第5話 理由

 ぼくはどんな経緯で桃三との試合が決まったのかイッちゃんに訪ねてみると。

 今度の試合には紅葉山公園のグラウンドで野球の練習をする優先権が賭けられているらしい。桃三の生徒の言い分によると紅葉山公園のグラウンドは一般に公開されているのに、いつもぼくたち桃二の生徒がグラウンドを占領しているのは不公平だと言うのだ。

「まあ俺たちは家も塾も近いから結果的に占領することになるのは、ちょっと可哀想かなって思ったりもしたんだけど、桃三の石神って奴がさ、俺たちのことをどうせ遊びの延長でヘタクソの集まりなんだからグラウンドを明け渡せ、とか言いやがってさ、実際に正式なチームでも何でもないんだけど、なら紅葉山公園のグラウンドの優先使用権を賭けて試合をしてやるよって言っちゃったんだ」

 イッちゃんはその時のことを思い出したのか少し興奮気味になっている。

「桃三は強いのかな?なんだか自信がありそうだけど、リトルリーグとか入ってたりして」

 ぼくは努めて穏やかに言ったが、胸中は焦りが渦巻いている。そんな事情なら負けられないじゃないか。ここは何としても上手に辞退する方法を模索しなきゃならない。しかしそう思う一方でイッちゃんが試合を持ちかけた気持ちが解らないでもない。ぼくたちには絶対的なエースの玉井くんがいる。桃三の生徒がどんなに上手かったとしても、あの玉井君の球が打てる小学生がいるとは思えない。野球素人のぼくでも断言できる。ぼくも玉井くんが次々に三振を取っていくシーンを観てみたい。

「でもなんだか、可哀想じゃない?仲良くやって行くことはできないの」

 まるでケンカ腰なのが心中穏やかじゃない。

 するとイッちゃんはぼくの顔を下から覗き込むようにしながら言った。

「本当はさ、優先権なんかどうだっていいんだ。そんなことよりワクワクしない?俺は遠足とか運動会の前の日よりもワクワクするんだ、全然違うんだよ。何でだと思うカミちゃん」

「……」ぼくの場合は、試合に出る実力がないから不安しかなくて、何も言えない。イッちゃんはニヤリと白い歯を見せると言った。

「学校の先生とか大人がいないからだよ」

 イッちゃんがどうしてみんなの中心的な存在なのか、その理由を垣間見た気がした。


「カミちゃん。今日もセンブー塾が終わったら練習しような」

 学校帰りにイッちゃんが言った。

「う、うんでも本当にぼくなんかで大丈夫かな」

 桃三との試合のことだ。ぼくは相変わらず野球に自信が持てないでいるのに、イッちゃんは一向にぼくのことを外そうとしない。本当は見物しているだけで十分なのに……。

「センブーが言ってたけど、カミちゃんに足りないのは自信だってさ」

「ってことは素質はあるってことかな」

 少し後ろを歩いていた湯田くんが割って入ってくる。

「自信だけしかなかった湯田よりは増しってことじゃね」

 と穂刈くんが言うと、ヨッぴんと高橋くんが爆笑した。

 今日は玉井くんだけは先生の家庭訪問があるから真っ直ぐ家に帰っている。塾にはあとから来ると言っていた。

「カミちゃん、玉井チンの投げる球を見てスゲーって思っただろ」

 イッちゃんは、本当にそう思っているのか確かめるようにぼくの目を覗き込んでくる。ぼくは自信をもってその視線を迎え撃つ。

「うん、凄いと思うよ。中学生だってそう簡単に打てないと思う」

 イッちゃんは満足そうに頷いた。

「だろ、玉井チンはさ将来は絶対にプロの選手になって活躍すると思うんだ。お父さんなんか元プロ野球の選手で今は球団のスカウトやってるんだぜ。今日の家庭訪問だって野球の強い高校が付属してる中学に進学するための相談だって言ってたし」

「そうだったんだ。やっぱり凄いんだね玉井くんて」

「イッちゃんその話本当かよ。だとしたら一緒に野球やれるのも今年限りってことじゃんか」

 湯田くんが本気で癇癪を起そうとしている。家庭訪問のことは初耳らしい。でもイッちゃんは湯田くんのなだめ方を知っている。

「大丈夫だよ。玉井チンは中学までは俺たちと一緒の学校に行くって言ってた。でも家庭訪問のことは口留めされているから内緒な」

「でも中学に入ってみんなで野球部に入って玉井チンと練習に明け暮れてたら俺たちもそこそこのレベルになれるんじゃね」

 とヨッぴんが言った。

「それは一理あるかもな。あいつの球が打てるようになれば、それだけでスゲーことだからな」

 珍しく穂刈くんが同調する。

「そっかなら俺も有名人になった時のためにイケてるサインを考えておかないと」

 泣いたカラスがもう笑った、という言葉が頭に浮かぶ。

「未だに、かすりもしないのに湯田のその自信がどっから湧いてくるのか不思議だよ」

 今日は高橋くんがツッコミを入れる。

「カミちゃん」イッちゃんがぼくの肩に手を置いた。

「とにかく俺たちが玉井チンと野球ができる時間はあまりないからさ、一緒にたのしく野球をやろうぜ」

「今日の練習もな」

 湯田くんがもう片方の肩に手を置いた。

「うん。ぼくも玉井君のピッチングを見ていたいから頑張ってみるよ」

 とは言ったものの、この時はまだぼくの野球に対する意欲はまだ半信半疑だった。

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