第19話 夢の対決
「桜井くんと玉井くんの勝負が実現したら、どうなるかって?」
考えるまでもない。相手が誰であろうと玉井くんの全力投球を打てる小学生なんているわけがない。
「穂刈くんは玉井くんが打たれると思っているの?」
穂刈くんの目が大きくなった。信頼を疑われてショックの色が浮かんだ目をしている。一瞬ぼくは殴られるんじゃないかと思うほどだった。
「玉井チンが負けるわけねえだろ!」
砂場で遊んでいる子供が手を止めて怯えたような顔をこっちに向けた。穂刈くんは恥じ入ったように肩を竦め、声を低くして続ける。
「大きな声を出してゴメン。でも問題は勝ったあとのことなんだ。もしかしたら、その試合を最後に俺たちは玉井チンと野球ができなくなるかも知れないんだぜ」
今度はぼくの方が大きな声を出す番になる。
「なんで!玉井くんとは中学に行っても一緒に野球ができるって言ってたじゃん!それがどうして、そうなるの?」
「桜井が出て来ることになったら次の試合、ネットにアップされる可能性が高い。少なくとも何らかの形で映像には残るはずだ。あれを見てみろよ」
穂刈くんは、まだ桜井くんのノックが続いているグラウンドに向かって顎をシャクって見せた。
「桜井と石神のうしろで撮影している奴がいるのわかるか?」
確かによく見ると撮影している人がいる。穂刈くんは本当によく見ている。
「ああやって桜井の姿は練習風景でさえ必ず動画投稿サイトにアップされるんだぜ。と言うことはだ、今度の俺たちとの試合に桜井が出てきたら当然それもアップされることになるだろ。それは同時に玉井チンのピッチングもアップされることに繋がる。そんなことになったらどうなると思う。俺が言いたいのはそこなんだ」
穂刈くんは投げ掛けた問に、自ら答え始める。
「どう少なく見積もっても玉井チンは、松井二世が手も足も出なかった怪物ピッチャーとして世にデビューすることになる。それは間違いない。知ってると思うけど玉井チンのお父さんは元プロ野球選手だ。話題性もある。そうなったら当然色々なところからスカウトがきて野球の名門校に行くことを拒めなくなるだろうし、下手したら桃二を卒業するまでだってTVに出たりとか忙しくなって、俺たちと野球する暇なんかなくなっちまう可能性だって十分にある」
穂刈くんはあくまでも可能性と言う言葉を強調しているけど、要するに桜井君というスター選手の出現によって、玉井くんが世にデビューするのが早くなってしまうのは避けようもないと言いたいのだ。でもそれは玉井君にとっては嬉しいことに違いないし、ぼくたちにとってもそうに違いないはずだけど、それは玉井くんがぼくらの元から離れて行ってしまうのがあまりにも早くなることを意味している。
ぼくはこのとき穂刈くんにはとても言えない想像をしてしまっていた。
桜井くんに打たれた玉井くんがマウンドで呆然とする姿だ。そうなれば玉井くんのデビューはきっと先送りになる。
ぼくは両目をきつく閉じて頭を左右に振った。
そしてそんな複雑な思いを抱えながら穂刈くんと一緒に桃三の練習風景を眺めていた。
穂刈くんはピアノ教室に行く時間だから帰ると言った。彼は水泳教室の他にピアノ教室にも通っていたのだ。
「穂刈くん、センブー塾も合わせたら三つも塾に通ってるんだ。すごいね!」
ぼくの驚きに穂刈くんはこう答える。
「塾ならほかにも英会話とバイオリンにも言ってるよ。センブー塾のほかは全部親の押し付けだけど、それさえきっちりこなして学校での成績も良好なら、うちの両親は何でも言うことを聞いてくれるんだ」
穂刈くんは自分がスマホを持っているのも、ちゃんとやっているからだと言わんばかりにスマホをポケットから出してもう一度ぼくに見せる。
「穂刈くんのやりたいことって?」
「野球に決まってるだろ」
穂刈くんは即答した。正確には玉井くんと一緒に野球をすることのはずだ。だけどその時間が大幅に削られようとしているのに、ぼくらはそれを阻止する方法を知らない。
「じゃあまたな、カミちゃん」
ぼくは誰もいなくなったグラウンドにひとりで練習に入った。
児童公園で遊んでいた親子連れはもういなくなっている。
ぼくたちが下りたジャングルジムの上には、一羽のカラスがセミの鳴き声に耳を傾けていた。
ぼくはさっきまで桜井君というスター選手にコーチされてバッティングの練習をしていた石神くんの素振りを思い出してみる。何をアドバイスされていたのかは、解らないけど、桜井君が何かを指摘する毎に石神くんのスイングは少しづつ変化して行く。それは開いていた肘の角度だったり、スイングにともなう重心の位置だったりした。
その情景を思い出しながらぼくは一心不乱に素振りを続けた。
「何だよカミちゃんかよ、エライ素振りが様になってるから誰かと思ったぜ」
「ひとりで抜け駆けするのはずるいぞ、カミちゃん」
振り返ると、グラウンドにヨッぴんと湯田くんが来ていた。ふたりとも最後に会ったときから見た目が随分と変わっている。
「どうしたの湯田くん、その金髪!ヨッぴんは真っ黒に日焼けしちゃって」
湯田くんはスーパーサイヤ人になっていた。
「カッコいいだろ。夏休みのあいだ限定だけどな」
湯田くんは金髪の頭に手櫛を入れて格好を付ける。
「おれは昨日まで姉ちゃんたちと千葉の九十九里浜に行ってたんだ」
Tシャツと半ズボンに、ナイキの赤いスニーカーを素足で履いているヨッぴんは持ってきた金属バットで早速、素振りを始めている。
ヨッぴんのスイングは石神くんのとはまたひと味違っている。その両手に握られたバットは身体と一体になって、スイングしたときの身体のしなりがもたらす跳ね返りがバットに伝わっているのが解るのだ。そしてあまりにも早い。当たったらきっとホームランになる。ヨッぴんのスイングは自己流の進化系なのかも知れないけど、きっと桜井くんにだって引けを取らないはずだ。
しばしヨッぴんの素振りに見とれていたぼくは、今日のことをすっかり忘れていた。
「そう言えば、今日ここで桃三の石神くんとかが練習してるのを穂刈くんと偵察してたんだよ」
ふたりが手を止めてぼくを見る。
「へぇ、桃三の奴らどんな練習してた?」
ぼくは桃三の練習に桜井くんというリトルリーグのスター選手が加わっていたことや、玉井くんと野球ができなくなる可能性をふたりに話して聞かせた。
「マジかよ、それ!俺知ってるよ。その桜井って奴!TVで見たことあるよ。イケメンだからムカついてたんだ、女のファンがすっげーいるんだぜ。丁度よっかったマジでぶっ潰してやろうぜ!」
湯田くんは、ちょっとだけ不純な動機で興奮している。ここに穂刈くんがいないのをぼくは残念に思う。
「ぶっ潰すって、ケンカじゃねえし、勝負するのは玉井チンだろ」
ヨッぴんはいたって冷静だけど、ふたりとも玉井くんと野球ができなくなるかも知れないと言うことには、あまりピンときていないようだ。
「よーし!ヨッぴん、ノックしてくれよノック」
湯田くんは、自分の興奮を練習のエネルギーに替えれるらしい。なんて健全なんだろう。ぼくもそれに乗ることにする。
「待ってよ。ぼくも」
湯田くんは自分の守備位置になる一、二塁間に就いた。ぼくもライトの守備位置まで走って行って両手を上げて見せる。
ヨッぴんは、湯田くんにはゴロやライナーを打ち、ぼくにはフライを打ってくれた。
最近お父さんが練習に付き合ってくれるようになったお陰でどうにかフライを捕れるようにはなって来たけど、桃三の外野手との差は歴然だった。彼らの捕球は腕のクッションが利いていて、捕った次の瞬間には走り込んできた勢いを漏れなくバックホームの力に変換している。あれを真似するにはボールの落下地点に走り込んで行って捕れるようにならないといけない。やっとフライが捕れるようになったぼくには、これが凄く難しい。だけどこれで課題の答えがひとつ見つかったわけだ。ぼくはフライが飛んでくる度に考える。ほとんどが失敗に終わるけど、これが楽しくて仕方がない。何よりもこの楽しさは疲れることを忘れさせてくれる。
ヨッぴんと湯田くんが打つのを交代した。ヨッぴんの守備位置はサードだ。ぼくはレフトに移動してフライを上げてもらう。
やがて空が暗くなってグラウンドの照明が点くと、
「うわっヤベエ、俺そろそろ帰るわっ!」
と湯田くんが思い出したように言いだした。
「えっまだ六時前なのにもう帰っちゃうの?」
普段ならまだ1時間くらい練習は続けているはずなのに、湯田くんは守備位置から一目散に離脱して帰り支度を始めてしまう。
「カミちゃん、湯田んちは横浜に引っ越したんだ。だからそろそろ帰らないと遅くなっちゃうんだ。でも俺たちはもう少しやろうぜ。じゃあな湯田」
横浜?あの有名な?だけど今のぼくには横浜というところがどんなに遠いところか皆目見当もつかない。ぼくの心はとにかく広い荒野に呑み込まれて呆然とする。
そんなぼくを尻目に、湯田くんはヤベえを連発しながら、最後に「じゃあな」と片手をあげて帰って行ってしまった。
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