前へ前へ

  私は「哲屋」の階段を登り外に出た。父はまだ哲さんと話し込んでいる。

 もう過ぎ去ってしまった過去の音楽のことを父たちは夢中になって話している。

 父はとうに見抜いていた。私が自分の声に自信がない事に。


  浮ついた足取りで、私はフワフワと街を歩き回った。

  街は再開発が進んでいて、古い建物は壊されるか、一部解体が進んでいて厚手のビニールシートに覆われたビルが目立つ。ひたすら空を目指す建物たちは突き抜けた蒼穹に映えている。

 私はビルの真ん中に穿たれた穴のような公園を見つけて、冷たいベンチに座った。

 いつも持ち歩いているリュックの中からタブレット端末を取り出し、イヤホンを接続して、クラウド・サーバーにある自分の曲を聴いてみる。私は一回完成させた曲でも都度、聴きなおして修正を加える。聞き直せば聞き直すほど、変えたい場所が出てくる。


 私がクラウドから引っ張り出した曲は、つい最近、あるウェブサイトのコンテストに応募した『パーツ』という曲だ。もう提出は完了しているから、修正を加えても結果には影響しない。ただ、この曲は最近作った曲の中でも、特に思い入れのある楽曲だ。

 最初のワン・フレーズが頭に浮かんだ時には、楽曲の全体が見えていた、というか聴こえていた。こんな事は滅多にない。この流れが見えてしまえば感情のままに、頭の中のメロディーとコードを入力してゆけば良い。原型はわずか一時間ほどで完成した。翌日、リズムトラックを打ち込み、翌々日には全体的な調整を行い、二回聞き直すと、そのままサイトに投稿してしまった。その曲を今聞き直している。我ながら惨めったらしい。そこで気がついた。


 この曲のメロディーはインストでは完結しない─


 私は自分の声に自信がないから、インストで曲を投稿する。ボーカルのメロディーをさまざまな音色に変換して。これまではそれでよかった。それで折り合いをつけていた。

 ただし、この曲に限ってはどうやら違っていたようだ。


 この曲は歌詞を付けてもらって、歌われて曲が完結する。


 ─しかし、そのことに今気がついたって─


 私に何ができるというのか。

 「もう、どうしろって言うのよ」私は口に出してしまった。ため息と一緒に漏れたその言葉は、透明な風に流されていく。


 その先に。

 

 十人ほどの人垣ができていた。ストリート・ミュージシャンの路上ライブが行われている。演奏しているのはアコースティック・ギターと PCをアンプに繋いでいた、男性二人組。ギタープレイヤーがヴォーカルを兼任し、もう一人がアンプを接続したPCを駆使してリズムトラックを操作している。私は、タブレットの電源を落とすと、その演奏に耳を傾けてみた。

 シンプルなコード進行に素直な歌メロの曲だ。それにメッセージ調の歌詞が乗る。とにかくセオリー通りに作ってみました、という感じ。同じような立場のアマチュアの自分が言える立場ではないけれど、素直すぎて、聞き流してしまうような曲だ。


 「ありがとうございます。では、次の曲。カヴァーですけど聴いてください。聖ちゃん、よろしく」聖ちゃん。PCの方が歌うのかと思いきや、人垣の中から、私と同い年くらいの女の子が進み出てきた。四つ打ちのバスドラ。その曲は父のCDで聴いたことのあるナンバーだった。


 『ムーブ・オーヴァー』


 私はタブレットをリュックにしまうと、私の足は自然と人垣の方に吸い寄せられて行く。


 なんなの、あのコ…


 

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