フライ・ビーンズ
テレビからは、メロウだけどギターのエッヂの効いたロックナンバーが流れてくる。「なんか懐かしく聞こえるわね、この曲。ねぇ、お父さん」母は洗い物の傍ら、父に声をかけた。「ん…ああ、そうだね。確かに昭和の歌謡曲みたいなメロディだねぇ」父は、そういうと、ツマミをぼりぼり齧りながら、それをビールで流し込んでいる。
「それはそうと作曲はどうなの、やってんの」
父はテレビを見ながら私に声をかけた。
「あ、うん。やってるよ。昨日も一曲完成させた。まだまだ弄るところはあるけどね」私は答えた。
母の作るコロッケは、とてもおいしい。マッシュされたジャガイモと合い挽き肉のバランスは絶妙で、それがキツネ色の衣を纏って白い皿の上に鎮座している。凝った料理ではなく定番の料理でこそ、作り手の腕前がわかるのだ、と私は勝手に思っている。
私は三個目のコロッケを箸で割ったところだ。箸が止まらないとはこ言うことを言うのだろう。
「そうか。俺でよかったらいつでもギター弾くからな。それにお母さんは歌もいけるんだから」はいはい。知ってます。でもね。
「音源はプリセットのやつでなんとかなるから。それにお父さんのギターはオンラインで録るとして、お母さんのボーカルはどうするのよ。うちにスタジオ無いじゃん」
はは、そりゃそうだ。と父は笑った。テレビでは次の歌手のナンバーが始まろうとしている。圧倒的な声量を持つ女性シンガーだ。母はうろ覚えのメロディーを口ずさんでいる。
父と母は大学生の時に軽音楽サークルで知り合ったそうだ。その話を聞いたのは、私が本格的に音楽に興味を持ってから。
忙しい大学の講義やゼミの隙間をぬって、時には睡眠時間を削ってメンバーと練習を繰り返し、地元で老舗と言われるライブハウスにも出たことがあるらしい。その話を聞いた時には父の意外な過去に驚くとともに畏敬の念を持った。
それ以来、私は父に連れられて時々ライブハウスに行くようになった。『哲屋』と言う店。昼は喫茶、夜は小規模なライブを行っている。半地下のレストランに小さなライブスペースがあるような店だ。改装されてそうなってしまったそうで、父や母が現役で演奏していた頃は、本格的なライブハウスだったらしい。
店長は、白髪混じりの長髪を束ねている気の良いお爺さんだった。そう、あえて形容するならピノキオのゼペット爺さんみたいな。
「カナちゃん、大きくなったなぁ。仁にそっくりだ。」確かに私はお父さんに似ていると言われる。
新学期が始まったばかりの土曜日の午後、父は私を久し振りに『哲屋』に誘った。
「確かに
「お前だって、その昔はそこそこモテてたじゃないか」
私は身長は高いものの、痩せぎすで色黒。瞼は二重だけど、鼻はそんなに高くないし、ちょっと上向きで、意地の悪い言い方をすれば豚鼻に見える。父と母のハイブリッド。もう少し融合の割合が違えばなぁ、と思うこともある。でも、これが私なのだ。これが。
ライブ・スペース『哲屋』には、さまざまな客がやって来る。
父のように、昔からここに出入りいていた人たち。一見のお客さん。
哲さんと弟のトシさん。それにバイトの女の子と男の子が一人づつ。みんな忙しく立ち回っている。その店のスタッフの動きには、いつも一定のリズムがあるように思えた。
「ねえ、お父さん。曲はできたんだけどさ」
「うん」父はバドワイザーを飲みながらフライ・ビーンズの皮をむいている。カラリと揚げられた皮から茶色い種がふたつ。父は二つのうちの一つを私にくれた。
「食べてみ。うまいぞ」私は父がくれたそれを口に入れた。塩味。そして心地よい歯応え。香ばしい風味。これで、オトナはお酒を飲むのか。「あのな」父が口を開いた。
お前、自分の声に自信がないんだろ─
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