第一章 私たちの生き方

第1話 私たちの日常

 私こと《山野雫やまの しずく》は、隣で眠る《朝日奈真あさひな まこと》と一緒に今は都心から離れたこの静かな町で暮らしている。


 初めて出会った頃すでに社会人だった5歳年上の真は、きちんと着こなしたスーツ姿が印象的で、大学の同級生とは比べものにならないくらい頼もしく感じられた。

 歳は離れているが、私たちは何かと気の合う二人だった。いつの間にか自然と二人でいることが多くなり、私の大学卒業を待って付き合い始めた。


 出会いから10年。付き合って間もない頃は、お互い20代ということもあり喧嘩もたくさんした。しかし付き合いが長くなるにつれ、意見の食い違いがあってもストレートに感情をぶつけ合うことはなくなり、お互いに一歩引くことが上手くなった。


「二人は一体いつになったら結婚するの?」


 家族や友人から同じことを問われる度、いつかは結婚するのだろうと思ってきたが、別に強く意識したことはなく、これまで色々と理由を付けては結婚を先延ばしにしてきた。

 そんな私ももう30代。お互いに自由で縛りもない気楽な生活だが、本当にこのままで良いのだろうか……と疑問を感じるようになってきた。



「真、起きて。会社遅れるよ」


 朝食の準備をしながら真に声をかけたが、まだ深い眠りについている彼には聞こえない様で、寝室からは起きる気配が全くしない。


(ほんと朝から手がかかるなぁ)


 今朝見た夢の後味の悪さが今だに残っていたからか、何も知らずに気持ちよく眠り続けている彼に少し苛立ちを感じた。しかし、このまま起きるのを待っていたら二人とも会社に遅れてしまう。


「真、そろそろ起きないと」


 ベッドの脇に立ち、文句の一つでも言いたい気持ちを抑え優しい声で起こす。

 寝起きが決して良いとは言えない彼のため、私は自分の気持ちに蓋をして、彼が気分良く起きられるように毎朝気を使っている。それが正しいことかは分からないが、とにかく朝から喧嘩はしたくない。永く一緒にいるためには、余計な波風は立てない、というのが最近の私の持論だ。


 何度か声をかけ、ようやく『う〜ん』と寝ぼけた声が聞こえたかと思うと、布団の中からスッと手が伸びてきて私をベッドに引きずり込んだ。


「ちょっと! もう時間ないってば!」


 真は抵抗する私を強く抱きしめると、まだ眠そうな顔で『おはよ』と言ってキスをした。

 甘え上手な彼女だったなら、彼の愛情表現を素直に受け取りこの状況を楽しんだりするのだろう。しかし、私は何事もなかったかの様に乱れた髪を整えながら、『早く準備してね』と一言残しベッドを下りた。



 朝食が出来上がる頃、髪をセットし、細身のスーツを完璧に着こなした真が寝室から出てきた。出会った頃は眩しく見えていた彼のスーツ姿も今ではすっかり見慣れてしまった。


「おはよ。ご飯食べる?」

「いや、コーヒーだけでいい」


 真はそれだけ言うと、コーヒーを飲みながら無言で新聞の経済欄を読み始めた。

 ここ数年、私たちは必要以上の会話をあまりしなくなった。別に仲が悪いわけではない。無理して会話を広げるなくてもお互い自然体でいられるからだ。


「私今日残業だから、晩御飯遅くなるかも」

「あぁ、俺もどうせ遅くなるから大丈夫」


 私は今、真と同じ会社の総務課で働いている。だからなのか、たまにする二人の会話も業務連絡のようなものばかりになってしまった。


「雫、準備できた?」

「すぐ追いつくから先に出てていいよ」

「ん、分かった」


 出勤準備を済ませ玄関を出ると、まるで私の心を表したような鉛色の空が目の前に広がっていた。

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