ギアナ高地へ

 一つのことを思いながら日常を過ごす、ということは最早生きながら夢を見ることと同じである、ということに、この数日間で私は気付くことができた。


 ギアナ高地─南米大陸にある、文明と隔絶された生き物の聖地。この場所にまつわる伝承をもとに映画『ジュラシック・ワールド』が作製されたらしい。

 私は音楽と同じくらい恐竜やロスト・テクノロジーを描いた小説が大好きだ。父がダンボールにしまいこんでいた、むかしの空想科学雑誌を読むのも、私の密かな楽しみの一つだった。

 今、思う。楽曲を作る作業は、西洋十二音階をもとに新たな楽曲を探し出す冒険なのだ。私の作った地図のピースに聖の持つピースを組み合わせて、新たな世界を探してゆく。地図のピースは無限にあり、またその組み合わせも無限だ。今、私はその途中で道に迷っている。


 その夜もPCに向かって、私は作業をしていた。候補のマテリアルを五つほどに絞り、それを組み替える作業を行ってゆく。深い音の密林には色鮮やかな花々が咲き乱れ、ユニークな動物や昆虫が闊歩している。私はそれらを注意深く観察し、時に手に取りその感触を確かめながら。そしておいて、それらをPCの画面に取り込んでゆくのだ。その作業を繰り返すうちに、私の心に居座っていたとまどいや迷いが、少しづつ消えてゆく。

 その時、端末が鳴った。聖だった。


 「起きてたんだね。どう、調子は」夜の底で聴く聖の声は、とても心地よい。やはり彼女の声は様々なピースの中でも特別なのだ。

 「うん。なんとかまとまりそう。いろいろと考えているよりも実際手を動かしている方が何倍も心が落ち着く。あとは、これを聖が気に入ってくれると良いんだけどなあ」

 そう、と聖は言った。その言葉の後の沈黙。違和感。また新しいピースが生まれた。しかし、そのピースの感触に私は不安を覚えた。

 「奏、あのね。わたしライブハウスで歌ったんだ」

 「え、そうなんだ。やったね!ストリートじゃなくて、ちゃんとした箱《ハコ》で歌ったんだね。すごいじゃない!良かった…」

 奏のそういう素直なところ、すげぇ好き。聖は私の言葉を遮った。

 「どうしたの。なんか、変」

 「月がめちゃきれい」聖の言葉に、私はデスクから立ち上がり、カーテンを開ける。白い月と街灯に照らされて、端末を耳に当てる彼女がいた。

 「どうしたの。こんな時間に。すぐ開けるから」


 奏の後に続いて聖は階段を上がる。父と母の寝室からは物音ひとつしない。午前二時半。甘やかな夜の底に二人はいるのだ。

 悪い。こんな時間に。聖は背負っていたリュックを下ろすと中から、ペットボトルの抹茶ラテをとり出して、私にくれた。まだ温かい。私はそれを受け取る。聖も同じものをリュックから取り出して、一口飲んだ。聖が砂糖の入った飲み物を飲むところを、私は初めてみた。

 「あ、これね。なんかさ多少喉を使ったあとは良いらしいんだ。糖分がコーティングしてくれるんだって」聖は軽く微笑むとまた一口薄いみどり色の液体を流し込む。

 「そうなんだ。それは初耳」そう返しながら、私はいきなりの真夜中の邂逅に戸惑っている。友達が少ない私にとってこんな時間に同性とはいえ、友達が尋ねてくることなんてなかったから。

 「さあて、どんな感じかな」聖の視線はデスクの上のモニターを見ている。やはりそういうことか。

 「うん。お待たせしちゃってるけど、一応は完成したんだ。今はアレンジしているところ。歌メロの意見ももらわなきゃ、って思ってた」私は、立ち上がりデスクのPCを操作して音源を鳴らす。「基本こんな感じで」PCの左右に設置してある小さなスピーカーが、健気に震え始めた。私は聖の表情をうかがう。彼女はモニターに視線を移しているので、その表情は分からない。ただ、軽く頭を降ってみたり手や足の指でカウントを取る姿は私からも見ることができた。

 すると、音に混じってズッ、ズズッと妙なノイズが混じり始めのだ。

 あれ、スピーカーかな。ひょっとしてPC。いや、ソフトなの…ここでクラッシュなの、なんて神様は意地悪なんだろう。そう思ってPCに向かおうとして立ち上がると、視界を横切った聖の顔が、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。ハンドタオルを口に当てて、懸命に嗚咽を堪えている。

 「どうしたの。気分でも悪いの。それとも、あまりにも酷かった…」

 ごめんごめんごめん。ちいさなちいさな声で聖はつぶやいている。

 「わたし最低。わたし最悪。死ねばいい」彼女はしゃくりあげながら、そう言った。

 「ねえ、ちょっと聖、どうしたのよ。なにかあったの」

 ごめん、奏。最初は奏と、って思っていたのに。私最低だ…

 端末の時刻は2:00を示している。夜の底で聞く同じ歳の少女の鳴き声は、これまで聞いてきたどんな曲より、私の心の奥底に深く突き刺さっていく。


 

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