小さな傘屋のメロディ
@ramia294
第1話
もう、10年以上も前の事になる。
この街にも映画館があった。小さな劇場だったが、清潔感があった。
その頃、今では信じられないが、名画座もこの街にあった。
あまり清潔とはいえない階段を降りて行き、薄暗い照明の中、古びた椅子に座る。何処からともなく独特の臭いが、劇場に流れ込む。
何の臭いだろうか?
あまり好ましいものでは、なかった。
そんな古びた劇場だったが、上映されている映画によっては、僕は、その階段を降りた。
名画座で、その映画が上映される事を知ったのは、駅近くの女子大の傍にある看板だった。貼られたポスターは、男の子が自分のカバンで、女の子を雨から庇っていた。
懐かしさに自然と足が、名画座に向き、僕は、初恋と再会した。
この映画に、初めて出会ったのは思春期、深夜のラジオを聴き始めた頃だったと思う。
夜は、僕らの味方だと、ラジオは、囁きかけていた。
月は、優しく僕を見守り、街の灯りは、孤独を隠してくれた。
映画の中の少女の微笑みは、僕を釘付けにして、彼女の揺れる髪は、昨日まで積み上げてきた心の壁を簡単に壊してしまった。
映画の中、初めてふたりが、デートした日。リンゴをかじりながら男の子は、50年の愛を誓った。
僕なら永遠を誓う。
その頃は、本気で、そう信じていた。
僕は、映画の中の少女に恋をしてしまった。
つまり、初恋をこじらせてしまったのだ。
大人は、スクリーンの中で、ふたりの邪魔をする。
映画は、教える。
大人は、いつも僕らの敵だ。
初恋をこじらせた僕は、夜の街に逃げ込み、恋するふたりは、花畑を駆け抜けた。
彼らは、ふたりだけの世界へ旅立ち、僕は、ひとりの夜に慣れていった。。
僕の恋愛恐怖症は、この時から始まった。
すでに中年男もベテランの域に差し掛かった僕は、相変わらず、恋から目を背け、夜の街に逃げ込んでいた。
この映画のリバイバル上映や、各地の名画座に現れる事は、何度かあった。
県境を越えれば、初恋の彼女に会うチャンスは、あったのだ。
しかし…。
この映画を観れば、鏡を覗き込む様に、自身の姿を思い知らされるのではないかと怯えた僕は、初恋から、ひたすら逃げてきた。
明るくなった館内を後にした。
夜の街に、吐き出された。
相変わらず月は、優しかった。
今夜も街の灯りは、周囲を冷やす光を投げかけている。しかし、いつものように、僕の姿を隠してくれない。
ありのままの姿に、気づかないふりをする事に、力を貸してくれない。
夜が味方をしてくれるのは、子供ではない。月は、いつだって、嘘つきに優しい。街の灯りは、自分を裏切った数だけ、夢を与えてくれる。
やはりあの映画は、覗いてはいけない、禁断の鏡だった。
等身大の僕の姿が、そこにあった。
嫌っていたはずの大人の中で、日々を過ごす僕は、誰にも恥じる事のない、立派な大人だった。
作り笑いと嘘と裏切りをカバンに詰め込み満員電車に日々揺られる僕を、夜が優しく包み込んでくれるのは、大人だからだ。
気付かないふりをしていた自分の姿に、目を背けられなくなった僕は、大人の切り札を使う。
『諦め』。
(ため息というスパイスを振りかけますと、より旨く自分を嘲笑出来ます)
およそ、思春期をこじらせた者には、にぎやかな街は、眩しすぎる。
つい、避けてしまう。
困る事が、いくつかあるが、仕事が休みの日のランチもそのひとつだ。
インスタント食品の急速な進歩を追い抜く勢いで飽きがきて、コンビニ弁当ともひと通り仲良くなった頃、僕は、街外れを彷徨う事になる。
もちろん、賑やかでない所には、お店も少ない。
その通りは自宅から近く、人通りが少ない。何故ならいわゆるシャッター通りの商店街だからだ。
数年前までは、ほとんどのお店が閉まっていたが、最近は、数軒の新しいお店が、現れ始めた。
しかし、駅前の賑やかさには、遠く及ばず、僕は、好んでここに来る。
寒さと面倒も空腹には勝てず、諦めも通じない。いつものお店に、足を運ぶ。
相変わらず客は、少ない。しかし花見の季節には、バイトを入れるほど、賑わう事もあるので、注意を要する。
家庭的な味(もっともこんなに美味しい物を毎日出されると、子供が将来社会に出た時に苦労するだろう)を堪能すると、人通りのない通りを歩いてみた。
視線に気づいたのは、珍しく野良猫以外に動く物が目に入ったからだ。
その傘屋の店主を見た時、映画の中の初恋の少女だと思った。
今は冬。
この地方は、盆地だ。
底冷えをするが、雪は降らない。
しかし、今年は、特別に寒いらしく、天から羽根の様に舞い落ちる雪をすでに数回経験している。
「雪除けの傘が、欲しいのですが」
彼女の姿を確認したくて、傘屋のお客に、なった。
傘屋の店名は、『メロディ』。
店主は、まだ若い。しかし、映画の少女よりも明らかに、年上だ。どうして、あの少女の様に思えたのか、分からない。
彼女は、1本の傘を差し出した。
「この街で、雪除けの傘を求められる事は珍しく、この1本しか有りません。よければこれをどうぞ」
木で出来た中棒と、光沢のある不思議な素材の布が張られた傘。
「その傘は、北国の古い犬ゾリから削り出した木材を中棒にして、傘布は、天女の羽衣と呼ばれる高級な布を温かいココアで染めた物です。天から降る雪は、ほんの少しだけ幸運を抱えて、地上に舞い降ります。この傘は、抱えた幸運を誰に渡すのかを雪のみんなでお喋りしている会話を聞くことが出来る楽しい傘です」
とても綺麗な、店主。透き通る様な白い肌と、濡れた様な赤い唇。少し丸い顔と、大きな目。角度と明るさで、少女にも大人にも見える。身に着けているブラウンのエプロンと、わずかに鼻にかかる声も魅力的だ。しかし、彼女は、不思議系らしい。
「では、その傘をもらいましょう。それにしても、この街で、この通りで、傘屋さんとは、珍しい。何故傘屋さんを?」
「すぐ近くの女子大で、季節の傘を楽しむ学部を卒業しました。皆さんにも楽しんでいただこうと、傘屋を始めました。桜の花を集めて作る傘を作りたくて、桜並木の傍にお店兼工房を持ちました」
僕の学生時代は、遥か昔。今の大学には、そんな学部があるのか。
店の隅の棚に、もう一つ傘があった。
「それは?」
「その傘は、冬の雨を慰める傘。冬の雨は、雪になれなかった雨。雪は、幸運を抱えて降りて来るのに、同じ季節に降る雨は、不運と妬みを抱えて降りて来ます。冬の雨に打たれると、孤独を感じるのは、そのためです。この傘は、古い楽器を削ったものを貼り合わせて、中棒を作っています。傘布には、やはり天女の羽衣を深夜に降り注ぐ月の光でコーティングした物を使います。この傘に降る雨は、傘に落ちる時に、不運と妬みから、切り離されて、その音で音楽を奏でます。雨としての最後、川としての始まりに、彼らを慰める音楽を奏でる。これは傘の形の楽器です」
「それも、貰えるかな?」
自分の部屋で、2本の傘を持ってため息をついた。
何故こんな無駄な事をしたのか?
こじらせた初恋は、僕に無駄遣いを教える。
翌日から、無駄遣いにならないよう、傘を持ち歩いた。
天気予報は、毎日、
「平地でも雪になるかもしれません」
を繰り返す。
『あなたの恋は、実るかもしれません』
との違いを指摘出来ない僕は、気象予報士になればよかったと、思った。
この地方では、雪が少ない。
雪のお喋りを聞きたい僕は、少しでも可能性がある日は、朝から晴れていても、傘を持ち歩くしかない。
仕事からの帰宅途中、あの商店街を通る。傘屋の店主に会う事が多くなり、挨拶を交わす様になった。
「また、傘をお持ちなのですね」
「天気予報では、雪かも?と言ってましたからね。雪のお喋りを聞く事が出来れば、どんな話をしていたか、お伝えしますよ」
僕は、思い切って話を続けた。
「この前の話しですが、桜の傘とは、どんな傘なのですか?」
「傘布は、桜の花びらを集めて、ジャスミンティーで煮たもので、天女の羽衣を染めます。中棒は、何でも良いと言われていますが、私は、大きくなりすぎ、樹を守るため剪定された、やはり桜の木を使いました。傘布以外は、すでに完成しています。つまり、今は、花待ちの傘。恋に恋している天女は、本物の恋を求めています。桜の傘は、天女のために、作る傘。思い人とふたりで使うと、永遠の愛を約束される傘。傘布用の天女の羽衣をいただく、お礼です」
要は、桜の傘で、相合い傘をすれば、その恋は成就するという事か。相合い傘をする時点で、半分目的は、達していると思うが…。
店主と話す時間は、楽しい。
もっとも、恋には、誰よりも後ろ向きの僕は、店主の顔を見つめない様にした。
これが、いけなかった。
僕の中で、映画の少女と、店主の姿が、どんどん重なっていった。
次の日は、寒さが緩んだが、雨だった。
冬の雨の傘を差して、僕は歩いた。雨が傘に落ちるたび、音楽を奏でた。
音楽は、あの頃の
大人世界へと、楽しい夜はこちらだよと、あの頃の僕を誘った曲の数々。
店主によると、雨を慰める音楽は、持ち主を慰める音楽。
その頃をこじらせた僕には、天が手放す滴よりも、持ち主が流す涙のほうが、大雨になりそうだ。
翌日は、再び寒さが戻った。
天気予報は、今日も雪。
雪のお喋りを聴きたくて、今日も傘を持ち歩く。
帰宅途中、商店街にさしかかると、ついに雪が、降った。
さっそく傘を開く。
雪のお喋りは、賑やかだ。
「あの赤いマフラーの娘に、僕は降るよ」
「あのコートの男の人に、私は降るわ」
たくさんの声が、僕に届く。
しかし…。
僕は、傘屋まで歩き、店主の傍に立った。
傘を開く。
「雪が、僕に話しかけたんだ。君の元に行けと」
少し前。
商店街の入り口で傘を開くと、しばらくお喋りしていた雪は、僕に近づいてきた。
「君は、重症だね」
人通りが、少ないからか、雪が、集まってきて、僕に話しかけた。
「僕たちが、持っている幸運では、ぜんぜん足りないよ。仕方がないから、僕たちと共に天界にいた仲間の元に、向かってください」
雪は、僕に傘屋に行くようにと、促した。僕は、店主の元に向かった。
「君が天女へのお礼だと言っていた、あの桜の傘は、君のための物だったのだね。雪たちは、君がかつて天の世界で、共に生きた仲間だと言っていた。つまり君が天女だということだね」
店主は、雪たちにその手を差し出し、幾つかの幸運を受け止めた。
「私は、空から地上を覗いて、ずっと人間に憧れていました。共に生きる相手のいる人間。恋する喜びを経験したくて、地上に降りてきました。でもダメでした。私は、恋に向いていない様です」
僕は、少し笑った。
ここにもこじらせてしまった
しかし、彼女は、桜の傘を作り始めている。きっと諦めきれないのだ。
「恋をするには、相手が必要。相手も人間だから、いろいろ思いがある。思い通りにならないものが恋かな。想像だけど」
経験が、無いのだと正直に付け足した。彼女も少し笑った。
「喜びが、泉の様に湧き出てくるのが、恋だと思っていました。しかし、幸せと同じだけ、苦しさが、湧き出すのです。私には無理でした。逃げ出してしまいました」
「湧き出る喜びだけに、目を向けて、寂しさや苦しさが湧き出すと右往左往するのが恋なら、湧き出す泉そのものを受け入れるのが愛かな?」
経験も無いくせに、よく言うと、自分でも思った。ただ、彼女の望みを叶えてあげたかった。諦めてはいけないよと言いたかった。舞い落ちる雪の魔法か、勝手に口が動く。
「よければ、もう一度挑戦してみればどうですか?」
さすがに、その先を口にするのは、少し躊躇ったが、その時は、思い切れた。
「どうか、桜の傘が完成した時には、僕に譲ってくれませんか。僕は、あなたとふたりで使いたいと思います」
それから1年が過ぎた。
彼女が、完成させた桜の傘は、僕の元にある。
次に雪が降った時、彼女とふたりで、この傘を使うつもりだ。
今年も天気予報は、
『平地でも雪になるかもしれません』
を繰り返している。
終わり
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