第3話 玉井チン&高橋(バッテリー)

 それからぼくがセンブー塾に入ったのは1か月も後のことになった。どうしてそんなに時間が掛かったのかと言うと、お母さんの反対にあったからだ。

 お母さんは中央学習塾の経営者が以前は近所でゲームセンターを経営していて、そのゲームセンターでケンカ騒ぎがよくあったことを、どこかで聞きつけていたからだ。その流れで中央学習塾には不良学生が多く集まっているんじゃないかという噂がこの近所で一人歩きしているらしい。

 ぼくが中央学習塾に行きたいと言ったとき、お母さんはしばらくフリーズしてからいった。

 きっとイッちゃんが言っていたPTAや学校の先生が押しかけたのはきっとケンカ騒ぎに原因があったからだとぼくは思う。

「過去の出来事から目を反らすのは良くないことだけど、それだけで現状を決めつけてしまうのも良くないことだよ。近所なんだし塾の先生に直接会って話してみたらどうだい」

 とお母さんに言ってくれたのは、もちろんお父さんだ。

 それからお母さんは更なるリサーチと中央学習塾の訪問の末に、晴れてぼくの入塾は決まったのだ。

「あの塾に通ってる小学生は、ほとんどが桃二なんですって、先生の人柄もいいし何も心配することなんてなかったわ、6年生のお母さんたちとも何人か友達にもなれたし」

 親の方が先に仲良くなっちゃうなんて少し恥ずかしいけど、クラス内でイッちゃん以外の生徒たちとも徐々にだけど話す機会が増えていったのは、お母さんのお陰でもあると思う。

 それからお母さんが嬉々としてセンブー塾のリサーチをしている間、ぼくはボーっとしていたわけじゃない。ドラクエの攻略に忙しかったのもあるけど、ぼくは一人で街の探索をしていた。駅にもブロードウェイにも遠回りしないで行けるようになったし、秘密の抜け道も開拓した。

 そしてぼくの家の裏手には公園があるのも発見した。その公園は打越うちこし公園と言ってすぐそばにあるのだけど、行くとなると実際には自転車で全力疾走してたっぷり5分は掛かる。すし詰めの住宅街が作った道路事情のせいでうちと公園は背中合わせみたいになっているから近いけど遠い。

 でもぼくはその打越公園でこの街の宝物を発見をする。


 それはよく晴れた日曜日の午前中のことだった。

 遠くの空でヘリコプターのパタパタとはためく音や、どこかのベランダに干された布団を叩いている音が響いている。どちらも乾いた音で、土曜日の夜からドラクエの攻略で徹夜明けのぼくには心地よく聞こえていた。

 パンッ。

 ヘリコプターでも布団叩きの音でもない。正体の解らないその音は、ベッドの上でまどろんでいるぼくの中で、消化不良をおこして徐々に眠気を奪っていく。

 パンッ。

 意外と近いぞ。この音は一体なんの音なんだろう。

 パンッ。

 気が付くとぼくは2階の窓から顔を出していた。

 この音は打越公園から聞こえてくる音だ。僕の部屋からは公園は緑に囲まれていて唯一見えるのはネットを張った背の高いポールだけだ。あの打越公園には狭いけどネットで囲まれているボールスペースがある。

 パンッ。

 間違いない。この音はそこから聞こえてくる音だ。

 ぼくは自転車に乗って打越公園に急いだ。公園に着くとフェンス越しにちょっとした人だかりができているのが見える。ぼくも空いている隙間に入り込んでフェンスに指を絡めた。音の正体は投球練習だったのだ。

 投げているのはやせっぽちの少年だ。

 パンッ。

 少年はランニングシャツに半ズボン姿で剥き出しの両手足は浅黒く、背を向けているけどスポーツ刈りはきっとよく似合っているはずだ。

 パンッ。

 腕と足は筋が浮き出ているほどなのに、本格的なフォームから投げるその少年の球は、今まで聞いたこともない風切り音をあげてキャッチャーミットの中に突き刺さる。

 パンッ。

 まるで火薬がさく裂したかのような音が響く。

 ぼくを含めた大勢のギャラリーが一斉にため息を吐く。ガリガリの少年によるバリバリの投球。このギャップが観ている者を惹き付ける。

 何度見ても飽きがこない。少年が投球動作に移るとドキドキする。

 パンッ。

 これで終わりかも知れない。そう思うと投げ終わりに少し寂しさえ感じてくる。

 観ているだけで気持ちを揺さぶられる投球。

 他のギャラリーもきっと同じ思いを共有している。顔を見ればわかる。

「あっ」

 その少年のプリントシャツの背番号18番には見覚えがある。不意に頭の中に浮かぶ。

 あの少年は同じクラスの玉井君だ!

 パンッ。

「凄い球を投げるもんだ」

 急に他のギャラリーに対して誇らしい気分になる。

 その凄い球を受けているのも同じクラスの高橋君だ。彼は玉井君とは対照的で相撲取りの様に身体が大きい。

 玉井君の投げる球を受けれる人が同じクラスにいるなんて、それも凄いと思う。

 そしてこの二人と同じクラスだんて、奇跡としか言いようがない。

 

 小学生が学校で一番忙しい時間は授業の合間の短い休憩時間だ。5分しかない。一日に何度かやって来るこの5分休憩のあいだに、ゲームや漫画の情報を交換したり、YouTubeの話題で盛り上がったり、プロレスごっこをしながら放課後や週末にどこで遊ぶのか会議をする。みんなこの時間ために学校に来ているようなものだ。

 でもぼくはまだ、そんな生徒になり切れていない。

 ぼくはこないだの一件で、イッちゃんとは友達になったけど、学校でイッちゃんを捕まえるのは至難の業だ。休み時間になるとイッちゃんの周りには生徒の輪ができる。まるで大型連休中の新幹線の中みたいに満席になっている。きっと指定席の売り場があっても、もう卒業するまでソールドアウトになっているはずだ。この人気ぶりを目の当たりにすると、やっぱりイッちゃんはクラスの中心的な存在なんだと思い知らされる。ぼくはいつも遠くからイッちゃんのことを眺めているしかない。

 だけどどうしてもイッちゃんと玉井君のことで話がしたいと思っていた。玉井君がどれほど凄いのかイッちゃんの口からも聞いてみたい。でもあれだけ凄いのに教室では一切話題にならないのがちょっと気になる。もしかして玉井君のことは内緒だったりして?

 それにしてもイッちゃんとぼくの距離は同じクラス内でも実に遠い。それは5分と言う短い休憩時間のせいでもある。

 そこでぼくは一計を案じる。休み時間が駄目なら授業中だ。幸いにもぼくとイッちゃんの席は離れてはいるけど横並びだ。

 ぼくはノートの端を破いてメッセージを書くと、それを丸めてイッちゃんの机に投げた。


『昨日、打越公園で玉井君と高橋君が投球練習をしているのを見たよ。凄かったよ!』


 ほどなくしてイッちゃんが咳払いをした。見ると白いすきっ歯をみせて笑っている。そして先生が黒板に向かっている隙に返事を投げ返してくれた。


『玉井チンは俺たちのピッチャーなんだぜ。お父さんは元プロ野球選手だったんだ!でもこのことは本人には聞いちゃダメだぞ。それより今度の日曜日に桃三の6年と野球の試合をするからカミちゃんもこいよ』


 思わず声が出そうになるのを我慢しながらぼくは頷いてみせる。

 するとイッちゃんは先生が黒板に向かっているあいだに、あちこちと手紙爆弾を投げた。それを呼んだ仲間が次々に僕に向かって笑顔で親指を立ててくれる。玉井君と高橋君も同じように親指を立ててくれたのには感激した。あのバッテリーと友達になれる。考えただけで興奮してくる。

 次の休み時間からぼくはイッちゃんを中心とする輪の中に入るようになった。

 こんな日がやって来るなんて信じられなかった。もう何を話したのかまるで覚えていない。確かなことはぼくのセンブー塾の初日が今日の放課後からということ。

 

 ぼくの学校生活がこの日を境にして大きく変わろうとしていた。

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