第14話 反撃

 チェンジアップを投げる時と、速球を投げる時の投球動作にどこか違いがある。

 三球連続で見せられたチェンジアップの投球動作が、ぼくの頭の中で再生を繰り返している。

 いったん打席を外していたイッちゃんがバッターボックスに戻った。

 ぼくはピッチャーが投球を始めるのと同時に、頭の中の再生動画と重ね合わせて検証モードで観察する。

 違和感の正体はモーション中に判明した。これが速球なら確信度は上がる。

 やっぱりそうだ!速球だ。

 チェンジアップを狙っているはずのイッちゃんは、やはりバットを振らなかった。

「タイムッ」

 本当ならもう一度チェンジアップを投げるところを見て確信度を上げたかったけど、カウントがツーストライクでもうあとがない、ぼくはほとんど衝動的にベンチから駆け出していた。

 とにかくぼくはイッちゃんに違和感の正体を明かした。それはまだ確信度が十分じゃないことも付け加える。

 イッちゃんは、ニコリと微笑むと「サンキュー」と言ってくれた。

 隙っ歯の前歯をしたイッちゃんが、なぜか少し寂しそうに感じられた。ぼくの情報の確信度が完全じゃないからガッカリしたのかも知れない。


 結果、ぼくの不十分だった確信度はイッちゃんのバットによって完全になった。

 見抜いたのはサインでも何でもない。ピッチャーの単なる癖だ。きっと本人も自覚がないほどの僅かなものだけど、それだけに信頼度は高い。

 桃三バッテリーは最後までピッチャーのその癖に気付くことができなかった。

 試合はぼくたち桃二が5点を追加して10対2で勝利した。

「磯村、今日の所は俺たち桃三の負けだ」

 試合後、石神くんは素直に負けを口にした、どこか納得のいかない気持ちが見え隠れしている。確かに試合中の彼らは、普段からぼくたちよりもレベルの高い練習を積んでいるのが随所に垣間見えた。それでもぼくたちは勝った。

 これでぼくたちは今まで通りに紅葉山公園のグラウンドを好きに使える。

「石神、またやろうぜ。なんならこれから毎週でも相手になってやるぜ。もちろん毎回、賭けてやってもいいし。なぁみんな」

 イッちゃんがとんでもないことを言い出した。

 せっかく紅葉山公園のグラウンドの使用権を勝ち取ったのに、それには固執しないかのような発言に、ぼくはもちろん桃二のメンバーはみんな、そして石神くんでさえも、目を丸くしたまましばらくフリーズした。

「バ、バカかお前、外野フライもまともに捕れないピッチャーだけのチームのくせに、よく言うぜ。そんなチームに俺たちは二度と負けねえぞ」

 いつものみんななら、この石神くんの発言に黙っているはずはないのだけど、今日の試合で実際の実力が、石神くんの言った通りだと言うことを認識しているのか、だれも何も言い返さない。というより負けず嫌いのみんなは、まるで聞こえていないような顔をして無視を決め込んでいる。

 ところで僕が見抜いた桃三のピッチャーのくせと言うのはチェンジアップを投げる前にほんの僅かだけど絶対に頷いてしまうところだった。たったそれだけのことだ。きっと速球と同じ動作で遅い球を投げるのは、まだ完全には慣れてなかったのかも知れない。その僅かな間が、ぼくの頭の中の検証動画とのずれを生じさせたってわけ。投げる前に何らかのスイッチが必要だったのだと思う。

 とにかく今日の試合には勝つことができた。だけどそれは決して実力で勝ったわけじゃない。石神くんがミットを叩くサインやピッチャーの癖に気付かないままだったら、ぼくたちは追加点を取ることができなかったんじゃないか。それほど歴然とした実力差があったことは確かだ。そのことに誰よりも悔しい思いをしていたのはイッちゃんだったに違いない。

 最後の打席でイッちゃんが淋しそうに見えたのは、きっとそう言うことなのだと思う。ぼくたちは正に ”井の中の蛙大海を知らず” だった。だからこそ今日の試合だけで終わりにしたくはなかったのだと思う。

「馬鹿野郎っ、俺たちは遊びの延長なんだぞ、その俺たちが本気で練習したら、すぐにお前らなんか俺たちに一生勝てなくなるわ!」

 イッちゃんが挑むように、それでいてなんだか愉快そうに口火を切った。ケンカしてるみたいだけどこの2人けっこう気の合う仲だったりして。

「よーし。そこまで言うなら来週またやってやるよ。それまでちゃんと練習しておけよ!」


 こうして 桃二 対 桃三 の試合はしばらくのあいだ毎週のように開催していくことになった。

 ちなみに紅葉山公園のグラウンドの使用権は週替わりで使うことになった。



「みんなどうした浮かない顔して、また負けたのか」

 塾の教壇に両手をついたセンブーがみんなの顔を覗き込む。

 最初の試合からもう3カ月が経っていた。そのあいだ桃三との試合は8回も数えているのに、ぼくらは一度も勝つことができない状況にある。通算成績は1勝8敗。昨日の日曜も負けたばかりだ。

「よしっ、じゃあ今日は少し早く終わりにして練習にいくか!」

「センブー、今週は桃三がグラウンドを使ってるよ」

 誰かが呟くように口にする。

 桃三のバッテリーは、ぼくが見抜いた癖を次の週から修正してきていた。というよりチェンジアップを投げることに慣れてしまったんだと思う。

 ぼくたちはまた狙い球を絞るしかなくなった。速い球がくるか遅い球がくるか、それとも変化球がくるのか打者はその都度、考えなくてはいけない。この駆け引きがもしかしたら野球というスポーツの醍醐味のひとつなのかも知れないけど、なす術もなくことごとくやられていると、なんだか元気がなくなってくる。

 それにしても石神くんの話術や観察眼は敵ながらたいしたもので、打者が何を狙い球にしているのかすぐに見抜いてしまう。あるいは見抜いた振りをする。とりわけ誰かがいい当たりをだしてランナーが出たあとの集中力には驚かされる。ぼくたちは連打が打てなくて得点に繋がらない。

 穂刈くんが言うには個々のバッティング技術で言えば普段から玉井くんの相手をしていることもあってか、桃三のメンバーよりは、ぼくら桃二のメンバーの方が数段上なのに、それでも点が取れないのは、打席での石神くんによる精神的な揺さぶりだけじゃなく、ぼくたち一人ひとりの性格や傾向を見抜いているからだという。

 ぼくたちは練習でどんなに上手くプレーができても、実戦では色んな思いやその時の状況が複雑に絡み合って実力が思うように発揮できないということを嫌というほど思い知らされていた。

試合をしているぼくらは対桃三というよりも石神対桃二の感覚に陥っている。

「でもさぁ桃三の奴らだけど、リトルリーグで野球やってるって言うわりには、よく毎週のように俺たちと試合やってる暇があるよな」

 湯田くんが素朴な疑問を口にする。言われてみればぼくもそうだと思う。

「あいつらもしかしたら二軍以下なんじゃね?一軍が試合の時とかは暇なんだよきっと」

「高橋、今そんな風にあいつらをディスったら、そのあいつらに連敗してる俺たちの立場がねえじゃんよ」

 イッちゃんが笑いながら指摘した。うしろでは玉井くんが表情のない顔をしている。

 玉井くんの課題はスタミナだった。

 試合はいつも玉井くんのスタミナが切れる頃から崩れ出して八回、九回あたりで点を取られて負けるパターンが続いている。

 最初に勝った試合の後半で点を取られずに桃三打線を抑えることができたのは、桃三のピッチャーのチェンジアップに対抗して、決め球にフォークボールを投げたからだ。打者の手前で急激に落ちてワンバウンドしてから高橋くんと審判の股下をトンネルしたあの球だ。

「あんな球、小学生のうちから投げていたら大人になる前に肩が壊れちまうぞ」

 と石神くんが言ったのは、打てないことへの負け惜しみに違いないが、センブーが言うにはどうやらそれは事実でもあるらしい。しかもこのことは玉井くんのお父さんにまで伝わってしまい、玉井くんは変化球禁止令を出されてしまったのだ。それによって玉井くんは直球だけで勝負するしかなくなった。

 それでもスタミナが切れるまでは、パーフェクトピッチングをしてしまうのだから凄いのだけど。

「じゃあ今日はバッティングセンターにでも行くか」

「マジで!センブーが連れて行ってくれんの、行こう!行こう!」

 浮かない顔をしていたみんなは、一気に元気を取り戻して幼い子供のようにはしゃぎだした。

「俺はいいや」

 玉井くんは席を立つと鞄を肩に掛けてひとりで塾を出て行ってしまった。

「イッちゃん、玉井くんどうしたんだろう」

 玉井くんを止められるのはイッちゃんしかいないのに、あっさり見送ったイッちゃんに少し冷たさを感じたぼくは、思わず言ってしまった。

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