嵐の中で生まれ

 あれほど心地よかった日差しが暑い雲の中に姿を隠してしまって、もう一週間ほどたつ。気温は低いのに湿度のせいで、この街は熱を持った繭のなかに閉じ込められている。

 買い出し行きますよ、と言うスタッフに、たまには開放してくれよと言いながら竹越はスタジオから出た。重い空からは柔らかい針のような雨が降っている。傘立てから抵当な傘を抜き出し、自動ドアの外にでて近くのコンビニに歩き出した。スタジオのある閑静な裏通りから、表通りに出る。ウィークデーの街のノイズが竹越を包む。

 コンビニ渡るために横断歩道に立っていると、横に立った男に声をかけられた。

 「お疲れさまです」スクールの生徒である川村だった。

 「おつかれ。どうしたんだ、こんなところで」今日は竹越の講義は休みである。

 「スクールで尋ねたら、スタジオで作業されている、と言われたんで」勿論、場所は教えていないはずだ。と言うことは。

 「大したカンだね。どうしてここだって分かったの」竹越は親指でスタジオのある方角を指す。

 「竹越さんが今、どんなお仕事をされているかSNSで確認してましたから。あとはカンで」川村は淡々と答えた。そうかい、と竹越は答えた。「ちょうど昼メシを食にいくところだったんだ。一緒にどう」川村は黙ってついて来る。傘はさしていない。骨張った体躯を鼠色のパーカーの肩や袖に薄いベールのようにな雨つぶをまとわせフードを被った川崎は、さながら隠者のようだ。杖を待たせたらさまになりそうである。そう思うと、候補に残った彼の曲がいかに異質だったか理解できるような気がした。

 「スタジオには入れてあげられないからな。ここでメシにしよう。好きなもの選んで。俺を探しだした懸賞を授けようではないか」彼が隠者なら俺は道化でいこう。竹越は少し戯けながら様々なアイテムが並ぶショーケースを指さした。川村の表情は変わらない。思索に耽るのは隠者の常だ。川村はパックの野菜ジュースを選びレタスとパストラミがふんだんに挟まれた野菜サンドを掴もうとしてためらった。横から竹越がそれを掴む。

 「懸賞だと言ったろう」

 「貧乏性ってやつですよ。普段、こんなもの食べられませんから」

 その店はコンビニと謳っているものの、有機栽培の野菜や無添加のハムやソーセージ使った食べ物を提供していてイートインスペースも完備している、所謂高級スーパーマーケットだ。店内には低くソウルミュージックが流れている。

 「俺もホントは町中華とかが良いんだけどね、このあたりには無くてさ」そういうと竹越はレジに向かった。プラスチックのカゴには大盛りの唐揚げ弁当が入っている。なるほど、町の中華食堂にあるメニューだ。川崎は蓋に貼ってある値段から意識的に視線をそらした。


 二人は窓際の席に座る。空が暗さを増して雨脚が強くなってきた。黒いアスファルトで雨垂れが砕けてその名残りが川の流れになり、路肩の側溝に流れてゆく。川村は暗渠の激しい流れを想像する。暗く激しい流れだ。自分は天井に穿たれた穴の中から曇天を見ているネズミだな。

 「ここのは美味いぞ。ほら、これも遠慮せずに食えよ」スムージーとサンドイッチの横にフライドチキンのバスケットも置かれた。

 「いや、そんなに食えませんよ」その量に躊躇する川崎の横で、竹越は唐揚げ弁当をうまそうに頬張っている。食べきれなかったら持って帰れよ、晩飯のおかずになる。

 これだ。と川崎は思った。

 竹越はこうやって他人を自分のペースに巻き込んでゆくのだ。竹越の道化のような振る舞いを見ているつもりでも、いつの間にか立場が逆転している。底が見えないところが竹越にはあった。川崎のパストラミサンドは、黒胡椒が効いていて簡単に噛みちぎれる茶色の薄い層が何枚も挟んである。レタスは先ほど摘み取ってきたかのように歯応えがあり汁気があふれていた。それに白いマヨネーズソースが絡みつく。確かに美味かった。金のかかった味だ。

 「竹越さん、今日は尋ねたいことがあったんです」しばらくパストラミサンドを味わったあと川崎は切り出した。

 「まあそうだろうな。わざわざこんなところまで来るんだから」竹越は添えてあった、たくあんをかじった。カリカリと気持ち良い音が聞こえた。


「三上奏、あの子何者ですか」


 竹越はプラスチックのスプーンを咥えたまま川崎を見た。唇に入り卵の小さなかけらがついている。そして、竹越はゆっくりと窓に視線を移した。その間に川崎が彼の心を読み取るのは不可能だった。

 「彼女がスクールに通い始めた頃は、単に作曲を学びたい音楽好きの女の子だろうと思っていた。ところが彼女はあなたや他の講師がレクチャーすることをどんどん吸い込んで自分のものにしてしまうじゃないですか。正直に言います。僕は彼女に嫉妬していますです。僕があのぐらいの年齢の時に同じことができたら、と。他人との比較に意味が無いことは知っていても、彼女を意識してしまう。それに」

 「それに」

 「僕は何となく、あなたが彼女を見守っているように見えるんです。確かに若い才能を育てるのは大事なことかも知れない。でも」

 「でも」

 「僕は、あなたと彼女の間にそれ以上のものを感じているんです。例えるなら…」

 「親子みたいな、だろ」

 それから川村が聞いた話は、彼の思い通りでもあったし、違うところもあった。その話を聴きながら、川村はより大きな嫌悪感に襲われるのを感じずにはいられなかった。どうして自分はこんな行動に出てしまったのか。そのことを思うと今すぐにでも席を立ち、激しさを増す雨の中に飛び出して、その銃弾を全身に浴びたい心境に駆られるのだった。

 小一時間もたった頃だろうか、激しい雨が一瞬止みひかりが雲間から差した。目を細める川崎に竹越は言った。

 「おめでとう。嫉妬を受け入れることで、君は次のステージに進んだ。あとは自分の思う通りにやればいい」そして最後に付け加えた。

 「三上奏は歌えない」


 

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