第5話 凛side

「お待たせ、ごめんね、話の途中に」

「いえ、いいの」

 コーヒーの氷は溶け切っていた。結露が涙のように流れて、水溜りを作っていた。

 千愛はパフェを黙々と口に運んでいる。表情は固い。

「……なんの電話?」

 自分の声が震えている。それに気付くと、収まりかけていた体の震えがまた激しくなってしまう。

「あー、雨が降りそうだから早く帰ってきなさい、って」

 ふと窓の外を見ると、傘を差す人たち。まもなくして、窓に叩きつけるような雨が降り始めた。

「雨、強いね」

「……ただの夕立でしょう、きっと」

 自分に言い聞かせるようにそう呟く。

 千愛はパフェを平らげると、ナプキンで口の周りを拭いた。

 千愛はそれからずっと窓の外を眺めている。

 しばらく無言が続いて、私は消えてしまいたいと思いながら、窓に打ち付ける雨音を聞いていた。水っぽいコーヒーが空になっても、私たちはしばらく座っていた。結露の水たまりが私のスカートを濡らし始めた頃、千愛が思い出したように席を立って、私も続いた。お金は別々に支払った。

 店の外はまだ土砂降りだった。

 屋根の下、千愛は儚げに空を見上げている。

 千愛は、私を気持ち悪いと思っただろうか。

 もう隣で笑ってくれないのだろうか。

 私たちはこのまま、無言で別れてしまうのだろうか。

 不安で、不安で、押し潰されそうになる。

 千愛が折り畳み傘を取り出している。私もカバンの中を探ったが、いつも入れているはずの折り畳み傘はそこに無かった。そういえば、この前壊れたっきり、買いなおしていなかった。千愛と一緒にいるばっかりで、自分の物を買う時間なんて無かった。というより、そもそも要らないと思っていた。

 千愛がいなくなったら、私はどうすればいいの?

 私には友だちがいない。趣味もない。夢もない。私のやりたいことは、千愛がやりたいことで全部だった。

 そうか、私は空っぽなんだ。そう思うと、もう胸が苦しくて、痛くて、たまらなくなって、涙が勝手にあふれてきた。

「凛!?」

 私は慌てて顔を隠したけど、千愛はすぐに駆け寄ってきて。次の瞬間、私は千愛の胸の中にいた。少しかがむ格好になって、腰が痛い気がする。けれど、千愛のお日様のような香りが、それを上書きする。

「凛、ごめんね、不安だったよね、ごめんね」

 千愛の腕が、ぎゅっと私を抱きしめている。さっきまでの態度が嘘のように千愛は優しくて、だからこそ苛立ちを感じてしまった。

「分かってるならなんでさっき黙ってたの」

 嗚咽しながらだったが、それは自分でも思ってもみないほど、刺々しい声だった。こんなこと言うべきじゃないと、頭では分かっているのに、口は勝手に動いていた。

 千愛は腕をほどいて、後ずさりするように、私から離れた。

「それは……びっくりしちゃって。凛が私のこと、そんな風に思ってるなんて、全然気づかなかったから」

「私はアピールしてた」

 千愛は俯いて、ごめんね、と力なくつぶやいた。

 その表情は今にも泣きだしそうで、私の胸がズキリと痛む。

 私は気が付くと、雨の中に駆け出していた。雨粒が痛いくらいに打ち付け、ブラウスは一瞬で体に張り付き、スカートは重くなった。足が水たまりを踏み込み、靴の中に水が入り込む。涙と雨が一緒になって、私の顔はぐちゃぐちゃだった。とにかくその場から逃げ出したくて、めちゃくちゃに走った。


 気付くと、駅にいた。

 息を切らしながら振り返るが、そこには忙しなく行き交う会社帰りの大人たちがいるだけで、千愛の姿はどこにも無かった。

 どこかに期待している自分がいた。千愛が必死に追いかけてきてくれるのではないかと。

 でも、そんなことは無かった。

 どっと、疲労感が押し寄せてきた。

 何やってんの、川出凛。

 一方的に告白して、八つ当たりみたいに冷たくして。

 普通、戸惑うに決まってるじゃない。同性に告白されたら。

 私はもう立っていられなくなって、近くの壁にもたれかかると、そこに座り込んだ。壁も床も、ひどく冷たい。道行く大人たちが、こっちを盗み見ているのが分かる。そういえば、下着も透けてしまっている。けれど、隠す気にもならない。髪から落ちる雫を、ただぼーっと見つめる。

 もういいや。どうなっても。

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