第2話 イッちゃん(3番・ショート)
金髪君の名前は圭樹(ケイジュ)と言うらしい。
名前を呼ばれた圭樹のひじから力が抜ける。そしてぼくと同時に声がした方を見遣る。
「磯村っ」
「磯村君!?」
磯村君は僕と同じクラスの生徒だ。まだ一度も話したことはない。名前を呼ぶのもこれが始めてだ。ぼくの中でなんだか見られたくない所を覗かれたよう気恥ずかしさが込み上げる。
「そいつうちのクラスなんだ」
磯村君は階段を下りながら言う。膝がしらにバンドエイドが張ってあるのが見えた。そして磯村君はその手にぼくと同じ袋を握っている。おそらく中身も同じものが入っているに違いない。
「そんなの関係ねえだろ。俺はこいつに足を踏まれて怪我をするわ、ドラクエを買い損ねるわで、それこそ踏んだり蹴ったりなんだぜ。それとも磯村、お前がそのドラクエをくれるってのか」
すると磯村君は腹を押さえながらゲラゲラと笑い出した。
「何がおかしいっ!磯村」
「だってお前、昨日センブー塾で今月もう金がねえって言ってたじゃねえか、何がドラクエを買い損ねただよ笑わせんなよ。それに身体が頑丈なことしか取り柄のねえ奴が足を踏まれたくらいで怪我なんかするわけないだろ。いい加減にしないとセンブーにチクるぞ」
磯村君は笑いながらもぼくと圭樹の間に入ってきて、ぼくのことを圭樹の前から引き剝がしてくれた。
センブーにチクるぞ。このひと言で圭樹と言う少年は毒気を抜かれたかのように、それまでの険しい形相を崩し、頭を肩の上でグルリと回してから言った。
「バーカ冗談に決まってんだろ。浮かれ気分で歩いている無防備な少年に世間の厳しさってのを教えといてやろうと思ったんだよ」
これが冗談だとはとても思えないけど、どうやら僕は助かったみたいだ。
磯村君は力強くぼくの腕を引いてくれた。
「何が少年だよ。同じ歳のくせに」
これには驚いた。圭樹という金髪の少年は、どう見ても中3くらいにしか見えないのに実はぼくらと同じ小学6年生だったのだ。そしてもっと驚いたのは、
「アバよ、センブーにチクるんじゃねえぞ磯村」
と言い残して再びドラクエが売っていた店の方へ引き返して行ったことだ。きっとぼくに変わる獲物を物色しに行ったに違いない。なんて逞しいんだろう。ぼくの田舎には絶対に生息していないタイプだ。
「あいつ、本当に懲りない奴だな」と磯村君が苦笑しながら言った。
「助けてくれてありがとう」
いつの間にか涙が溢れそうになっていた。これで目をこすったら泣いたのを認めているみたいで恥ずかしいから我慢をする。
「何が?」磯村君は何ごともなかったかのように言ってくれる。「もう帰るんだろ。行こうぜ」この人はなんて爽やかなんだろう!ぼくだったら少しくらい恩着せがましいことを言っているはずだ。圭樹という金髪君もそうだったけど磯村君だってとても同じ歳の人とは思えない。
ワンピースを買うことなんて、もうどうでもよくなったぼくは踵を返して磯村君の背中を追った。
転校して来たばかりのぼくは新参者らしく、いつも教室では大人しくしている。それでも席は一番後ろだから最初の1週間で、なんとなくクラスの雰囲気はつかめていた。
とにかく一番印象的なのは「イッちゃん」とうい言葉が日に何度も飛び交うことだ。磯村君はとびっきりの優等生でもなければ学級委員でもないのに、誰もが一日に一回は磯村君に何かを話しかける。なぜかみんなイッちゃんと関わりたがる。
見た目はごま塩頭で、目は一重で細いし、歯はすきっぱだから決してイケメンとは言えないけど、要するにイッちゃんはクラスの人気者。
クラスのみんなはイッちゃんから元気をもらうために話しかける。
もし磯村君が病気で学校を休むようなことがあったら、その日はきっとひどくつまらない1日なるだろうなって簡単に想像できてしまうんだ。転校して来てまだ一度も話したこともないぼくがそう思えてしまうほど磯村君の存在は異質なんだ。
だからこそ同じクラスでありながら、磯村君と新参者のぼくとの距離は一番遠いいと思っていた。なのに、その磯村君が学校の外で、しかもこの街で一番混雑しているに違いない場所でぼくに気が付いて助けてくれるなんて、まだ信じられない。
そして今こうして肩を並べて歩いていることも。
「村上っちは、前の学校で何て呼ばれてた?」
不意に磯村君が言った。ぼくの名前を知っていてくれたことに更に感激する。頭が真っ白になったぼくは思わず聞き直してしまった。
「だから、あだ名だよ、あだ名」
「あぁ、……前の学校では、カミちゃんとかかな」
自分で自分のことを”ちゃん”付けして顔が熱くなった。磯村君は納得顔で頷いているようだ。
「OKっこれからはカミちゃんて呼ぶからな。俺のことはみんなと同じように」
「わかってる、イッちゃんでしょ」
ぼくははじめて磯村君のあだ名を口にした。そのことが凄く嬉しかった。
イッちゃんにとっては、ぼくはただの同じクラスの生徒でしかないのかも知れないけど、それだけで今のぼくは満足している。
「イッちゃん。さっきの圭樹って人は、学校でまだ見たことがないけど何組の生徒なの?」
一緒のクラスじゃないのは確かだけど、すぐ隣のクラスだったりしたら明日からの学校生活が憂鬱になる。
「あいつとは塾が一緒なだけで、あいつの学校は桃二じゃないよ」
僕は内心で胸を撫で下ろしてホッとする。それにしてもあんな金髪の不良小学生が塾に通っているなんてちょっと考えられない。
「塾ってさっき言ってた、センブー塾ってやつ?」
イッちゃんは愉快そうな顔をして僕を見る。間近で目が合うと少しドギマギする。
「うん。本当はさ中央学習塾って名前なんだ。センブーってのは塾の先生のあだ名なんだ。そんでもってセンブーの塾だからセンブー塾ってみんな言ってるんだ」
「もしかしてその中央学習塾って5丁目にあって塾の看板にフレンドってシールが貼ってある?うちのすぐ近所なんだけど」
「なんだ知ってんじゃん。そこだよ。そこ。そこがセンブー塾だよ。あのフレンドってステッカーは俺が看板に貼ったんだ」
イッちゃんはいたずら小僧のような目をして言った。
「どうしてそんなシールを貼ったの?先生は怒らなかった?」
「起こるも何も、センブーはさ元もと近所にフレンドってゲームセンターを経営していて、客はほとんどが俺たちばっかりで半分たまり場になっててさ、それがけっこう噂になっちゃって、このまま俺たちが中学生になったら不良になるからってPTAとか学校の先生とかが、センブーの家に押しかけて小学生は出入り禁止にしろって迫ったんだぜ、信じられねえだろ。サンモールだってブロードウェイだってゲーセンなんか沢山あるのにさ」
「それでどうなったのフレンドは?」
「潰れたんだ。でもそれからひと月もしないうちにあの塾が出来上がったんだ。センブーは別の形で俺たちのたまり場を作ってくれたんだ。内緒だけどセンブー塾の教室にはさ何台かゲーム機が置いてあるんだぜ」
もちろんそれはタダで遊べるらしい。そんな内緒話を打ち明けてくれたイッちゃんの気持ちがぼくは嬉しかった。
「家が近いならカミちゃんもセンブー塾に入れよ。面白いぜ」
確かに面白そうだ。ぼくの家は近所だからセンブー塾の前をよく通るんだけど、垣根の向こうにある教室から笑い声がよく聞こえてくる。あの教室の中に自分がいることを想像するのは楽しい。だけどやっぱり……
「でもさぁ、塾にはさっきの圭樹って人もいるんでしょ」
「ああ、それなら心配いらないよ、あいつ滅多に来ないし、もうすぐ埼玉に引っ越しするんだ」
なんだか急に気分が晴れ晴れしくなる。でもそんな自分が嫌になって嬉しそうな素振りは見せなかった。
「そうなんだ。別にいいんだけど、じゃあ帰ったらお母さんに相談してみるよ」
話しているうちに僕らはブロードウェイから出ていた。偶然同じところに自転車を止めていたから、家が近いぼくらは同じ方向に走り出した。
ちなみにイッちゃんの家は、ぼくの家よりもセンブー塾に近くて、磯村君のお父さんは中野駅の北口で寿司屋をやっている。
「ここ俺んちなんだ」
自転車をこぎながらイッちゃんが指をさした店の看板には、磯寿司と金色の文字で書かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます