第11話 ヨッぴん(4番・サード)

素振りもしないでバッターボックスに入ったヨッぴんはバットを構えてピッチャーを睨みつける。構えたバットが垂直にピタリと止まる。

「お前らのピッチャーどこの奴だ」

 玉井くんがうしろで球審をしているのを無視して石神くんがヨッぴんに話しかけた。ベンチにいても石神くんの声が聞こえてくるほどみんなが打席に注目している。

 桃三のピッチャーが投球モーションに入る。ヨッぴんはチラリとピッチャーから視線を外して言った。

「桃二に決まってんだろ」

 投げる直前に石神くんがバッターに話しかけたのはワザと気を散らせて打ち気をそぐ作戦だ。それはプロ野球でもよくあることでルール違反には当たらないらしい。でも端から見ているとその行為はあまり格好のいいものじゃない。

 ヨッぴんは確かに気を反らされたようでピッチャーが動き始めるのとほぼ同時に石神くんに返事をしたのだが、それでもその作戦は石神くんの思惑通りの結果にはならなかった。

 ヨッぴんがスイングしたバットはボールを芯で捕えてしまう。ぼくには半ば余所見をして打っているようにも見えた。

 石神くんがマスクを外して飛んで行った打球を追うように2、3歩前に踏み出した。打球を追っていた外野手が諦めるのと同時にボールは大きく柵を越えて行く。

 特大のホームランだ!

 ヨッぴんがゆっくりとベースランニングをする。

 ホームに戻ってきてベースを踏んだヨッぴんは、悔しそうに立ち尽くしている石神くんに言った。

 「リトルリーグじゃ野次を飛ばすのも教わるのか?」

 石神くんは何か言いたそうにしていたけど、このときばかりは何も言えなかったみたいだ。

 ハイタッチを待つ一塁側のベンチに悠々と戻ってくるヨッぴんの姿はメチャクチャ恰好良い。

 これで桃二は勢いづくかに思えたけど、あとが続かなかった。

 高橋くんはファーストゴロ、穂刈くんはサードフライ、長谷川くんはセカンドフライに倒れる。

 これ以降の回も桃二は、玉井くんが三振の山を築き、桃三のピッチャーが凡打の山を築く展開になって行った。

「みんな、どうして外野に球を飛ばせないんだよ」

「良く言うぜ、湯田だってヒットを打ったのは初回だけじゃないか」

「俺も最初は簡単にホームランが打てたから舐めてたけど、イッちゃんの言う通りだな。あいつら上手いわ、俺たちは打たされているんだよ」

「カミちゃんも初回はいい当たりだったのに、二回以降は全然タイミングが合ってないもんな」

「ぼくなんか打たされる前に三振してるよ。ぼくだけね」

「おれ審判をやっていて気が付いたんだけど、桃三のピッチャーは同じ投球動作で遅い球も投げてくるんだ。だからタイミングが外れてみんな凡打になるんだよ」

「玉井チン、それってチェンジアップだろ。それを早く言ってくれよ」

 ぼくたちはベンチの前で輪になってしゃがんでいた。次は7回の表、打順はぼくからだった。

「判っていても攻略できなきゃ意味がないだろ」

 確かに飛んでくる球が速いのか遅いのか裏をかかれたら、今までのように凡打を打たされるか、空振りになるのが落ちだ。投球動作を観察して球の緩急を判断しているぼくにとっては、区別がつかないのは致命的だ。なんだか急に自信が萎えて行く。

「カミちゃん、そうガッカリするなって。その攻略法が解ったから教えるよ」

 さすが玉井くんだ。同じピッチャーだからこそ相手ピッチャーの特徴を知り得たのだとしたら、最初にルールを決めたときイッちゃんの提案に対抗して、審判をやる人間を相手チームのピッチャーに指定してしまったのは、石神くんの誤算だったことになる。

「えっ本当に?」「マジで」

 みんなが声を揃える。玉井くんは輪を縮めるように促した

「みんな良く聞けよ。ピッチャーの投球動作は完璧だ。だけど遅い球を投げるサインを出しているのは石神なんだ」

 すごい石神くんはまるでプロの選手みたいにキャッチャーをやっているんだ。でもそれに気が付いて攻略の糸口を見付けだしてしまう玉井くんもやっぱりすごい。

「解った!玉井チンがサインを盗んで教えてくれるんだろ」

「バーカ、そんなせこい手じゃねえよ」

 玉井くんが高橋くんのごま塩頭をピシャリと叩いた。

「いいか、遅い球は俺たちの裏をかいて飛んでくる。裏を返せば石神は裏をかこうと必死なんだ。そのせいで遅いのを要求したときは、これから速いのが来るぞってミットをバンバン叩いてアピールするんだ。もしかしたらそれがサインなのかも知れない。少なくとも俺が気付いてからは鉄板だ」

 来るのが判っている遅い球はただの絶好球になる。バッティングの練習をしているようなものだ。ぼくはいくらか自信を取り戻してバッターボックスに向かった。

 そのぼくをイッちゃんが呼び止めた。


 玉井くんが言ったことは本当にその通りに鉄板だった。

 ピッチャーの投球動作は全く同じなのに、キャッチャーの石神くんがミットをバンバン叩いたときだけ遅い球がくる。

 ぼくの役目は玉井くんの言ったことを、みんなに確認させることと、遅い球がきたときにわざとタイミングを外して空振りをすることだった。

 更に次のイッちゃんが速球を狙い打ちする。この日桃二の三本目のヒットは二塁打になる。

 イッちゃんは大きくリードを取って桃三バッテリーの動揺を誘う。

 ここで石神くんがタイムを要求すると、桃三の内野陣がピッチャーマウンドに集まった。

 ここまでは、ほぼ穂刈くんの読み通りに運んでいる。

「穂刈って頭いいんだな。玉井チンがサインを見抜いた途端にこの展開が読めたんだろ」ベンチで長谷川くんが穂刈くんを称賛している。

「さすがにイッちゃんがツーベースを打つとこまでは読めなかったけどな。でもこれでカミちゃんがワザと三振して、次のイッちゃんが速球を叩いたから俺たちが石神のサインに気付いたのがまだバレていないはずだ」

 穂刈くんの視線の先にはマウンド上の桃三内野手がいる。

「奴らマウンドで何を話してんのかな?」

 高橋くんが言った。

「次のヨッぴんを敬遠するか、まだバレてないはずのチェンジアップで打ち取るかの相談じゃないか」

「おっ再開した」

 マウンドから桃三内野手が守備位置に散って行く。

 石神くんは何かを決意した表情に見える。

 ヨッぴんが今日三度目のバッターボックスに入った。

「締まって行くぞー」

 一度立ち上がった石神くんは気合を入れると座り直してキャッチャーミットを力強く二度叩いた。いきなりチェンジアップの合図だ。考えてみたらこれまで初球からチェンジアップできたことはなかった。さっきのイッちゃんのヒットは初球の速い球に山をはったのではないかと勘違いしてくれたのかも知れない。

 かくしてピッチャーが速球と同じモーションで投げた球は、やはりチェンジアップだった。

 絶好球にヨッぴんが反応する。片足を浮かせたスタンスからドンピシャのタイミングで打ったヨッぴんの打球は弾丸ライナーで、あっと言う間にレフトの頭上を越えて行った。

 今日二本目のホームラン。これで3対0。

 石神くんはホームでイッちゃんとヨッぴんが戻ってくるのを見守ることになった。

「あいつの悔しそうな顔見るの最高だな」

 ハイタッチを求める湯田くんは大ハシャギしている。

「湯田、今の聞こえたみたいだぞ」

 ホームで石神くんがこっちを睨んでいる。ぼくは少しだけ石神くんが可愛そうになった。ぼくらは初回から桃三のプレーを見たイッちゃんが舐めてかかるなと気を引き締めてくれた。たいして桃三は今だにぼくたちのことを玉井くんは別としても、それ以外は素人の集まりだと思っている節がある。この気構えの差が圧倒的な実力差を埋めているに違いない。

「構うことはねえよ。俺たちの方が強いんだから、リトルリーグなんてたいしたことねえな」

 一塁側ベンチは、これで益々活気づいた。

 尚もぼくらの攻撃は続く、高橋くんは三球目のチェンジアップを狙い打ってセンター前ヒット。穂刈くんも二球目のチェンジアップを叩いてライト前ヒット。長谷川くんは速球を叩いて走者一掃のスリーベースヒットを打った。二点が追加されて5対0になった。

 このあとは、マッちゃんがレフト前ヒットを打ったけど次の玉井くんのセカンドゴロでゲッツーを取られてスリーアウトチェンジになった。

 桃三の攻撃はあと三回あるけど玉井くん相手に5点差はもう決定的だ。

 ここまでこれば最初の作戦通り、玉井くんが桃三打線を抑え込んで、桃二はこのまま勝つだろうとぼくは信じ切っていた。

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