山歩きツアー
小港の八ツ瀬川付近より出発した一同は道すがら七海母監修による七海真生の案内により、説明を受けながら山歩きのツアーを満喫していた。
当初は渋っていた地元出身海老原初音は、
「へー、何かこういうの久しぶりで逆に新鮮かも」
存外楽しんでいた。が、ガイド役のマイマイによる説明は聞いていなかった。
対して律儀に固有種などの説明を受けていた健太郎は、
「これはノミガイ類、オガサワラノミガイ、小笠原固有のカタツムリだよ」
「へえ」
「こっちもノミガイ類で、ナカダノミガイね」
「へえ」
「こっちはエンザガイ族のボニンキビなんだけど、実は近縁ないし同種のカタツムリが大東諸島で見つかっちゃったみたいで、固有種じゃない説が出ています」
「へえ」
何故かカタツムリの説明に終始するマイマイを七海母がしかりつけ、色々と他にも説明してくれるのだが、如何せん地味である。どうレスポンスを返すべきなのか、大人なら「わぁ、凄い、貴重で素晴らしい」と言うべきなのだろうか、など健太郎は真面目に考えていた。
正直、健太郎目線で見ても「おっ」と思ったのは独特な形状の植物であるタコノキぐらいで、他は説明されて「なるほどぉ」という感想しか出てこなかった。
こういう感性が貧困だから芸術方面で開花しなかったんだぞ、と自分で自分を心の中で罵倒しながら、さりとてやはり地味な印象はぬぐえないまま進む。
こう、何とも言えぬ表情の健太郎を見て、マイマイは母を見る。
苦笑しながらこくりと頷く母を見て、にやりとマイマイは笑った。
「地味でしょ⁉」
「え?」
食い気味に突っ込んでくるマイマイ。顔が近過ぎるため健太郎は彼女を直視できず、その光景を遠巻きに初音はニヤニヤと眺めていた。
「お客さんの気持ちはわかります。固有種って、まあ、地味なんです。カタツムリの説明なんて、普段カタツムリをまじまじ見たことがない人にとっては、ああそうですか、と終わってしまう話。わかります、お客さん」
「は、はぁ。あの、ガイドさんなのにそんなこと言っていいの?」
「いいんです!」
健太郎は自信満々のマイマイを見つめながら、その様子をチェックしているであろう七海母の様子を窺うことが出来なかった。娘の暴走にキレてはいないだろうか、など心配しているのだが、当の本人は何故かしたり顔である。
「あはは、ちょ、笑っちゃうって。今のやり取りさ、山歩きガイドの常套句だから」
そんな空気を察してか、初音は笑いながら健太郎に種明かしをする。
「ええ、どういうこと?」
「固有種の説明なんてどうやっても地味になるし、ぶっちゃけるとつまんない。まあ、中にはそういうのを求めてくる人もいるけど、面白みには欠けるわけ。だからあえて地味な説明をいくつかした後に、自分たちで茶化す。すると小笑いが取れて、場が和むって寸法」
「……な、なるほどぉ!」
本日一番のなるほど、がさく裂する。それが初音の種明かしであるのは、まあご愛敬なのだが、マイマイは自分の出番を持っていかれたと大変ご立腹であった。
当然、その態度は母に咎められることになったのだが――
そんな感じでしばらく進むと、
「ん?」
健太郎は自然の中に遺されている『不自然』を見つけた。
過ぎ去った年月を感じさせる赤錆びたトラックやジープの残骸など、人工物が各所に横たわっていた。不自然ではあるのだが、年月によって風景に馴染んでいる様は、何とも言い難い郷愁を感じてしまう。
これは何なのだろう、と健太郎が思っていると、
「これはね、戦跡だよ」
そうマイマイが説明してくれた。
この島にはかつて、太平洋戦争が始まる前は今よりももっと多くの人が住んでいた。日本軍が絶対国防圏と位置付けたマリアナ諸島からほど近い小笠原諸島にも、米軍による空襲が行われ、多くの島民が疎開を余儀なくされた。結果としてこの島での戦闘はなかったものの、近くにある硫黄島のように島自体が軍事的な要塞化を施されることになった。
戦後、この島は米国領となり帰島を許されたのは欧米系にルーツを持つ島民のみ。ほとんどの島民は島に帰ることが出来ず、六八年に返還されるまで他の土地で暮らすことを余儀なくされてしまった。戦争に翻弄され、数奇な歴史を刻んできた小笠原。
戦跡は、そうであった記憶を繋ぐ、レガシーなのである。
「…………」
そう言った説明を受けながら、一行はさらに進む。途中ガジュマルに囲まれた広場には人の住んでいた形跡が残されており、何となくしんみりしてしまう。
分厚いコンクリートの建造物、赤錆びた発電機、負の遺産と言い切るには様々な想いが連なった戦争の傷跡を撫でるように、彼らは歴史を踏みしめながら歩む。
「昔は、正直何も感じなかったんだよね、遠足みたいな感じで連れてこられたけど」
初音はコンクリートを撫でながら、ぽつりとこぼす。
「でも、今は、何とも言えない気持ちが渦巻いてる。変だよね、別に自分が経験したわけでもないのに。それなのに何故か、こう、変な気分になっちゃう」
外の人間である健太郎と島民である初音では受け取り方も違うのかもしれないが、それでも何とも言えない心の機微は「わかる」と思った。
健太郎はただ、頷いて同意を示す。
「…………」
自然の中に佇む不自然。未だ遺る深い傷跡。
それらを見て揺れる心に健太郎は息を吐く。芸術による感動、景色による感動、ストーリーによる感動、心とはかくも容易く揺れ動く。
綺麗な光景ではない。透き通った海面とはまるで違う景色。
それでも青柳健太郎はこの景色を、美しいと感じたのだ。
○
「はい、到着! ここがかの有名な、ハートロックの上です!」
ででん、と効果音が出そうなほどの勢いでマイマイが説明するも、
「はーとろっく?」
首を傾げる健太郎にマイマイ及び初音、ついでに七海母も唖然とする。
「あ、あんたってホントに、小笠原に興味なかったんだね」
「う、うう、マイマイは、ショックです」
「ちょ、え、何かまずいこと言っちゃったかな⁉」
ハートロックとは海から見ると巨大なハート型に見える岩、まあ文字通りなのだが、そこを目指してトレッキングするのが山歩き定番のコースとされている。
戦跡中心ならばまた別のコースがあるのだが――
一応このハートロック、上からでもハート型を視認は出来る。豆知識である。
「では、お弁当を食べましょう。今日は特別に、あの伝説のゴロ弁を用意しました」
「……え、馬鹿じゃないの?」
「一番おいしいよ!」
「私は量の話してんの! って言うかあそこ作り置きしてたっけ」
「特別です!」
何故かマイマイと初音の口論が始まった横で、たっぷり歩いてお腹が空いた健太郎は七海母から弁当を受け取ろうとする。
受け取る際「ごめんなさいね、あの子これだって聞かなくて」と言われたのだが、見た目は何の変哲もないお弁当にしか見えない。
だが、持った瞬間、その重量感に目を見開いた。明らかに重い、重過ぎる。
四人分のこれを持って平然としていた七海母の底知れない体力はさておき、この重量は普通ではない。このサイズでこの重さと言うことは、ぎゅうぎゅう詰めにでもしないと理屈に合わないだろう。実際に開封してみると、みっちりと隙間なく埋め尽くされた食材たちが顔を出す。こいつは強敵だ、と健太郎は慄くも、
ぐう、と鳴った腹が開戦の合図を告げた。
小笠原父島にて異彩を放つ弁当屋五六○さん、実際にあるかどうかは貴方が見て確認してください。私は半分を夜飯に回しました。
「も、もう食えない」
「……食べられないし、歩けないんだけど」
「満足満足。ねえねえ健太郎、美味しかったでしょ?」
「うん、まあ、味はホント、びっくりするぐらい美味しかったよ」
「でっしょー。ほら、あたしの言った通りだよ、えびちゃん」
「そいつに気を遣うなァ」
「健太郎は気なんて遣ってません!」
健太郎の気遣いが原因で再度口論が発生するも、そこに関与する気力も湧かない健太郎はハートロックの上から小笠原の海を眺める。
この島に来て、それなりの時間が経った。色んな風景を見てきたつもりであったが、当たり前のように目の前には見たことのない景色が広がっていた。
「あらー、今日は天気が良いわね。母島まで見えてるわ」
「あ、どうもおばさん」
「あそこが南島、ずっと遠くの島が母島ね」
「どっちも行ったことないです」
「南島は行く機会あるかもしれないわね。母島も行こうと思えば行けるけど、とりあえず行ってみよう、はあまりお勧めできないかもしれないわ」
「何でですか?」
「あそこの詫び錆びは若い者にはわからない、なんてね。本当に何もないところなの。今の日本には珍しく。なーんにも、ね」
七海母は満面の笑みを浮かべて、
「あそこはね、何もないがある島なのよ」
母島への愛を口にした。
聞かなくてもわかる、彼女は母島が好きなのだろう。今の健太郎には『何もない』を良いものだと思うことは出来ない。理解することも出来ない。いや、理解と言う時点でどうにも本質とはかけ離れているような気がしてしまう。
「真生と遊んでくれてありがとうね、健太郎君」
「いえ、僕の方こそ、ありがとうございます。おかげで、楽しいことばかりです」
「そう。なら、よかった」
それでも、いつか母島にも行ってみたいと思う。何もないと言うことに魅力を感じられるようになったら。
その時には、きっと――この景色だって違うように見えるはずだから。
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