第13話 - クライン領

「クライン領は代々、薬草と共にある家でして。傷を治し、癒しをもたらす我らの薬草は、誇りそのものであり、ここに住まう人たちと共に紡いできた歴史そのものでございます」


 彼の瞳の奥で揺らぐのものは、少なからぬ悔恨が混じっているように見えた。


「だが、この頃、マナ不足が深刻化しましてね。前のような品質の薬草を、もう育てられないんですよ。安売りすれば糊口も凌げるが、そこには我らの誇りが無い。この稼業を続けるべきか、悩んでいたのです」


 直接、彼の口から聞くと、胸が締め付けられるような思いであった。

 第七王子の不出来が由来して、代々続く仕事を奪われる者が出てきている。

 己に身に覚えはないとは言え、それでも後ろめたさを感じずにはいられないのであった。


「そんな折に、第六王子からお話をいただきました。建設地に困った工場がある、と。それの詳細をお話することはできませんが――とても興味深いものだった。村民とも話し合い、これを受け入れることを決めた。ただそれだけでございます」


 滔々と語る彼の言葉は重く、眠れぬ夜を幾つも経て決めたことだと、実感することができた。

 しんみりとしてしまった場の空気を読み取り、カールはにかりと笑った。


「すみませんな、やはりこんなもの、面白くも無いでしょう! 私がもっと有能な領主であれば、家業を手放すことなんぞ無かったであろうに」

「……むしろ、それはこちらの責任だと感じております。我々の不甲斐なさが、貴方に辛い決断を強いてしまった」


 自身の預かり知らぬ件だとは言え、この肉体の前の持ち主の無能っぷりを聞くたびに、申し訳ない気持ちになる。真摯に頭を下げると、それを見たカールは目を丸くした。


「おお……そんなそんな! どうか頭をお上げください! いやはや、まさかそんな言葉を聞くことになるとは……まるでお人が変わったようですな。ルイスが見たら、きっと腰を抜かぬに違いない」


 そして、カールはその名を出した。

 ルイス……事前に聞いた情報だと、クライン家の唯一の息子だとか。確か、生前のキースとの親交が深く、よく連れ立って夜な夜な遊び歩く悪友でもあったとクロシェから聞いていた。

 頭を下げるだけでそんなにも大騒ぎになるとは、一体どんな厚い面の皮をぶら下げて歩き回っていたのやら、と呆れるしかなかった。

 そしてキースは、いよいよ本命ともいえる問いかけを投げかける。


「例えば、なのですが。クライン領に回すマナを増やすから、第六領への移籍は中止にしてほしい、と、私が言ったら、どうでしょうか?」

「ほう」


 突然の提案であったが、カールは、にこにことした面相を崩さず、若き主の言葉を黙って聞いていた。


「こんなにも美しく、情熱が注がれた畑は、残さなくてはならない。第七王子の権限から、これまでと同じ品質が担保できるほどのマナを回すから、考え直してみては――」


 各領地の主は、所有権を持つ土地のマナを、己の裁量である程度移動させることができる。

 その領地で栄えている場所に多くのマナを割き、成果の期待できない場所からマナを取り上げる。そういったマナの分配は主として非常に重要な仕事であり、各土地を管轄する貴族たちは、マナを取り上げられまいと、必死な「外交努力」をするのが常であった。

 キースは、自身の独断で、そんなしがらみを無視して、ここに多くのマナを回す、と言っているのだ。思い入れのある畑を潰さずに、これまでと同じ生活ができる。そんな甘い提案に、驚かない者はいない、と思っていたのだが。

 対するカールは――先ほどまでの、にこにことした表情を全く崩さず、キースの提案を聞いているのであった。


「寛大なご提案、誠にありがとうございます。至らぬ我が身には、有り余る光栄と存じます……しかし、申し訳ないですが、やはりそれは受け入れるべきではないでしょう。こんな田舎に、貴重なマナを回しても、大した貢献はできない。第七領全体のためにはならないかと思います」

「それは、やり方次第だと思います。薬として売り出すだけでなく、ここに広がるような、ティーパーティーのセットとして貴族たちに売り出せば高単価で――」

「運命だと、思っているのです」


 そんな、祈るような、静かな言葉は、販売戦略なぞを語るキースを黙らせるのに、あまりにも効果的であった。


「この世に、いつまでも続くものは無く、いつかは変化を受け入れなくてはならない。代々続く、誇り高きクライン家の薬草にしがみつくべきではない、と、神様が告げているのです。これからどう生きるか、どんな役目を果たすべきか。――私は、未来を示さなければならない」


 カールは、じっと、キースの目を見つめて、真摯な思いを述べた。


「なので、己のマナーに従うことにしました。マナーとは、感謝を示すことでしょう? 不甲斐ない領主を支えてくれる民へ、私を貴族として置いてくださるこの国へ、最も感謝を示し貢献ができることは何かと考えたときに、答えは一つしかなかった。それだけなのです。――それでもキース様。こんな田舎貴族の畑を、美しいと評してくださったことは、何よりも得難き勲章にございます」


 そうしてカールは、目の前の若き王子に、頭を垂れるのであった。

 説得にあたり、それなりの打算や計画を用意してきたつもりであった。だが、彼は、己の信仰と未来に殉じるのだという。これをどうやって説得できようか。

 キースは、曖昧に「そう、ですか」と答えながら、脳を回転させていた。

 想像以上に、立派な理由が返ってきた。また、目の前で聞いている限り、彼の言葉に嘘は無いように見える。

 あからさまに怪しい案件だと考えていたが――もしや、話通りの素晴らしい取引なのかもしれない。そう思わせてしまうほどの、カール・クラインの言葉は、あまりにも真摯であった。


「申し訳ございません、カール様。あまりにも、無粋でした。どうか、お許しください」

「ははは! やれ、今日は珍しい日だ! あの第七王子様が、こんな親爺に何度も詫びるものではありませんよ!」

「ただ、今述べた気持ちは本当でございます。ここはできる限り残したい。なので、工場なんかよりも、メリットのある提案ができれば、考え直していただきたい」

「……ははは。本当に、嬉しいお言葉ですな。もしもそんなものがあるならば、勿論検討はいたしましょう」


 今日はもう、これ以上押すことはできないだろう。

 カールとの攻防を横で聞いていて、目をぐるぐる回しているクロシェも限界に近かったので、とりあえず話を先延ばしにすることができただけでも、良しとしなければ。

 第六王子との【テーブル】までの間に、もっと情報収集をしなければ――何も出てこないのであれば、そのまま合意することになるのだろうな――とも考えながら。


「しかし、本当に素晴らしい眺めですね。草葉のざわめきが、海の波濤のようだ」

「ははは! いつの間にそんな、詩的な例えを使いこなされるようになったか! そこまでの賛辞は、むずがゆいですなぁ」

「いえいえ、こんな絶景を見下ろしながら、こんな美味しいお茶をいただけるなんて……こんな言葉では言い足りないほどで……」


 とにかく、この畑を褒めに褒めて、ほんの少しでも、取り潰すことへの迷いを生み出せればと思っていた、の、だが。

 本当に突然に。例の既視感を覚えた。

 この土地に降り立ったときに感じた「ここに来たことがある」という感覚。大窓から畑を眺めていると、何故だか突如、強烈にそれがまた襲い掛かってきたのだ。

 そしてその既視感の中には、違和感も混じっていた。


 ――これはなんだ。


 原因も正体もわからない。だが、朧げな感覚が、とある違和感を大声で訴えている。


「キース様? 如何しましたか……?」


 突如黙りこくったキースを気遣い、カールが心配げに尋ねてくる。

 その謎の違和感なんて、彼に聞くようなものではない。だが、その異物のような感触がどうにも気持ち悪く――キースは、打算や戦略などなにもなしに、思わず、それを、口に出してしまったのだった。


「カール、様。本当に、つかぬことを、お伺いしますが」

「つかぬこと……? はぁ、なんでしょうか」

「貴方の畑は、ここにあるものが全てでしょうか?」


 ここにあるはずのものがない。違和感は、そう叫んでいた。わけがわからない。ここにくるのは初めてなのだから、何があって何が無いなんて、察することなぞできるはずがないのだ。

 だから、こんな愚問、一笑に付して退けてもらえれば、それでよかったのだ。のに。

 カールは、ははは、と笑って。その笑顔が、微かに震えているのを、見てしまったのだ。

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