ツイン
聖に出会ってから、私の毎日が加速しだした。これまでは、自分の気が向くときに曲作っていたのたのだけれど、そういう訳にはいかなくなってしまった。彼女は常に音楽のこと、歌のことを考えている。
奏が曲のデーターを送る。すると半日もせずに聖から返信が来るのだ。
─イントロ、もっと切なくできない?
─どんな感じかな。
─そうねぇ。「シェルブールの雨傘」みたいな感じかな。
─何それ。
─ん…だって曲全体的に雨が降ってるんだもん。なんか雨のせいでボンヤリした感じがする。この曲。
─雨ねえ。確かにこの曲は雨の夜に思いついたんだけど。
─ほら。だから雨な感じなのよ。私には石畳を打つ冷たい雨音が聴こえる。
聖に音楽の専門知識はほとんど無い。感覚で楽曲に臨んでいる。海外のロックバンドにもそういうソロシンガーがいる、と父が言っていた。私は聖の抽象的な言葉から音のイメージを探る。
「シェルブールの雨傘」は60年代のフランスの映画だった。彼女のおじいちゃんとおばあちゃんが観に行ったらしい。向こう三軒両隣。人々がまだ他人の悲しみを我が事のように共有できた時代。私はサブスプリクションでリマスターされたものを観た。聖と思いを共有するために。それも今まで一人で作曲していた私にとっては新鮮な体験だった。
─こんな感じでやってみた。
─お、良いじゃん。よし。この曲は報われない恋でいくわ。
─まあなんとなく想像はついてたけどね。
─その想像を上回るのが、私なの。だいたいできたらオンラインで流すから。
─すっごい自信…
─それぐらいじゃなきゃ駄目なのよ。奏も自信持たなきゃ。
下校途中の小学生のようだ。
私は彼女と接していて思う。
興味のあるものに惹かれて、あちらの路地、こちらの路地。公園、駄菓子屋に寄り道をする。私の同級生にもそんな友達がいた。何にも縛られないように見えたその子たち。蛮勇、とでも言うのだろうか。その軽やかな足取りに惹かれはするのだけど、そこには必ずリスク潜んでいる気がして、私はどうしても踏み込めないでいた。聖はどうやってそれをかわして、あるいは受け止めてきたのだろう。少なくとも、その傷跡らしきものも、その時は見えなかった。
聖のリスクはなんだろう。
路上ライブのあの日以来、通っている高校が違うこともあって私たちが実際に顔を合わせたのは二回。一度は聖の誘いでCDを見に行った時、もう一回は聖が私に付き合って楽器店に行った時だ。
デパートのなかにあるCDショップは、週末ということもあって、なかなかの人出だ。私は聖についてゆく。
出会いがジャニスだっただけに、その手のルーツロックばかりを聞くのか、と私は勝手に思っていたけれど、広い店内に着いて彼女がまず向かったのは、入口の目立つ場所にディスプレイされた、男性アイドルのコーナーだった。検分は広めないとね、とかなんとか言いながら、小さな声で「お、キュー助が書いてんじゃん」とか呟いている。
「なに、キュー助書いてるの」
「やっぱり奏、知ってるんだ。彼の曲良いよね。フックが独特というか」そんなことを喋りながら色んな棚を見て回って、彼女が選んだのは、ストーンズが80年代にリリースした二枚組のライブ盤だった。
「どうしてもこの手のヤツを選んじゃうのよねえ」聖は苦笑いしながらプラスチックのジャケットを眺めている。
「多分これウチにあるよ。お父さんが持ってたんじゃ無いかな」
その時、聖のアーモンドのような瞳の形が一瞬いびつになったような気がした。
「そのうち会えるかね。聖のお父さんに」彼女は何事もなかったかのように、私に話しかけた。
私はもちろん、と答える。父も喜ぶだろう、と。
そのあと、コーヒーショップに入って二人でフラペチーノを啜っている時にも、あの時のいびつな二つアーモンドは私の胸に引っかかったままだった。
「でもさ、奏に会えて良かったな」
「何よ、いきなり」
「まあ、色々と。やっぱり同じ目線で音楽のことを話せるってのが大きいかな。あと、まともに作曲できるってのも」色々と。その中には彼女のリスクも含まれているのだろうか。
数日後、楽器店を訪れた日の聖はまるでアミューズメントパークを訪れた子供のようだった。私も通い慣れているとはいえ、毎回ときめきを覚える。
「マジか。これカスタムショップのレスポールだ。値段がエグい。何、このストラト…オールドなの。車買えちゃうよね」二つのアーモンドがひかりを帯びてゆく。。もし仮に数百人数千人を目の前にした時、彼女の綺麗なアーモンドは、どういう輝きを見せるのだろう。
私はDTMの音源ソフトを物色していた。覚悟はしていたがなかなかの値段である。今まではPCの内蔵音源と無料ダウロードのデーターを使っていたけれど、彼女と出会ったことで私も音にこだわりを持ち始めていた。うかうかしていられない。
パーカッションの音源ソフトを見ている時に、着信があった。見慣れない番号だ。一瞬、躊躇したが通話ボタンを押していた。
今、よぎることがある。
もし、運命が変わる瞬間と言うのが人生に幾度かあって、あの日もそのひとつだとしたら。
私と聖。
背中を押す風の圧を意識したあの日。
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