第13話 完敗

 桃三のピッチャーが湯田くんを相手にして投球動作に入る。石神くんはミットを叩かなかった。速球がくる。そのタイミングに合わせていた湯田くんのスイングはタイミングがずれて、なんとかボールを捕えたがボテボテのショートゴロになった。

「今のサインがなかったけどチェンジアップだったよな」

 長谷川くんの言葉にみんなが押し黙る。とりわけぼくは息を呑んだ。

「さすがに、気付くころだろ」とヨッぴんが言った。

「あんだけ打ちまくったからな、しかも今の球ってチェンジアップじゃなくてカーブっぽくなかった?」

 イッちゃんはこともなげに言ってくれるけど、ぼくにとっては死活問題だ。緩急自在なうえに、まさかの変化球まで投げるなんてもうお手上げじゃないか。イッちゃんたちが普通にしていられるのが信じられない。

「カミちゃん、そんなに心配することはねえよ。今だって俺たちが勝ってるんだから。桃二の二番バッターの底力を見せてくれよ」

 ヨッぴんがそんなことを言ってくれるのは嬉しい限りだけどぼくの底力なんてたかが知れている。

「そうだよ、ヨッぴんの言う通りだ、カミちゃんは選球眼がいいんだから、何とかなるよ」

 イッちゃんまでぼくのことを励ましてくれるのは有難いけど、何の自信も策もなしに握ったバットは妙に重たく感じた。

 打席に立つとベンチ裏のフェンスからお母さんが身を乗り出しているのが見えた。 試合を観に来るなんて言ってなかったのに。

「貴之、名誉挽回のチャンスよ!」

 お母さんそれを言うなら汚名返上だよ。あまりにも恥ずかしくてぼくは下を向いた。

「あれ、お前の母ちゃんか?ウザくねぇのか」

 いくら自分で思っていても他人に言われると腹が立ってくる。石神くんなら尚更だ。正直に告白するとぼくはこのときほど打ちたいと思ったことはない。その怒りが一度投げたさじを取り戻す結果に導いてくれた。ぼくはピッチャーを睨みつける。

 桃三のピッチャーが投げる球種は速球かチェンジアップだ。加えてもしかしたらカーブも投げるかも知れない。だけどぼくを相手に変化球を投げてくるとは思えない。きっとぼくのことを一番楽な相手だと思っているはずだ。だから投げてくるのは二択だと考えることにする。その上でぼくは速球に的を絞る。速球と同じモーションで投げてくるチェンジアップにはどうしても違和感を覚えてしまうからだ。

 意を決してぼくはバットを構えた。

 一球目はチェンジアップがきた。

 やっぱり石神くんはもうミットを叩いたりはしない。速球にタイミングを合わせていたぼくは慌ててバットを引っ込めるのが精一杯だった。幸いカウントはボール。

 二球目はきっと速球だろう。振り返ってみるとチェンジアップが二球続いたことはあまりない。ところがその二球目もチェンジアップがきた。今度はバットを引くことができなかった。スイングを取られてストライク。さすがに三球続けて同じボールはこないだろう。

 しかし次もまさかのチェンジアップ。バットは引けたけどコースは真ん中。これでツーストライクになった。

「カミちゃん、落ち着いていけ」

 イッちゃんの声が聞こえる。だけどその声援にぼくは答える余裕がない。

 これまで三球続けてチェンジアップだった。四球目はあるだろうか。いやある。ずっと裏をかかれているんだ。次もチェンジアップに違いない。

 ぼくは狙い球をチェンジアップに変更してバットを構え直した。

 ピッチャーがモーションに入る。相変わらず全く同じ投球動作だ。そのことに感心しながらぼくは四球目もチェンジアップだと確信してタイミングを合わせる。

 ところがピッチャーの手からボールが離れた瞬間、ぼくの視界からボールが消えた去った。

「ストライクッ、バッターアウト」

 球審の玉井くんの声が耳の奥に届いてもぼくは何がなんだかしばらく判断が付かなかった。最後の球は言うまでもなく速球だったのだ。それまでチェンジアップを三球見せられて四球目もチェンジアップだと信じて待っていたぼくの目は、速球の球を見失ってしまったのだ。

 最初にお母さんの悪口を言われた僕が打ち気に逸るあまり狙い球を速球に絞ることまで石神くんは計算していたのではないか。あとはぼくの顔色を見ていれば狙い球を変えるのは手に取るように分かったに違いない。石神くんはもしかしたら穂刈くん張りに頭がいいのかも知れない。ぼくの完敗だ。

 元気づけて送り出してくれたベンチのみんなは口々にドンマイと言ってくれるけど、今日のぼくは、ここまでいいとこ無しだ。

 せっかくぼくのことを見込んで二番にしてくれたのに申し訳なくてイッちゃんに合わせる顔がない。

 そのイッちゃんがぼくと入れ替わりにバッターボックスに入る。

 石神くんがイッちゃんに何か話しかけている。ぼくは石神くんにお母さんを馬鹿にされたことを思い出した。イッちゃんには何を言っているのだろう。

 イッちゃんに対して桃三バッテリーは速球から入った。イッちゃんは見送った。

 イッちゃんもチェンジアップ狙いかな?

 ぼくは打席に立つイッちゃんを見ている一方で、今の速球に違和感を覚えていた。頭の中で三球連続で見せられたチェンジアップの再生をする。

 今、イッちゃんに投げた速球と何かが違う。

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