第25話 - カイネ、ミウ

「うへ、うへへ、うへえへへへ……一億……一億ミルじゃぁぁ……たのしすぎる……」


 一同が食堂にもどるやいなや、気持ちの悪い声を出しながら、カイネは卓上の書類の束にダイブし、蕩けるような顔でそれらに埋もれていた。

 守銭奴の奇行を見守ってやるほど暇ではないキースは、彼女をそこから引き?がした。


「さっさとどくんだ、カイネ。全く、突然あんな大物呼びだしやがって」

「あーっ! 離して、離してよぉぉぉぉぉ! あたし、このために生きてるのにぃぃぃぃぃ」

「僕たちはそんな暇じゃないんだ。資金は確保できたから、どう使うか、計画を立てないと」

「……確保? 何言ってんですか?」


 瞬間。つい先刻まで、あんなに無防備な姿を晒していたカイネが、ぞくりとするような、冷淡な声を出した。

 驚きながらも、キースは当然の事実を言う。


「一億ミルも融通してくれるんだ。確保できただろう」

「いーやいやいや! あまりに甘いですよ、キースちゃん! 一億なんてどうでもいい! あのアリアクラフトが大金を出した、っていう事実のほうに巨大な価値があるんです! これを持って系列の商人のところに『おたくの大将はこんなに出したのに、あんたんとこは一銭も出さないんですか?』って脅しかければ、びっくりすくらい簡単にお金なんて入ってきますよ!」

「……な」

「へへー! 実はこれを見越して、幾つかの目ぼしい商会に声かけときました! ミックブラザーズ商会、リフトアハト宝石店、それに他領のクライネン商会の渉外も呼び出して――」

「……そういうことか、カイネ」


 合点がいった、という顔で、キースは、一人で大盛り上がりしている少女をじっと見つめた。

 一見すれば愛らしい彼女だが、その本質はとんでもない。


「財政――お金を集めることに関して、君は唯一無二の才能を持っている……けどそれはあまりにも歪だ。常に濁流が押し寄せる水路のように壊れているんだ。リスクなど度外視で、次から次へとお金を集める異能の持ち主。――だから、君みたいなハイリスクな人材は、並大抵の組織では持て余すんだ」


 第七領のような、なんの信用もない土地に、多くの資金を引っ張ってこれるほどの力がある。言い換えると、彼女は効率良く借金をする天才なのだ。

 これだけ資金があるから交換せずともよい、と、領地交換を断る名目があれば十分だと考えていたのに、カイネは、それでは満足ができないと叫ぶ。

 どこか一歩でも間違えたら、連鎖的に全てが台無しになってしまう、とんでもない爆弾を、一切の躊躇なく、溢れるほどかき集めてしまう。こんなの、厄介者でしかないだろう。

 まさしく呪われた妖刀である。扱い方を間違えると、破滅するのは己自身だ。

 キースの言葉を聞いたカイネは、妖しく、妖艶に、微笑んだ。


「……そうですよ。大正解です。この前も追い出されちゃって、つまんないなーって思ってたら、例の求人、見たんです。爆笑しましたよ! こんなイカれたこと考える人なら、きっと何やっても壊れないだろう、って」

「それで、僕を試すつもりで、ウルグスとの情報も隠していたのか?」


 そう。最終的にひっくり返せた、ハミルトン・シェラードとの因縁は、カイネから教わったものではない。独自のルートから入手した情報である。

 彼女はのうのうとそれを黙っていて、キースがこの局面をどう乗り切るのかを見ていたのだ。

 もしもキースがここを乗り切れなくとも、彼女自身がそれを切り出して、上手く丸め込める自信があったのだろう。全てが計算尽く。カイネにとっては、万事、帳簿に刻まれた計算式のように当然の流れで進んでいるだけである。

 愛らしき異才は、挑発するようにふふん、と笑う。


「でぇ? だとしたら、どーします? 怖くなっちゃって、あたしを追い出しますか?」

「……追い出す?」


 そんな言葉に対して、キースは、がしり、と彼女の手を掴んで、ぶんぶんと振り回した。


「え、え、え」

「何を言ってるんだ! 僕は、お前みたいなはみ出し者を求めてたんだ! 追い出す? そんな馬鹿なことするわけないだろう! 給料は幾らがいい? お前は金が好きなんだろ? 言い値を払ってやる。さあ、言え、欲しい金の量を言え!」

「え、ちょ、き、キースちゃん、怖! こわいよ! キャラ変わってるじゃん! 手振りまわるのやめてえええ」


 いつになく目をランランを輝かせて、カイネという才能を褒めちぎるキース。彼は、話を聞いているのかいないのか、勝手に頷いて納得した。

「よし! じゃあ契約成立だな! よし、じゃあ早速作戦会議だ、クロシェも入れ!」

「えっ、わ、私も、ですか」

「あたし何にも返事してないんですけど! ちょっと~!」


 活気を溢れさせながら、三人はとやかく言い合いながら、意見を交わしている。

 その様を、ただただ静かに――美しきマリアが、冷たく微笑み、見ているのであった。




 その日の夜である。

 遅くまでの会議を経て、へとへとになっていたキースは、泥のように眠りこけていた。

 草木すら眠っているかのような静寂が、彼の部屋の中に満たされている。

 その中で、キースは、何かの違和感を感じ取り、うっすらを目を覚ました。

 自身が潜り込んでいる毛布の中に、何かが紛れ込んでいる、ような気がしたのだ。

 妙な暖かすら感じるその異物の正体を確かめようと、寝ぼけまなこを擦りながら、毛布をめくりあげると……そこには、あられもない姿で彼の身体にしがみつく、ミウの肉体があった。


「なっ、おっ、お前……!」

「……きづくの、遅い」


 むー、と頬を膨らませて、ミウは拗ねたような表情を見せた。

 戸惑うキースにかまわず、彼女は己の顔を近づけて、さらに抗議をする。


「今日の【テーブル】私だけのけ者に、した。ひどい。かなしい」

「いや、なんていうか、ミウは表に出す感じじゃないというか、とりあえず一回離れてくれないかな……」

「わたしの情報のお陰で、なんとかなったくせに」


 ぶすっとした表情で非難するミウ。キースはそれに対し、苦笑いすることしかできなかった。

 ――そう。ウルグスとの【テーブル】で、最後に差し込んだあの切り札。ハミルトンとシェラードに敵対心を燃やしている、という情報をもたらしたのは、このミウであったのだ。


「だから、お礼、しなきゃだよね?」

「お礼、とは」


 そして彼女のは、そっとキースの手を取り、自信の腰のあたりに当てた。

 月明りがその光景を神秘的に見せる。薄着を纏った彼女の身体は美しく白く輝いていて……不思議なことに、控えめだった胸が、見る見る間に、ぐんぐんと盛り上がり、大きく実っていったのだ。

 それに、ミウの腰を掴まされているが、なんというか、触り心地が妙に良い。

 指がどこまでも沈み込むほど柔らかく、それでいて程よい弾力も併せ持っている。時間を忘れ、溺れてしまいそうな心地であった。

 キースにまたがる彼女は、ふふん、と、自慢気な面持ちとなる。


「南方魔術【魅惑的な肉体(ミラクル・ボディ)】。白い肌、焼けた肌、大きいのも、小さいのも、思うがままに、体を変えられる。それが、わたしの魔法。全部わたしに委ねていいよ。だから一緒に、熱帯夜を過ごしましょう、王子様」

「ま、待て待て待て!」


 彼の手を自信の胸に当てようとしてくるミウ。キースは理性を振り絞ってそれを制止した。

 ――こんなのを一回でも愉しめば、絶対に戻ってこれない。

 金策に領地交換に、一秒も無駄な時間は過ごせないというのに、ミウの誘惑はあまりにも危険だった。二度と戻ってこれない、という確信めいたものがある。

 ミウは、つまらない、というように、また頬を膨らませた。


「いくじなし。本能に身を任せればいいのに」

「確かに、昨日の情報は助かった。でも、なんでそこまでして僕の寝こみを襲うんだ?」


 そう。昨夜も同じように、ミウが忍び込んで、キースの体に絡みついていたのだ。

 慌てて彼女を追い出そうとするキースに、むぅと困った表情をするミウ。

 ――じゃあ、わたしが役に立ったら、ご褒美をちょうだい。

 と言って、あのウルグスの情報を話し、立ち去ったのであった。

 正直なところ、半信半疑であったのだが、実際に、それは紛れもない真実であった。

 こんな少女が、その情報をどこから仕入れたのか、という疑問と、そして何故ここまでして関係を迫るのか、という不可思議をぶつけると、彼女は実につまらなさそうに語るのであった。


「わたし、いろんなお店で働いてた。酒場、娼館。いろんな店を知ってるし、いろんな女の子世話した。だから、夜の街から話は入って来る」

「……独自の情報網が、ある、ってことか」

「そんなところ。わたしの夢の、副産物みたいなものだけど」

「夢……?」

「わたしは、王都に行きたい」


 そう言うとミウは、大きく揺蕩う二つの果実に、キースの指先を触れさせた。


「王都は、選ばれた人間しか入れない、至上の都。わたしみたいな卑しい身分では立ち入りようもないけど――王族と結ばれたら、資格を得る。あの求人は、願ってもないこと」


 なんということだろうか。予想外なことに、ミウは本当に、真に受けないだろう、という前提で書いた「後宮」に入るためにやってきたというのだ。

 彼女が吐く温い息は、キースを溶かしてしまうほど暖かく。抗えぬ誘惑に溺れる、その前に。

 キースは、すっと、ミウの手を振り払った。


「む……」

「ミウ。申し訳ないけど、今の君では、僕と結ばれないよ」

「……どうして? 貴方の好みに、身体を変えれるよ」

「そうじゃない。房事で一番大切なことはなにか、知ってるかな」


 首を傾げるミウに、キースは静かに、言った。


「睦言(ピロートーク)さ。同じベッドに潜りながら、言葉を交わせるあの瞬間こそが至高だ」

「……何が言いたいの?」

「僕が喜びそうな話を持って来てよ、ミウ。そしたら、添い寝くらいはしながら聞いてあげる。そんな心の交わりこそが、本当の愛し愛されることだと思わないか?」


 そう言うと彼女は、訝しむようにキースを見つめながら、不機嫌そうに彼の上からどいた。

 乱れた髪を直しながら、誘惑に打ち勝った彼をじっと見つめる。


「じゃあ、そういうことにしてあげる。でも、その約束、忘れないでね」


 そしてミウは扉を開き、キースの部屋から堂々と退出したのであった。

 ……もしも、一回でも体を重ねたならば、もうまともにモノを考えられなくなるだろう。領地交換などどうでもよくなり、一晩中彼女を求める廃人と化していたはずだ。

 さながら、禁欲を邪魔する淫魔が如く。しかし、彼女の情報網は、とんでもなく有用だろう。誘惑に屈さず、情報だけ貰う。なんともむごい生殺しの試練が始まるのだ。

だが、キースならばきっと、その試練に耐えられるであろう自信があった。

 何せ、彼女はこれ以上ない諜報員なのだ。こんな人材を、肉欲に溺れさせている時間はない。彼はむしろ、素晴らしい才能に興奮しながら、眠れぬ夜を過ごすのであった。


 翌朝。


「お兄様。いつまで、お眠りになるのですか」


 と、呆れ顔のクロシェが起こしに来た。がばりと勢いよく起き上がり、慌ててシーツをめくるが、そこには何も無かった。


「……どうしました? お疲れであれば今日の商談は、取りやめにいたしますか?」

「いや、大丈夫だ、疲れてなんかいないよ! 早速着替えるから、出ておいてくれないかな!」


 訝しむクロシェだったが、そうですか、と小さく漏らして、彼女は退出していった。

 ……なにをこんなに慌てているのだろうか、と、その感情に名前を付けられないまま、そそくさと着替えを始めるのであった。

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