていれば一周することができる構造になっている。そしてブロードウェイと言えば何と言っても3階がメインストリートだ。1階から上るエスカレータもいきなり3階に向かっている。

 ぼくはエスカレータに乗ろうとしている人の列に続いた。混んでいて中々前に進んでくれないことにイライラしながらもあちこち眺めていると1階の先の方で同年代の少年たちが群がっているのを目撃する。ぼくは咄嗟の判断でエスカレータの手すりを掴む直前に列から離脱した。

 ぼくはそこに向かって走る。そして少年たちを掻き分けて辿り着いた店の前で鳥肌が立った。ここだ!

「ファンタジアだ」







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