第10話 実践デビュー

 ぼくたちはしばし呆然とする。今の桃三のプレーは何だ?

 石神くんの指示は素早くて適格だった。その指示に反応したピッチャーとファースト。あまりにもスムーズすぎて偶然とか運が悪かったみたいにも取れるけど、今のはたまたま成立したプレーじゃないのは明らかだ。彼らは普段からあらゆる事態を想定して守備の練習をしているんだ。石神くんの自信はピッチャーの実力だけに頼ったものじゃなかった。今の華麗なボール捌きは地道な練習の賜物なんだ。遊びの延長でやっているぼくらとは地力が違う。

「ドンマイ、ドンマイ」

 高橋くんたちが手を叩いてぼくと湯田くんをベンチに迎え入れてくれる。

 擦れ違いに次の打席に向かうイッちゃんを見ると、いつになく真剣な顔つきをしている。きっとイッちゃんも今のダブルプレーを見て実力の差を感じたに違いない。

 そのイッちゃんは初球からバットを振って打ちに行った。いい当たりで大きなフライになる。ベンチでは湯田くんが声を出して盛り上げている。だけど打球はイッちゃんが一塁に到達する前に、センターフライでアウトになった。

 結局一回表の攻撃は無得点で終わってしまった。

「ドンマイ、ドンマイ」

「これからだよ、これから。締まっていこうぜ!」

 みんなが一斉にグローブを手にしてグラウンドに駆け出して行こうとするのをイッちゃんが呼び止める。

「みんな、ちょっと待ってくれ。円陣を組もう」

 みんなが輪になって肩組みをする。

「この試合、このまま舐めてかかったら負けるかも知れない」

 やっぱりイッちゃんは、さっきの桃三のプレーに危機感を覚えたんだ。

「何言ってんだよイッちゃん。今のだってもう少しでホームランだったじゃないか」

 高橋くんが憤慨する。

「そうだよイッちゃん。あのピッチャー、玉井チンに比べたら全然たいしたことないんだぜ」

 ヒットを打った湯田くんの言うことには説得力があるけど、玉井くん頼みの今日の作戦は最早、黄色信号が灯っている。

「ピッチャーだけはな。だけどそれ以外は桃三の方が上かも知れない。さっき俺が打ったフライにしたってあれは打ち取られたんだ。ムカつくけど打った瞬間に石神の奴『チェンジだ』って言いやがった」

「素人がいつまで円陣組んでんだよ。まったく」

 桃三の一番バッターが打席で素振りをしながらこっちに聞こえるように口にしている。緒賀という一塁手の少年だ。

「じゃあどうするよ。イッちゃん」と湯田くんがバッターに向かって中指を突き立てながら言った。

「どうするも何も、玉井チンが抑えて、俺たちが打つしかないんだけど、思っていたほど楽には勝てそうもないってことだ。奴らは俺たちのことを舐めてる。相当な自信があるんだろ、でもそこが狙い目になるはずだ。そして最後に勝つのは俺たちだっ。石神の鼻っ柱を折ってやろうぜ!みんな締まって行くぞーっ」

「「「「「「「「おーーっ!」」」」」」」」

 イッちゃんの掛け声にみんなが声を張り上げて応じると、各々が守備位置に向かって走って行った。


「カミちゃんはもうちょっと前かな、前。あーその辺でいいよ」

 センターの長谷川くんがグローブをはめた方の手で、ライトのぼくの守備位置を細かく指定してくれた。

「マッちゃんも、もうちょっと前かな、そうその辺」

 今度はレフトのマッちゃんにも指示を出している。

 長谷川くんは塾が終わったあとの野球の練習には一度も参加していないけど、この落ち着きぶりは、ぼくを安心させてくれる。

「勇内太州、野球やったことあんの?」

 マッちゃんがどこかフワッとした感じで長谷川くんに訊ねている。

 外野からの景色は、一塁ベンチも三塁ベンチも含めてフィールドの全体を見渡すことができた。試合をしている全員の姿がひとつの視野に収まっている。外野はまるで蚊帳の外だ。

 なんだかこんなに遠くまで球が飛んでくるのが想像できない。でもついさっきイッちゃんはこの辺りまでカッ飛ばしている。

「野球なんてやったことないよ。でも俺は天才だから何でもできるんだ」

「マジで?まあ俺も初めてだけどさ」

 レフトのマッちゃんが笑いながら言っている。日当たりのいい芝の上で外野は別次元のようだ。できれば二人の会話は聞きたくなかった。

「お前たち、そんな大声で話してたら初めてだって桃三にバレるぞ」

 レフト側のファールゾーンのフェンス越しから、応援に現れたセンブーが注意をしている。ていうかセンブーの方が声が大きい。

 すると三塁側のベンチで石神くんが黄色メガホンを使ってバッターに叫ぶ。

「外野はザルだー、フライでもゴロでも何でもいいから打て!この試合コールドでもらうぞ!」

 三塁側ベンチが爆笑と手拍子で盛り上がり、石神くんに続いて他の選手もはやし立てる。

「俺たちリトルリーグで野球やってんだぞ、恥をかく前に棄権しろ!」

「紅葉山公園のグラウンドは今日から俺たちの物だ!」

 リトルリーグ?!やっぱり桃三は素人の集まりじゃなかったんだ!

 それでもぼくらのメンタルに動揺はない。むしろ挑戦的な気持ちが芽生える。

 玉井くんの実践デビューの相手には丁度いい。

 玉井くんはぼくたちの期待を背負って一球目を投じた。

 あいさつ代わりの剛速球は、桃三の盛り上がりを一発で消沈させた。二球目で全員が改めて目を疑い。三球目で桃三ベンチを丸ごとフリーズに追い込んだ。

 打者は3人揃って三球三振でアウトになった。

 自信満々で打席に立った桃三のバッターはバットに掠らせるどころか3人とも見逃しの三振に倒れたのだ。ライトの守備位置からも石神くんの口が開きっぱなしになっているのが見えた。

「奴ら玉井チンの投球に手も足も出なかったな」

 ベンチに戻ると湯田くんがザマアミロとばかりに声を張り上げる。

「あれでも玉井チンの全力には程遠いんだぜ」

 キャッチャーの高橋くんが誇らしげに言う。

「奴らリトルリーグって本当かよ?本当なら絶対に負けられねえな」

 4番のヨッぴんが立ち上がるとバットを抜いて二回表の攻撃に向かって行った。

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