第12話 - 領地交換

 第六王子からそれが持ち掛けられたのは、二月も前の話であった。

 第六領のある土地と、第七領のある土地を交換――領地交換をしたい、と言うのであった。

 曰く、第六領では工場を建設したいのだが、どうしても周囲を汚染する物質が出てしまう。

 第六領の中に、それを許容できるような地が無く、工場の建設が難航している中で見つけたのが、隣接する第七領の地であった。

 そこは古き家系の貴族が、細々と薬草を栽培しているような土地で、そこの当主自身も、新たな稼業とすることができるのであれば、と工場の誘致には賛同しているらしい。

 既に、第六王子とその貴族との間では合意が取れている。あとは、第七領の領主として、この話を許諾するか否か――というのが領地交換の概要であった。


「第六領が交換で差し出す土地はウィンブームと言い、大きな河べりにある、交商に栄えた街でございます。様々な利権のある地で、第七領の土地と比べると、かなりの破格の条件です」

「なるほどね。凄い話だ、それは。クロシェ、結論から言おう」


 一ヵ月後に差し迫った領地交換の概要を聞き、キースは自身が感じたことを口にだした。


「あまりにも、怪しい」

「……はい。私も、そのように思います」


 大した産業もない土地と、栄えた土地をタダ同然で交換しよう、なんて提案を、何も考えずにありがたがるのは、あまりにも愚かである。話が美味すぎるのだ。

 だが、同時に、何故こんなにも美味すぎる話を持ってきたのか、という疑問が残る。

 工場を建設するため、なんて言っているが、果たして本当にそれだけなのか。繁栄している地を手放してでも達成するべき事項なのか。それとも、他の、隠れた目的があるか。それを見極めなければならない。

 だからこそ、キースは、すぐさま行動に移すことにした。



「ここが、クライン領、か」


 馬車から降りた彼らは、目の前に広がる風景を見た。

 山々に囲まれた、広い平地は、生い茂る緑で溢れていた。

 綺麗に整頓された、それらの植物は、気ままに吹く風を受け、踊るように波打っている。

 ここが、領地交換の対象となっている土地。第七領の、クライン家という貴族が管轄している、「クライン領」である。一羽の鳥が気持ちよさそうに飛び立つのが見えた。

 第六領との境界線の近くに位置するその土地は、この分割統治が始まる前から代々クライン家が管理しており、長い歴史がある。

 数年前にキースが直上の主となった際も、それを潔く受け入れ、反抗などすることもなく、忠義を示してきた、誇り高き貴族でもあった。

 細々と栽培を続けている――なんて聞いていたが、想像していたよりも大きな規模の稼業じゃないか、と、キースは認識を改めた。

 そんな緑の海の向こうに、こじんまりとした建物が立っている。そこから、一人の人物が出てきて、手を振りながら、キースとクロシェに近付いてきているのが見えた。

 その人影は、畑の間の道をすいすいと進み、すぐに声が届くほどの距離になった。


「おーい。ははは、キース様。家の前まで馬車を付ければよろしいのに」

「いえ、この景色を見たかったものですから。相変わらず、手入れの行き届いた、壮麗な薬草畑ですね、カール様」


 クロシェがそう返事し、その男に一礼をした。

 濃いあごひげに、健康的な日に焼けた肌に、腹に響くような低い声。

 彼こそが、このクライン領の当主であり、渦中の人物でもある――カール・クラインである。


「はっはっは! 他にやることもありませんからな! 草いじりが趣味なだけです! さ、なんにもないところですが、お茶くらいは用意しております。どうぞ、館へ入ってくださいませ」


 草葉のざわめきの合唱の中、カールの朗らかな声色が青空の下に響き渡り、主を歓待する。

 ――ものすごく、好感の持てるやつだな。

 というのが、キースの第一印象であった。何か裏があると思い、カールに直接話を聞き出そうとやってきたのだが、第六王子と共謀して、主を貶めるような人物には見えない。

 カールの快活な笑顔を見ていると、もしや、領地交換の名目は、実は真実しかなく、お互いがwin-winの取引でしかない、という可能性を信じたくなってしまう。

 その時である。

 目の前に広がる、美しい薬草畑を見て、キースは突如、ふと、立ち止まったのだ。


「お兄様? どうか、いたしましたか?」

「……いや、ごめん。多分、気のせいだ」


 愛想笑いで誤魔化しながら、キースは頭を掻いた。

 ここは異世界。ましてや、クライン領など、足を踏み入れたのはこの時が初めてである。

 なのに、キースは、不思議と、ここには、一度、来たことがある――という、既視感を覚えていた。だが、それの正体はわからない。きっと、よくあるデジャブだろうと、とりあえずは、その違和感を切り捨てた。


「そんなにうちの畑に見惚れてもらっては、田舎貴族冥利に尽きますな! 嬉しい限りだ!」


 高らかに笑いながら二人を接待し続け、我が館まで案内をしたカールは、自ら扉を開いた。


「ようこそ、キース様、クロシェ様。早速、お話をお伺いしましょうか」

 

 応接室へと案内されたキースとクロシェは、運ばれてきたお茶請けの数に圧倒された。

 星々のように煌めく砂糖菓子から、宝石のようなプチケーキまで、色とりどりのデザートの中に、紅茶の蒸れた香りが漂う。


「こ、こんなにご用意いただかなくとも……恐縮です」

「はっはっは! 王子様を出迎えて、貧相なもてなししかできんと知られれば、クライン家の名折れですので! 遠慮せず、好きなだけお召し上がりください!」


 そう鼻を鳴らしながら、この館の主は、宝石箱をひっくり返したかのような、鮮やかなお菓子たちを自慢げに披露する。


「我が土地で取れた薬草は、極上のハーブティーにもなりましてな! それと合う、厳選された数々の菓子と組み合わせたアフタヌーンティーは、クライン領の数少ない自慢の一つでございますので!」 


 本当に誇らしげに、カールはそう胸を張るのだった。

 そっと、隣のクロシェを見ると――あのクールな表情はどこへやら。きらきらと目を輝かせて、卓上の宝石に目を奪われていた。

 それを見逃すカールではない。彼は、がははと笑いながら、ひょいと目の前の砂糖菓子をつまみ、口に放り込んだ。


「うん、美味い! 早く食べないと、これら全部、あっという間に無くなってしまいますな! 肩肘張らず、存分にどうぞ、クロシェ様!」


【テーブル】は開かれていないので、過剰にマナーを意識しなくともよいはずだが、それでもクロシェは、自分が先に食べるわけにはいかない、と考えていたことを見抜かれたのだろう。

 カールは、自身が先に適当な菓子を食べ、緊張をほぐすような言葉を投げかけ、もう気にすることはないから、好きなものを食べろと促してきた。

 クロシェは、おずおずと、それでも遠慮がちに、紫の果実が載ったプチケーキを掴み、そっと口に含んだ。

 瞬間、彼女は蕩けそうな表情で目を閉じ、この世に生まれてきたことを感謝するような幸福なオーラを全身から放った。


「……うぅ……おいしゅうございます……カール様」


 絞りだすように声から漏れ出たのは、幸せが濃縮された短い感謝の言葉であった。

 それを見て、カールは再び、ははは、と笑うのであった。


「そんなにもお喜びいただけるとは! このカール・クライン、感無量でございます! どこにあろうが、この味は変わらぬと、確信を得ましたぞ! はははは!」


 上機嫌に、何の気も無しに、お世辞を述べている、ように見えるのだが。

 ――それは誘いだ、とキースは勘付いた。

 どこにあろうとも、と言った。突然の来訪など、目的は一つしかあるまい。すなわち、領地交換について、お前らは聞きにきたのだろう? と、カールは問いかけているのだ。

 言外に意味を込めたメッセージ、それを受け取れるのかまで見られている。成程。この世界は確かに外交が全てなのだと、キースは改めて思い知らされるのであった。


「全く、本当に素晴らしい土地です。第七領の下に、クライン領があること自体が、幸運であるとしか言えません」

「ははは! なにをそんな! 葉っぱを育てるのが取り柄の、なんにもないところですわ!」

「こんなに素晴らしい薬草畑があるのに、何故領地交換には賛成されるのでしょうか?」


 単刀直入に、キースは切り込んだ。

 それに相対するカールは、にこにことした表情を崩さない。


「ううん、まあ、以前お話したとおり、でございますが」

「何度もお伺いして申し訳ございません。ですが、これは本当に重要なことだと考えておりまして。よろしければ、もう一度、第六領の提案を受け入れた理由を、お伺いしたいのです」

「……左様でございますか。まあ、キース様としては、慎重を期すのは当然でしょう。無論、いくらでもお話させていただきますが」


 そしてカールは、大窓の外に広がる、揺蕩う草原を見渡した。

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