第5話(終)

 朝、早めに学校に行って、有紀ちゃんと更衣室で浴衣に着替えた。教室に行くと、女の子たちが集まってくる。男子も、お化け屋敷の設営の最後の準備で忙しいはずなのに手を止めてこっちを見てる。

 野宮くんも。視線を感じて、別に私を見てるわけじゃないってわかってても恥ずかしい。

「えー、ねえ有紀と香織ちゃん浴衣で受付するのー?」

「えへへ、いいでしょっ」

「香織ちゃん、すっごい似合うね!」

「似合う似合う~。かわいいね」

 女の子たちに言われて、私は自分よりもはるかに浴衣の似合う有紀ちゃんの横で、小さく首を振った。有紀ちゃん、背も高いし、スタイルいいし、大人っぽいし。紺色の浴衣がよく似合う。

 普段下ろしてる髪をあげて、花の飾りをつけている。目元がきらきらしてるのは、いつもとちょっと違うお化粧。

 私はいつも通りだ。お化粧なんてしてないし、髪型だって変えてないし、浴衣着てるだけでほんとにいつも通りだ。

「あー、ふたりとも浴衣だ」

 男の子の声で言われて、顔をあげた。有紀ちゃんと私の前に野宮くんが立ってた。

「朝顔の柄、いいな!」

 白地に朝顔の花が咲いた、私の浴衣。まさか有紀ちゃんより先にそんな風に言ってもらえるなんて思わなかった。とっさに大きく首を振った。

「……浴衣は、かわいいけど。似合ってないし」

「えー? 佐原さんもかわいいじゃん。似合ってるじゃんか」

 カワイイ、って、野宮くんが言った。そんなこと男の子に言われたのはじめてで、くらくらした。

 やめて、そんなこと言わないで。だって……ほら、私、笑っちゃってる。嬉しくてたまらないって思ってしまってるよ。

「ねー野宮、あたしは? あたしも似合う?」

「えー、有紀は……まあ、そうだな」

「なに? 気合い入れて選んだんだよ、この浴衣。どう?」

「はいはい、似合ってる似合ってる」

 私と同じように有紀ちゃんにも似合ってると言うけれど、どうして、そんなに違う表情をするのだろう。

 野宮くんに自覚はないかもしれない。ほかの誰も気づかないかもしれない。でも私は、わかるよ。

 3人で今日のことを少し話したけれど、嬉しいのと苦しいのが混ざって大変だった。もう、こんな風に野宮くんと有紀ちゃんと話せることはないかもしれない。今日の、この時間で、終わり。


 やがて準備に戻る時間が来て、野宮くんが私たちのもとを離れていく。

「じゃあな、今日はがんばろうな」

 手を振った野宮くんに、有紀ちゃんが振り返した。”がんばろうな”……

「がんばって」

 って、言ってしまった。有紀ちゃんのいる前で言ってしまった。今日――告白、がんばってって。

「……おう。がんばる」

 野宮くんはあの笑顔で、私に小さくガッツポーズしてみせた。そして教室の奥で作業してる男子たちのほうへ戻って行った。

「ん? なに? 意味深ー」

 有紀ちゃんが不思議そうな顔をしたけれど、「なんでもないよ」って笑って、受付の準備に向かった。




 午前中はクラスのお化け屋敷の受付の仕事をして、午後から料理部のお手伝いに行った。

 有紀ちゃんが話しておいてくれていたようで、私と一緒に活動する子は、すごくよくしてくれた。名前はマミちゃん。クラスが違うので授業とかで関わりはないけれど、有紀ちゃんと似たような印象の子。料理部にたくさんいる、女の子らしい女の子だ。

 売店の仕事は楽しかった。マミちゃんはわかりやすく内容を教えてくれて、暇な時には雑談して私のことも料理部に勧誘してくれて。

 でも……マミちゃんが追加のお菓子を取りに調理室に向かって、お店を離れた時だった。

 何人かのお客さんにひとりでお菓子を売り、一息ついて、イスに腰を下ろしたとき、目の前の人ごみの間に、有紀ちゃんと野宮くんを見つけた。

「あ……」

 思わず出してしまった声に気づいて、慌てて口を閉じて、なのに、視線は……二人を見つめる視線に気づいていても、目を反らすことができない。

 二人は私の姿になんて気付いていない。この距離では、私が野宮くんを見つけても、野宮くんは私を見つけてくれない。有紀ちゃんは――ここはもともと自分がいるはずの場所なのだから、気づいていたかもしれないけれど。

 二人のいるところは、確かに同じ空間なのに別の世界のようだな、と思った。声をかけても、手を振っても、走り寄っても、交われない気がした。

 そのまま、有紀ちゃんと野宮くんは私の目の前を通り過ぎて行った。野宮くんは楽しそうに笑っていた。


「かーおりちゃんっ」

「わっ……!」

 後ろから、肩を叩かれる。びっくりして声を上げてしまい、マミちゃんのほうもびっくりしている。

「……驚かしちゃった?」

「う、ううん……ごめん」

 動揺を隠せない。慣れていない子には自然に笑えない、目もちゃんと見れない。マミちゃんにも、少し困った顔をさせてしまう。

 ほんの少しだけ気まずく揺れた空気を直そうと、手を動かした。マミちゃんが持ってきてくれたお菓子をテーブルに並べる。

「お菓子ねぇ、これで最後」

「えっ、ほんと?」

「うん、もうすぐ完売! 香織ちゃんが手伝ってくれたおかげだよー」

 歯を見せて笑うマミちゃん。その笑顔を見て、有紀ちゃんに似ている、と思った。髪の長さとか色とか、お化粧の仕方とか制服の着かたとか、そういったところも似ているけど、私に向ける表情に含むものが似ている。

 そのまま、夕方の終了時間まで、二人でお菓子を全部売った。完売の看板を前に出して、片付けの作業を始める。

「香織ちゃんって、彼氏とかいないの」

 売上の小銭を数える作業をしているときに、突然、訊かれた。でもそれは、有紀ちゃんや野宮くんに「好きな人」について聞かれた時よりも、不思議とすっと自分のなかに入ってくる会話だった。

「え? いない……よ」

「そうなの?香織ちゃんかわいいのにー」

「かわいくなんか……」

「かわいいかわいいっ」

 にかっと笑って、私の頭をなでる。私はだまってうつむいた。やっぱり、似てるけど、ちょっと違うかも。本当にちょっとだけれど。

 片づけが終わるころには、少しずつ空が暗くなってきていた。……もうすぐ、フィナーレ。花火の時間か。自由な時間、とれなかったけど。でも私の今年の文化祭は、これでよかったんだ。

 マミちゃんは彼氏と花火を見るからと言って、その場で別れた。

 独りになった途端、今まで忘れていたはずの寂しさの波がが押し寄せる。でも、気付かないふり。私は平気。

 たぶん、野宮くんと有紀ちゃんも今頃一緒に肩を並べているだろう。二人に出くわすことのないように、人ごみを避けて玄関のほうへ向かった。

 これでいいんだ。私は、こっち側には――いられない。野宮くんと有紀ちゃんと同じ空間には、今日のこれからの時間は、いられない。




 玄関の扉を静かに明けると、校舎の中へ入った。本当は今の時間は生徒も教師も、みんな花火を見るために外に出ている。中に入っちゃだめなはずの時間だ。

 足音を立てないように廊下を進み、自分の教室まで向かう。こっそり暗い教室に忍び込むなんて、なかなかない経験だ。あったとしても、たいていの人にとっては友達や恋人との思い出のひとつだろうけど。

 教室の中は、外の広場の照明の光が差し込んで、窓の近くは薄暗い程度だった。窓から少し離れた、ちょうど光がとぎれて闇が深くなったあたりの机に腰掛け、足をぶらぶらさせる。外ははしゃぐ生徒たちの声でにぎわっているのに、こっちは異様に静かだ。私だけの世界だ。

 目を閉じて、静かにその時を待っていた。


 花火が上がる音、続いて窓の外で上がる歓声が聞こえて目を開けた。

 花火大会で上がるような豪華なものじゃない、小さめの打ち上げ花火が数発だけど、それでもやっぱり文化祭の最後を彩る綺麗な花火。

 私もゆっくりと歩いて行って、窓を開けた。下にいるたくさんの生徒たちも、先生たちも、誰も校舎の方を見てなんかいやしない。

 きれいだなあ、と思った。ちゃんと綺麗だと思えたことに安心した。花火が打ち上がるたびに破裂音が、遠くから低く重く胸に響く。この音は、私の心臓の音。重い音。

 息苦しくなって、下を見たら、やっぱり野宮くんと有紀ちゃんがいた。もう野宮くんは告白を終えただろうか。そうみたいだね。

 じっと、二人の姿を見つめていた。花火なんか私は見ていなかった。


 最後の一番大きな花火が上がる直前、空を見上げたみんなの視線から隠れるように、野宮くんが有紀ちゃんの頬に手を伸ばした。

 ただひとり、私だけがそれを見ていた。花火の光がくっきりと、わずかに揺れて重なった二人の影をアスファルトの上に映し出した。


 外の人の波がゆっくりと動き始める。最後のイベントを終え、解散の時間になって、みんなが一斉に校門のほうへ向かう。野宮くんと有紀ちゃんの姿も、すぐにまぎれてわからなくなってしまった。

 しばらく教室でぼーっとしていた。ゆっくり、のろのろと廊下を歩いて校舎を出た。

 外にはほとんど生徒は残っていなかった。携帯を開いたら、思いのほか時間が経っていて驚いた。

メール受信中の画面にパッと変わって、ますます驚いた。見たくなかった。今有紀ちゃんと一緒に帰路についているであろう、野宮くんからのメール。


『文化祭終わっちゃったな。おつかれ!』


 いつもみたいな、当たり障りのない出だしと私なんかにも気を遣った一言。

 そして、


『有紀とうまくいったよ。ありがとう』


 ありがとう、の後ろに、ピースの絵文字がひとつついていた。

 それを見た瞬間に我慢できなくなって、校門のところでしゃがみこんだ。携帯を膝の上でぎゅっと握りしめた。

 ――野宮くんからのメールについている、初めての絵文字。初めて私に、私に送るメールに、私だけに"ピース"の気持ちを伝えるために、親指をいつもよりも何度か余計に動かしてつけてくれた絵文字。

 悲しいのに嬉しかった。嬉しいほうが大きいような気さえしたんだ。私にはその小さなドット絵のひとつが、とてもとても愛しかった。

『おめでとう』

 震える指で、返信を打った。一行空けて、

『わたしも野宮くんが好きでした』

 決定ボタンを押して、送信する直前にもう一度メールを読みなおした。

 やっぱりだめだなぁ、って笑って、メールを開いて後半の文を削除する。おめでとう、の後ろにピースの絵文字を付け足した。

 送信。

 私の気持ちを、そのデータの一部に一度は確かに刻んだメール。野宮くんのところに飛んで行った。

 携帯を開いたまま待ち続けて、画面の照明が消えるまで待っても返信は来ない。……きっともう、私の携帯に野宮くんのアドレスは必要ないだろうなと思った。




 翌日の朝、いつも通りに待ち合わせ場所に有紀ちゃんが来た。

 いつも通りに「おはよう」って挨拶して、いつも通りに並んで歩く。

「文化祭、終わっちゃったねー」

「そうだね」

「ほんとさ、毎日学校に夜遅くまで残ったりして、みんなでアツくなっちゃって、この数日夢みたいだったよねぇ!」

「今日教室を片付けたら、普通に授業も始まるもんね」

「そうそう!もうすぐテストだよね。やんなっちゃう」

 夢の終わりの一番素晴らしいときに、有紀ちゃんは何を見たのだろうか。夢から醒めて、いつも通りの日常に戻るけれど、私と有紀ちゃんの戻るところは同じなのだろうか。

 それきり、文化祭の話はしなかった。有紀ちゃんに野宮くんのことは聞かなかった。本当はずっと、心のどこかで気になっていたけど。有紀ちゃんとの会話をしながら、気になって気になって仕方なかったけれど、ときどき上の空な返事を私が返しても、有紀ちゃんは何も言わなかった。


 学校についたら、玄関のところに野宮くんがいた。「あっ」と小さく言った有紀ちゃんの様子が、いつもの野宮くんを見つけた時の様子と違っていた。

「……おはよう」野宮くんが有紀ちゃんに言う。

「おはよう」有紀ちゃんが野宮くんに言う。

 有紀ちゃんの背中越しに、野宮くんと目が合った。「おはよう」って幾分緊張した面持ちで言われて、曖昧な作り笑顔を返す。

 靴を履きかえながら、二人が話していたこと、私の耳は自分でも嫌になるほどしっかりと捕えていた。

「今日、料理部の文化祭の反省会あるから」「じゃ、待ってるよ」

 簡単に言葉を交わした後そんな風に最後に言って、野宮くんは先に行ってしまったけど、彼が消えて行った廊下の奥、今私たちも歩いていこうとしている方を、有紀ちゃんはじっと見ていた。

「行こっか」

「うん」

 横に並んで歩き出した。角を曲がり、階段を上る、少しずつ上の教室の方から賑やかな声が聞こえてくる。ちょっと歩いたところで、わっと歓声が響いた。間違いない、私達のクラスからだ。


「ほんともう、うちのクラスの男子ってうるっさいなー。呆れちゃう」

「何やってるんだろうね」

「……たぶんね、教室に入ってった野宮を、タクが昨日使った道具でおどかしたりして。ゾンビのやつ」

「ああ、そんなところだね。すごく想像できる……」

「絶対、ますます散らかしてるよね! これから片づけなのにねぇ。野宮なんか……実行委員のくせにさ。たぶん、絶対、手伝ってくれないんだから。野宮なんか」


 有紀ちゃんが彼の名前を口にするのを、とても久しぶりに聞いた気がした。

 その響きは、少し前までの有紀ちゃんが彼を呼んだときの響きとは違っていて、もっと優しくてあたたかいもので、たぶんそこに増えたのは、私が彼に感じていたのと同じような――けれど完全に同じでは決してない、有紀ちゃんにしか感じることのできない気持ちで。


「……有紀ちゃん、」

「あのね香織」


 私が呼んだのと同時に、有紀ちゃんが足を止めてこっちを見た。ちょっとの、間。

 ああ、有紀ちゃんが、私の知ってる有紀ちゃんじゃない、と思った。

「あたし昨日ね、」



 その口からそれを聞いた瞬間に、私の失恋はようやく失恋になった。

 誰にも伝えることのないこの気持ちは、私の中だけで始まって、私の中だけでひっそりと終わった。

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