第38話 - マナーバトル:第六王子ミゼル③

「……これで、よいでしょうか」


 書類をつまみ上げ、舐めまわすように確認をするミゼル。おもむろに顔を手で覆い、小刻みに体を揺すり始めた。やがてその振動は大きくなり、狂ったように笑い始めた。


「ひゃは、ひゃははははは、ひゃははははははは! こ、こ、こんなに、こんなにあっさりいくなんて! ひゃははははははははは! おい! おいおいおい! 信じられねえ、雁首揃えて、バカばっかり揃ってる! ひゃはははははははははははははは!」


 涙を流しながら、大声で笑うミゼル。腹を抱え、激しく身震いさせる。


「俺のこと、怪しんでたよなぁ? 明らかにこんなのおかしいもんなァ? でもキース、お前はなぁんにもできずに、これにサインしちまった……クライン領は俺のもんだ、もう決まっちまったんだ。お前は全部わかってたはずなのに……そこの義妹可愛さに、間違ってしまった!」


 目の涙をぬぐいながらミゼルは、にたりと笑い、隣のクロシェを見た。


「よぉし。もうひっくり返せねえんだ。教えてやるよ愛しのクロシェ。お前がやっちまった大いなる間違いを、解説してやるよ」

「……私が、どうなろうと、第七領がこれから、前を向いて歩んでいただけるので、あれば」

「ひゃはははは! ほんとになんもわかってねえのな! お前如きがどうこうじゃねえ、この瞬間、第二王子派の敗北が決定したんだよ」


 ミゼルは奇妙なことを言った。これは第六領と第七領の取引である。確かに互いは第一王子派と第二王子派に分かれているが、こんな些細な領地の交換で、派閥争いの趨勢に影響を与えることなぞありはしないはずだ。


「何を言っているのです、そんなわけはありません。これは、私たちの問題で、第二王子が出てくることなんて……」


 きっと、ありもしないことをいって自分を弄んでいるのだと、そう言い聞かせながら、精一杯反論する。だが、ミゼルは依然、にたりと笑っているのであった。


「いいかァ? 全ては、クラインが経営に行き詰まり、薬物の栽培に手を出したことから始まった。しばらくは秘密の稼業で儲けていたが、運悪く俺に見つかってしまう。こんな美味そうなビジネスほっとくわけにはいかねえよな? だからお前らを揺すぶって、クロシェという人質まで作って、これを奪ってやろうとしたわけだ」

「ええ、そう、です。だから、これで、誰も傷付かずに済むと……!」


「薬物ビジネスを取るだけならば、ウィンブームを差し出すのはやりすぎだ」


 そこでキースが口を出した。ミゼルが、にやりと笑うのにも構わず、続ける。


「何故惜しげもなく交換に出せたかというと、そのうち取り返せるという自信があるからだ。第七領は自分のものになるから、マナを取りきることをしなかった。また、ハミルトン達も、少しでも先に第七領に食い込もうと、力押しの交渉を仕掛け、マナの売買に応じた」

「何を……どういう、ことですか……第七領が、なくなる、なんて……」

「なんだ、ぜーんぶ、知ってんじゃねえか」


 ミゼルは、それを肯定した。この取引により第七領が無くなる、ということを。

 クロシェは衝撃と混乱が収まらない。この二人には何が見えていているのか。

 そんな彼女へ向けて、ミゼルが、言い聞かせるように、嗜虐に満ちた語りを披露する。


「クライン家特製の新型薬物は人気でなぁ。あちこちに密売されてるんだわ。――でもその中に、とっておきの顧客がいた」

「とっておき……それは、一体」

「第二領さ! レヴ商会を通じて奴ら、こっそり薬物を仕入れてやがったんだ! なあ、これがどういうことだかわかるかよ、クロシェ」


 底意地の悪い、悪魔が囁くような声。嫌悪が広がる中、冷静に考えられるはずもなく、クロシェは黙りこくる。


「第二領といえば食料の一大生産地だ。あいつらの作る飯は美味いって有名だ。なあ、そこにはよ、一体何が混入してるのかなぁ?」

「な……そ、そんな、それは、暴論です! 食料の中に薬物が混じっていると、そう仰りたいのですか!?」

「疑わしいってだけでも罪だぜ? きっちり調査してやらないとだめだな。――勿論、第一王子様自らが、乗り出すだろうよ」


 そこまでを聞いて、クロシェは全てを悟ったようであった。

 第二領の商会が薬物を買っていたからと言って、第二領の食料品全てに薬物が混ぜられているなんて、そんなわけはない。だが真実はどうだっていい。疑わしいという事が重要なのだ。この大義名分があれば、調査と管理の名目で、第一王子が第二領を実効支配するのは容易いだろう。レヴ商会を唆したのも、第六王子の仕業なのかもしれない。

 そうしたら、第二王子派は壊滅。薬物を生み出していた第七領なんて、すぐさま吸収されるだろう。どうせ戻ってくるのだから、ウィンブームを差し出すくらいどうってことない。

 これが今回の陰謀の絵であった。取るに足らない交渉は、前代未聞の国盗りに直結している。


「そ……ん、な……い……や」

「ひゃはははははははははははははは! 理解が遅えんだよ、バカ女! もうクライン領は俺の土地だ! 今、この瞬間に、第六領最強の戦闘部隊『紫刃』が包囲に向かってる! 証拠隠滅なんてさせねえ! クラインの厄介な魔法も、俺の土地になった今では、なんの意味もありはしねえ! 第二王子派なんていう、クソ虫の集まりも今日でお終いだ!」


 歌うように、高らかに笑う。完全なる勝利宣言であった。契約は完了したのだ。この時点でクライン領は第六領に組み込まれたのだ。陰謀のために、あの美しい薬草畑は荒らされる。

 クロシェの目からは、一筋の涙が零れ落ちた。


「おいおいおい。なに泣いてんだよ。全部、お前のせいなんだぞ? キースは全部見抜いてた、こんなもの突っぱねるべきだった、なのに、お前が、愚かな誘いに応じるから。キースは、お前を守るために、契約を受け入れたんだぞ? ――女ってのは、本当にバカな生物だ」


 暴言が全て、突き刺さる。どんな刃物よりも鋭く。

 私のせい。私が、私がこんなことをしたから、私が。

 目の前が真っ暗になるようであった。絶え間ない自責が続き、遠くから誰かが非難するような幻聴まで聞こえるほど耳鳴りがしていた。

 盤面はもうひっくり返らない。勝ち誇る第六王子の笑い声が凱歌のように響き渡る。

 そんな中で。


「ミゼル兄様。ゲストに向かって、ばか、とは言いすぎではないでしょうか」


 キースの、まさかのマナー違反の指摘であった。唐突な指摘に「あァ?」と、目を向けるミゼルだったが、さしたる反論もない。

 ミゼルのマナは「1」となり、キースのマナは「2」となる。

 ひどくつまらないことをする、と、冷ややかな目で弟を睨んでいた。

 今更、マナを「1」奪ったところで何の役にも立ちやしない。キースが契約書にサインした時点で、全ては決着しているのだ。無駄な足掻きにコメントすることすら馬鹿らしい、と、ミゼルはそれをスルーし、立ち上がろうとした。


「さ、【テーブル】は終いだ。とっとと閉めようぜ。これ以上は無駄な時間だろう――」

「クロシェ、あの計画書、見たぞ」


 兄の言葉など無視をして、己の妹に問う。その時キースは――爽やかに笑っていた。

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