第2話 苛立ちと不安

「おはようございます」

「おはよー。今日もダーリンと一緒に出勤?」


 自席に着くと、すぐに隣の席の先輩に声をかけられた。


「山野さん、いいなぁ。あんなイケメン彼氏を毎朝拝めるなんて」

「それも朝日奈さんって顔だけじゃないですからね! この間なんて、書類の処理に困っていたら、違う部署のことなのに笑顔でさっと対応してくれましたよ! ほんと心もイケメン!」


 いつの間にか後輩まで話しに加わっていた。

 二人の勢いに押された私は、とりあえず苦笑いで『そうですか……』とだけ答えた。


 職場での真は、コミュニケーション能力が高い上に仕事もできるので、営業部のエースとして男女問わず周囲からの信頼が厚い。

 そんな彼氏を持つと彼女としては鼻が高いはずなのだが、実際は困ることの方が多い。その中で最も私を悩ませているのが女子社員たちからの妬みだ。


 私は周りから冷やかされるのが嫌で、職場では必要以上に真と接触するのを避けてきた。だから私たちが付き合っていることを知らない人も多く、その中にはチャンスを掴もうと真を狙っている人までいる。そんな女子社員たちが何かのきっかけで私の存在を知ると、知った途端『何であなたなの?』となるのだ。


「あの人が朝日奈さんの彼女なんでしょ?」

「マジで!? 朝日奈さんって仕事できるけど、女見る目ないね~」


 今日も昼休みに、どこの部署かも分からない人からすれ違いざまにこんなことを言われてしまった。

 確かに、私は他人に笑顔を振りまくような性格ではない。だから、『真の彼女に相応しくない』と思われるのは仕方のないことだと自覚はしている。でも、さすがに本人を前にして直接言われると傷ついてしまう。

 嫌なことは忘れようと無心でパソコンの打込み作業をしていると、真が珍しく総務課に書類を持ってやって来た。


「山野さん、この処理お願いしてもいい?」

「はい、わかりました。今日は処理が立て込んでいるので、明日でもいいですか?」

「うん、大丈夫。ありがとう」


「……二人って、家でもそんな感じなの?」


 私と真の会話を聞いていた先輩が声をかけてきた。


「これはもちろん会社用ですよ! 家では毎日ラブラブです。俺の大切な雫をいじめないでくださいね!」


 真は持ち前の営業トークで彼氏として完璧な回答をし、聞いた先輩を赤面させていた。


 いつ結婚しても良いほどの年月を一緒にいて、二人とも年齢的にそろそろ落ち着くべきだと思うのに、私たちの間には結婚の話が出てこない。それでも私は大切にされていると言えるのだろうか……。

 彼の営業トークをどこか他人事のようにぼんやりと聞きながら、私はそんなことを考えていた。



 残業を終えて急いで家に帰ると、真はまだ帰ってきていないようだった。

 疲れた体に鞭を打ち、すぐに晩御飯の準備に取り掛かる。もうすぐ完成というところで真から着信が入った。


「あっ、雫? 突然で悪いんだけど、今晩は接待だった。だから晩メシはいらない」

「え……、準備しちゃったよ。朝かさっき会った時にでも教えてくれたら良かったのに……」

「営業部メンバーは毎日スケジュールがいっぱいなんだから、一つくらい言い忘れても仕方がないよ。じゃ、よろしく」


 そう言うと、真は電話を一方的に切った。


 ダイニングテーブルに並べられた二人分の晩御飯を眺めるとため息が出た。

 会社での真の言葉が何気に嬉しかったのだろうか、無意識のうちに彼の好物を作っていた。食べようと思っても一人だと食欲も湧かない。

 キッチンで片付けていると、真への怒りと仕事の疲れがどっと押し寄せてきた。


 ――私は今幸せなの?


 突如、行き場のないこの苛立ちと、先が見えない漠然とした不安で心がいっぱいになり、堰を切ったように涙が溢れてきた。私は一人キッチンに座り込み気が済むまで泣いた。

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