第22話 コロッケ競争
「あっイッちゃんだ!」
天神商店街に現れたイッちゃんも高橋くんと似たような恰好をしていた。ただし胸には磯寿司と刺繍が入っていて、頭には水玉模様の鉢巻きをしている。
イッちゃんはぼくたちのところに来るなりコロッケに手が伸びる。
「おばさん。コロッケもらうね」
店の奥から「あいよっ、沢山食べな」という返事が戻って来る。
「家の手伝いで出前に行った帰りなんだ。うちは仕事をしないと小遣いもくれないんだぜ。自営業の息子は辛いよな高橋っ」
高橋くんはうしろにオバさんの目が光っているのを察知していてイッちゃんの言葉に頷くことはしないが同意の意思を込めた大袈裟な瞬きをして見せる。
ぼくたちはコロッケのワゴンの横で、並んでベンチに座っていた。イッちゃんが高橋くんの肩に手をかけて二つ目のコロッケに手を伸ばした。
「そうだ、さっき石神から電話が掛かってきてさ」
「次の試合のこと?」
「うん次は新学期が始まった9月の二週目の日曜ってことになった。ふたりとも大丈夫だろ」
ぼくと高橋くんに異論はない。
そうだイッちゃんにも昨日のことを話さないと!これで何回目だろう。でも号外級のニュースは何回目でも最初の鮮度で話せるのがミソだ。
「イッちゃん、あのね……」
ぼくは昨日の話をまた最初から話して聞かせた。
「へぇ石神の奴、今度は必ず打ち負かすから覚悟しとけよなんて言うから、変なこと言ってんなって思ってたんだ。カミちゃんの話を聞いて合点がいったよ」
高橋くんがまたコロッケに手を伸ばしている。
「何それ、いつも負けてるのこっちなのにね」
「あいつらいつも玉井チンがスタミナ切れにならないと打てないから勝った気がしてないんだよ。実際、俺たちも負けた気がしてないけどね」ヒットを打ったことがない高橋くんの言葉とは思えない。
きっとここに穂刈くんがいたら、負けた気がしてないと言える権利があるのは玉井くんだけだと言っているに違いない。
イッちゃんが高橋くんの言葉を引き継ぐ。
「それにこないだの試合なんか8回途中まで打たれなかったから、完全試合も時間の問題なのに、それでも自信満々に打ち負かしてやるって言うことはさ、奴ら相当練習して何かコツを掴んだのか、もしかしたら桜井ってやつを当てにしてるのかだな」
ぼくは桜井くんというスーパースターが出て来たとき、そのあとのことを懸念した穂刈くんの意見も話したのに、イッちゃんも高橋くんも、そのことはあまり心配はしていないようだ。どちらかと言うと桜井くんに出てきて欲しい感じでワクワクとして見える。
「俺は桜井って奴を頼りにしている方だと思うな」
それは最早、高橋くんの願望だろう。
「だけどさ、バッティングが今イチ冴えない俺たちも、ちょっと情けないよな」
イッちゃんが俯き加減で言った。これまでの試合で結局ノーヒットに終わっているぼくと高橋くんは何も言えない。胸が痛いばかりだ。
「あいつら俺たちのこと研究してんだよ。ベンチでスコアブック付けてるもんな。そんな奴らに遊びの延長で野球やってる俺たちが勝てるわけないよな」
とてもイッちゃんの言葉とは思えないネガティブ発言にぼくと高橋くんは目を丸くする。でもイッちゃんはぼくらの視線を、ネガティブ発言をしたとは思えない顔で、むしろ挑戦的な目をして迎え撃ってきた。
「だけどさ、その俺たちにリトルリーグで野球やってる連中が本気になってんだぜ。そのお陰で俺たちもすげえ上手くなってるのが俺にはわかるんだ。中でも一番伸びたのはやっぱり玉井チンなんだ」
考えてみれば結果は毎度負けでも、桃三は試合の度にメンバーをリトルリーグの一軍に入れ替えていたのだ。それでも玉井チンは変化球を封印しつつ課題のスタミナと戦って完全試合を目前にしている。ぼくたちにしても試合毎に失点を減らして行ってるのだ。イッちゃんが言うようにぼくたちは確実にレベルアップしている。
「玉井チンが完全試合を達成するにはさ、俺たちが一点でも点を取らないとダメなんだ。ホームランが一本でも出れば済むことなんだけど、ヨッぴんでさえ最初の試合以来打ってないだろ。あいつら丁寧に低目を狙ってくるからなんだ」
「じゃあヒットを重ねないと点が取れないってことだね」
「正解。だけどさあいつらと俺たちの差って個人的にはむしろ俺たちの方が上の場合もあるんだけどセットプレーとか連係プレーは向こうの方が断然上手い、だからヒットが一本出たとしても次は打たされてダブルプレーになったりすることがほとんどなんだ」
やっぱり今のぼくたちが桃三に勝つのはかなり難しいと言うことだ。
「じゃあ、今からセットプレーの練習とかする?」
と高橋くんは言うものの、上目遣いでおでこの内側をまさぐるような眼をみると、どんな練習をしたらいいのかさっぱりイメージができていないみたいだ。もちろんぼくもそうだけど。
「できるなら、始めたいところだけど夏休み中は全員集まらないし、俺たちにはコーチがいないからな」
イッちゃんは考える人になって「うーん」と唸っている。
高橋くんは黙ってコロッケを食べ続けている。ぼくはイッちゃんの横で青空を見上げながら最近の試合を思い出してみた。桃二打線はぼくを含めて、空振り三振というのは、ほとんどしない。それは普段の練習で玉井くんの速球を見慣れているからで、バットには当てているのだ。だけどそれがヒットに繋がらない。ほとんどが内野ゴロやフライの凡打。ときどきヒットになってもその次はダブルプレーが待っている。イッちゃんが言う断然の差が出るところだ。
これに対して桃三は玉井くんのスタミナが切れてヒットが出始めると、走者は必ず盗塁を仕掛けてくる。一度だけ湯田くんと玉井くんのトリックプレーで隠し玉に引っ掛かったことがあるものの、あのとき以外は塁に出れば必ず盗塁が成功している。送球がそれて、そのまま一塁からホームに生還されることも度々ある。
「次の試合まで、磨けるのはバッティングだな。4番のヨッぴんの前で俺たちがなんとしても塁に出て低目を投げさせないようにしないと」
口の周りにコロッケの衣を付けたイッちゃんが言った。「4番のヨッぴんの前の俺たち」とは1番から3番打者のことで、その中には未だに2番に居座り続けているぼくも含まれている。
「どうして僕たちが塁に出れば、相手は低目を投げにくくなるの?」
ぼくの疑問をイッちゃんは視線だけで高橋君にパスする。高橋くんは授業で先生に指されたみたいに少し緊張気味に答えてくれた。
「えっと、低目を狙い過ぎてキャッチャーがイレギュラーしたら走者に進塁を許すことになるだろ、下手したら失点にも繋がるリスクもあるから、走者を抱えているバッテリーは、ただでさえカウントを稼ぎにくい低目は投げずらくなるんだ」
いつもの高橋くんからは想像もできない答えが出てきた。
「さすが俺たちのキャッチャー!正解」
イッちゃんが高橋くんの背中をポンと叩いた。高橋くんは額に浮いた汗を垂らしながら、ぼくにドヤ顔をして見せる。きっとこのくだりは何度も繰り広げられているに違いない。
「よしっ」
イッちゃんがベンチから立ち上がった。
「今日は三人でバッティングセンターにでも行くか!」
イッちゃんの提案に反論はない。昼ご飯を食べたあとにイッちゃんの家に集合と言うことになった。
ぼくたちは高橋精肉店の前で解散する。
自転車に跨って走り出すと、この場で少なくとも五個はコロッケを平らげた高橋くんの「母ちゃん、昼めし!」と言う声がうしろから聞こえてきた。
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