第12話 誤算
桃二の作戦にはひとつだけ誤算があったことに、ぼくらは直面する。
「フォアボール」
桃三のバッターがバットを捨てて一塁に向かう。
七回裏、いきなり二者連続でストレートの四球をだした。
どうしたわけか急にストライクが入らなくなっていた。
「スタミナ切れだ」
センターの長谷川くんが言った。
マウンドの玉井くんをよく見るとライトの守備位置からでも肩で息をしているのがわかる。
「カミちゃん、勇内太州。そろそろ飛んでくるぞー」
レフトのマッちゃんが大きな声で注意を促してくれる。
そんな馬鹿な。玉井くんが打たれる所なんて想像もできない。だけどマッちゃんの言ったことは早くも実現する。
打ったのは石神くんだった。打球は大きなフライになって一、二塁間を割って飛んでくる。つまりライトフライだ。
「カミちゃん!」
長谷川くんが叫ぶ。打球はまだ上がり続けていて、どこら辺に落下してくるのか見当も付かない。
「長谷川くん。ぼくどこにいたらいいのかな」
ぼくの動揺ぶりを見たのか石神くんは前を走るランナーに迷わず進めと叫びながら走る。石神くんもあの勢いなら二塁で止まるつもりはなさそうだ。
「カミちゃん、もっと前だ」
内野からイッちゃんの声が聞こえた。それと同時に落下したボールはぼくの位置から、ずいぶん手前でバウンドした。イッちゃんの声に反応して前にダッシュしていたぼくをバウンドしたボールは、とぼけたようにぼくの頭上を越えていく。
いつの間にかファールゾーンで観戦に来ていたお母さんたちが、お粗末なぼくのプレーを見て笑い転げてる。
ぼくは顔を熱くしてボールを追ったが、既に長谷川くんがフォローに入っていて、内野に向かってボールを投げる所だった。
ホームでは先に生還を果たした2人が腕をグルグル回して三塁ベースを蹴った石神くんを待っている。
このとき長谷川くんの投げたボールは、今日一番のファインプレーになる。それはまさにレーザービームと言ってよかった。余裕でホームインをしようとする石神くんの腰の辺りをボールが追い抜いて行った。
信じられないという表情の石神くんにレーザーをキャッチした高橋くんがタッチアウトにした。
長谷川くんは何ゴトもなかったようにセンターの守備位置に戻っていく。
「すっげー勇内太州!何今の」
マッちゃんがレフトで喜んでいる。ぼくはいたたまれなくて穴があったら入りたい気分だった。早くベンチに戻りたいけどまだワンアウトだ。
そんなぼくの気持ちを察したのかセンブーがぼくに声をかけてくれる。
「村上、ドンマイだ。ミスはバッティングで取り戻せ」
ぼくはそのバッティングでも今日はいいとこなしだ。
っていうかあなたのせいで桃二の外野がザルだってバレたんだぞ!今だって長谷川くんのプレーが印象的でぼくのミスなんかみんな忘れるころだったのに、わざわざドンマイだなんて言いに来ないでくれ。
「タイムッ」
イッちゃんがマウンドに全員を呼び集めた。ぼくは全速力で走る。今の失策を謝らなきゃ。
「ごめんみんな。ぼくフライの取り方が全然わからなくて」
「イッちゃん、俺だってフライは捕れる自信がないぜ」
あんなレーザーを放った人間の言葉とは思えないが、これでも長谷川くんは今日が初めての野球なのだ。彼は本当に天才なのかも知れない。
マッちゃんも長谷川くんに続いて俺もだよと言った。
「それより玉井チン大丈夫か」
外野陣のネガティブ発言を無視してイッちゃんが玉井くんの心配をする。
「大丈夫だよ。みんなゴメン。この回を入れてあと3回だから、何とか頑張るよ」
玉井くんはそう言うけど、ぼくが見ても疲れているようにしか見えない。本当に頑張れるのか心配になってくる。
「桃三のピッチャーだって同じ回を投げてるのに、あまり疲れているようには見えねえな」
湯田くんがグローブをひさしにして、三塁側でキャッチボールをしている桃三のピッチャーを眺めながら疑問を口にした。
穂刈くんがグローブで口元を隠して答える。
「玉井チンは一人の打者に三球を投げているのに対して、あっちは凡打を打たせているから一球か二球で仕留めている。しかも打たせるつもりで投げてるから全力で投げていないとこも多い。だから余裕だし配給は石神がコントロールしているから精神的な負担もなくて楽なんだろう」
穂刈くんの分析力には驚かされる。彼だけはみんなと違う視点でこの試合を戦っているのかも知れない。横で高橋くんが申し訳なさそうにしているのは石神くんのように司令塔みたいなことは一切していないからだろう。
さっきまであれほど簡単にアウトが取れていたのに急に一イニングが長く感じ出していた。
「玉井チン、とにかく低目にボールを集めてゴロを打たせよう。それからマッちゃんと勇内太州は守備位置を交代してくれ。桃三は石神以外は全員右バッターだから、多分レフトに飛ぶ確率が高い。ゴロだったら大丈夫だろ。さっきのレーザービームあてにしてるぜ」
「まかせとけ!」
長谷川くんが右腕をグルグルと回して請け負う。
試合が再開した。
玉井くんはイッちゃんの指示通りに球を低目に投げ始める。球威も明らかに落ちている。バットに当たればゴロになるのだろう。だけど低目のボールはストライクを取りにくい。しかも桃三のバッターは低目の誘いに乗ってこない。カウントはボールばかりが先行して忽ち空いている塁はなくなってしまった。
試合は依然として七回の裏、桃三の攻撃。ワンアウト満塁。
それまでぼくは野球の試合は9人でやるものだと思っていた。そのことに変わりはないのだと思うけど、交代のピッチャーがいない今の桃二を背負って1人で戦っているのは玉井くんだ。
ぼくらは今、玉井くんの背中を見ていることしかできない。
玉井くんがワインドアップから渾身の球を投じる。ゴロを想定して前進守備をしていたライトのぼくの位置からは、そう見えた。玉井くんの全力投球は打者の手前でホップする。紅葉山公園のグラウンドで見たあの球をぼくは想像する。だけど不思議にもその球はガクンと打者の手前で急激に下に落ちる。これには桃三のバッターも騙されたようにバットを振ってしまう。久々の空振りだ。
ところがその球は下に落ちすぎてキャッチャーの手前で小さくバウンドして高橋くんとその後ろで球審をしている桃三のピッチャーの股の下を抜けて行った。
「ワイルドピッチだ!走れランナー、走れ」
的確に状況を見極めている三塁ベンチの石神くんが大声で指示を出す。
満塁のランナーが一斉にベースを飛び出した。
玉井くんもホームに向かって走り出している。ボールの行方を見失っている高橋くんが玉井くんの指示でボールを拾うと横倒しに転がりながら、走者よりも先に本塁に辿り着いた玉井くんにパス。玉井くんは走者にタッチすると間髪入れずにファーストにボールを投げた。
そのボールをキャッチした湯田くんが穂刈くんと一、二塁間の走者を挟みうちにしてタッチアウトした。
あっと言う間にダブルプレーが完成した。
ぼくはしばらく呆然としていた。
ベンチに戻ると玉井くんを囲んで活気が戻っている。
今のダブルプレーは連係プレーのように見えたけど機転を利かせた玉井くんの判断が的確だった。
「よーし!次は玉井チンが打たれてもいいように俺も打つぞ」
高橋くんが無神経な言葉を口にする。
「高橋、さっきはダブルプレーになったから結果オーライだけど、一歩間違ってたら追加点をやっていたんだぞ」
湯田くんが高橋くんを窘める。
「わかってるよぉ、……でも」
あんな球、捕れるわけないよと言いたかったのだろう。その高橋くんの言い訳は玉井くんに遮られた。
「頼むぞ、みんな次のバッターは誰だ」
「俺だ!」
湯田くんが二、三度素振りをしてバッターボックスに向かった。
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