フェイク
カラオケの端末をタッチペンで操作しながら、聖は早くもこの場を立ち去りたい衝動に駆られている。
「なぁ石田、あれ歌ってくれよ」シンが端末の操作して画面を聖に見せてきた。最近動画サイトで流行っているロックナンバー。「あんた、そればっかじゃん。もっと他にないの」佐野たちとカラオケにくると、いつもこの曲を歌え、と言ってくる。
「いいだろ。好きなんだから」
「じゃ、あんたが歌えば。オクターブ下げれば歌えるでしょ」聖は端末から目をそらして、ノリノリで歌っているサナに視線を移した。サナだって十分上手いじゃん。なんで私ばっかり。
「女性ヴォーカルの曲は、やっぱり女性じゃなくちゃダメじゃん。それにほら、俺って下手だし」
「じゃ、何でカラオケ来てんのよ」
「だって、期末テスト終わりのカラオケパーティじゃん。参加しない方がおかしいだろ」目を丸くするシンに、そんなもんかねぇ、と聖は答えたけど、その声はサナのシャウトにかき消された。
ひどい。
聖の素直な感想である。父は普通のサラリーマン、母は短大を出た普通のOLだ。そんな両親の元に、どうして絶対音感を持つ自分が生まれたのだろう。
※
鍵盤ハーモニカの音が気に入らない。微妙な音のズレが気になってしまって演奏に集中できない。
鍵盤ハーモニカは変なの。こっちのピアノの方が気持ちいいの。
園外保育の時に保育士が「ねぇ、聖ちゃん。今、車が通ったでしょ。ドレミで言えたりする?」と尋ねた。
聖は車の騒音を階名で淀みなく応えた。保育士は、そのことを母に伝えた。
「お母さん、それひょっとすると凄いことかもしれませんよ」
何がどう凄いのか母には全くわからなかった。
「絶対音感、という言葉はご存知ですか」
「ええ…言葉だけはなんとなく…」母は答えた。
聖ちゃん、ホールに行こうか、というと保育士は聖と手をつないで歩きはじめた。
「お母さんもご一緒にお願いします」
ガランとしたホールには、秋の日差しで満たされていて、本来なら冷たいフローリングの床がほんわかと暖かい。ステージの上には、『おゆうぎはっぴょうかい』と書いてある横断幕が設置されている。もう2ヶ月もすれば本番である。
保育士は、壇上に上がると打楽器をステックで叩いた。
コン、ポコ、コン。
「さあ聖ちゃん、これをドレミで言ってみよう」
「ソとシとファ」
「じゃ、今度はこれね」
ドン、ドン、ココタン。
「ラ、ソ、ミミド」
「じゃ、最後にこれ」というと保育士は自らの足で床を踏み鳴らした。
どん、どん、どん。聖の母には単なる足踏みにしか聞こえない。
「ソ、ソ、少し高いド」
お母さん、聖ちゃん、絶対音感があると思います。保育士はそう伝えた。
「聖ちゃんが、みんなで吹いてる鍵盤ハーモニカよりピアノが良いと言ったのは、このピアノがきちんと調律されているからだと思います。それに引き換えみんなの演奏は、当たり前ですが正確な音程ではない。そこに違和感を感じていたんだと思います」
それを聞いた両親は聖の将来に期待した。いずれは音楽の道に。見た目も可愛いし、クラスの男の子からもモテるという。
しかし、当の本人にそんな気はさらさらなかった。
「面倒臭いよ、練習とか」
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