【第四章】島めぐり
「ごめん、明日から一週間だけお休みください!」
ぺこりと頭を下げるマイマイに、健太郎は驚いた。休みを欲しいと言ったことではなく、突然現れて土下座したことに、であるが。
「まあ、別に構わないけど」
「あざます!」
とは言え毎日が日曜日、と豪語していたマイマイが休みたいという理由は、気にならないと言えば嘘になる。どうにもいつも以上に活力もみなぎっているような――
「あー、お盆? 手伝いでもするの?」
「うん!」
「そっちの家は稼ぎ時だもんね。ま、頑張って」
「りょうかいです!」
健太郎だけがついていけないやり取りが続く。疑問符が浮かんでいる健太郎を見て、初音がにやりと笑みを浮かべた。
「あれぇ、健太郎君はわかんないかぁ」
「まあ、別に、わからなくても困らないし」
「え、健太郎わからないの?」
何故かショックを受けるマイマイ。何故ショックを受けられたのかわからない健太郎は狼狽する。その様子を見て、口を押さえながら初音は笑い出した。
「あっはっは、マイマイの家、島のガイドやってるのは知ってるでしょ?」
「うん、前に聞いてたと思う」
「で、お盆が来ます。どうなるでしょう?」
「……お墓参りをする?」
え、こいつマジか、と呆然とする二人。
「観光客がどっと押し寄せてくるから、忙しくなるって話なんだけど」
「そんなに来るの?」
「この島は特にね。ちょっと考えればわかるでしょ、往復五泊六日の離島に旅行するなんて、普通のご家庭なら盆か正月しかないことぐらい」
「……そ、そうか、確かに、そうなるのか」
「何かしっくり来てない面してるけど?」
「う、まあ、その、僕はともかく周りにあんまり一般家庭がいないから、その、普通にみんな二週間三週間ぶち抜きで海外旅行してる子ばかりで。僕は違うけどね」
「……セレブかよ」
「げ、芸術系の学校は多いんだよ。お金持ちの子どもが」
「あんたんとこも相当蓄えてそうだけどね。なんせ、世界の青柳綾子だしぃ」
「……ぴ、ピアノぐらいだよ。家にある高いものは」
「何ピアノ?」
「……グランドピアノ」
「はいセレブ! ここにセレブの輩がいまーす!」
「が、学校の中じゃ中流だし」
「どんなお坊ちゃま学校よ。何か聞いてるだけで胃もたれしそう」
健太郎はバツが悪そうな顔で視線を逸らす。
「へー、健太郎ってお金持ちだったんだ」
「そ、そうでもないよ。あはは」
「あたしの家はかつかつだよー」
「「…………」」
何とも返し辛い自虐に健太郎と初音は押し黙るしかなかった。マイマイは自虐と言うよりも事実を述べただけなのだろうが――
ちなみに健太郎を煽っていた初音も親が漁師なので、島の中では比較的裕福な家庭に分類される。
観光業は小笠原にとって花形であるが、同時に水物でもある。参入障壁も比較的小さく、競争が激しく宿のオーナーでもない限りは結構厳しい業界でもあった。
「……とりあえず、練習するか」
「「はーい」」
本日もまた、極めて地味な練習が始まる。
「……リズム、僕らに引っ張られているよ。メトロノームだけを感じて」
「無茶言わないでよ!」
「僕はクラシック畑だし詳しくはないけど、ドラムとかリズム隊が音に引っ張られていたら話にならないんじゃないかな。音で引っ張るぐらいじゃないと」
「こいつ、一々棘ぶっ刺してきやがって」
「悔しかったら僕らを引っ張ってズレているよ、って指摘が欲しいな」
「やってやろうじゃん!」
音楽に関することでは強気の健太郎と、そもそも勝気な初音は顔を合わせるたびに衝突していた。双方、気が合わないと感じていたが――
「いいなぁ、仲良しで」
マイマイだけは明後日の方向の感想を抱いていた。
○
翌日、初音だけが青柳家にやってくる。
だが、その顔はどうにも浮かない様子だった。
「練習、気乗りしない?」
「そっちはやる気はあるよ。なかったら来ないし。ま、別件で色々ありそうでさ」
「色々?」
「……硫黄島の付近で台風の卵が出来たの」
「え、台風に卵なんてあるの⁉」
「天気図見たらそういう風に見えるってだけ。ここから発達して台風になる可能性があるっぽい。で、そうなったら、もしかすると船の運航に影響出る可能性がありって感じ……おわかり?」
「……え、そうなったら、観光客って」
「当然来れないし、今いるお客さんも早めに帰っちゃうかもしんない。私の家にはあんまり関係ないけど、観光の人たちには大打撃、かな」
「……マイマイの家も、そうだよね」
「ま、この島ではよくあることだし、嘆いても仕方ない。八月から十月まではどうしたって台風来る土地だしね。だから夏休みって旅行に向いてなかったりするわけ」
「なるほどなぁ。でも、この時期にしか来られない人もいる、と」
「そういうこと。冬は冬で海が荒れてるケースが多いし、盆と正月って結構むつかしい季節なのよ。日程の縛りがなければ梅雨明けの六月上旬、中旬とか穴かもね」
「梅雨ど真ん中な気がするけど」
「内地が梅雨入りすると、こっちが梅雨明けするの。常識でしょ」
「……知らないよ」
「とりあえず練習しよっか」
「だね。じゃ、今日もメトロノームとにらめっこで。僕は適当にキーボードの練習してるから。そっちはそっちでやるように。以上」
青柳家にも古いキーボードが残っており、健太郎も個人練習する際はそちらを使っていた。かなり古い型らしく、ミッチの店に置いてあるものに比べ、元の値段が高く物は良くとも性能は低く、どんな打鍵をしても一定の音しか出ないのは新鮮かつやり辛い。正直、ピアノとは異なる習熟がいるので、今は使っているが好きにはなれそうになかった。
「……放任主義者め」
「リズムが崩れたりしたら指摘するよ。僕の練習のついでにね」
「はいはい。マイマイはつきっきりなのになぁ。差別だよね、これ。好感度の差?」
「パートの差。馬鹿なこと言ってないで始めよう」
「へーい」
そんなこんなで二人きりの練習が始まる。
だが――
「早いテンポはマシになって来たけど、遅めだと不細工な音になるね」
「言い方ァ」
三十分もしない内に衝突するのはお約束。
「つーか曲やろうよ。8ビートばっかりで飽きる」
「そういうとこが下手くその要因だと思うよ」
「……こんにゃろう」
「この前のライブで盛大に走ったの、忘れたとは言わせないからね」
「……それは前に謝ったじゃん」
痛いところを突かれてしょんぼりする初音。
「正直さ、僕なんてドラムの技術的なことはあんまりわからないし、練習方法もスマホで検索した程度の知識しかないんだよね。まあ、それはペットにも同じこと言えるけどさ……所詮学生だし」
あまり当てにされ過ぎても困る、と健太郎は言い含める。ただまあ、これだけだと彼女が不貞腐れるのは目に見えていたので――
「と言うわけでばあちゃんに聞いたんだよ。練習方法とかさ」
「あ、せつばあ教室やってたんだもんね、音楽の」
「うん。ペットの方は教えてくれた」
「ドラムは?」
「ミッチさんに聞けって。自分より上手だから、って言ってた」
健太郎の言葉を聞いて、初音は「あー」とため息が混じったような声を出す。
「私もさ、最初の最初は教えてもらってたんだけど、ロックとかポップミュージックやりたいなら自分は向いてないって課題曲出すだけになっちゃったんだよね」
「……そこに該当しないドラマー……ジャズでもやってたのかな、ミッチさん」
「ジャズってあんまり聞いたことないかも」
「名盤は耳にしたことぐらいあると思うけどね。ジャズだと知らないだけで。だとしたら確かに向いてない、というか別物かも」
「ふーん。ジャズねえ……そんなに違うんだ」
「僕も詳しくないけど、ジャズなら僕の学校でも授業であるし、知り合いも結構いてね、彼らがそんなこと言ってた気がする。まあ選択授業だし、僕はジャズの授業取ってなかったけど」
「さすが音楽学校、ジャズの授業があるとはね」
「上の大学にはジャズコースもあるからね」
「で、やっぱり違うの?」
「ポップス、ロックが8、⒗ビート主体で構成されているのに対し、ジャズの基本は4ビートかつアドリブが要求されるって感じかな。後者はドラムに限らないけど」
「え、じゃあ、今の練習使えないってこと?」
「ジャズに関してはそうなるね。でも、結局のところリズムの取り方が重要なわけだから、やっていることは無駄にならないんじゃないかな、たぶん」
「歯切れ悪」
「僕も詳しくないって言っただろ。授業も取ってないし」
「まあいいや。そしたらさ、4ビートとかいうの練習してもいい? 8ビートと交互に。別に4ビートじゃなくていいけどさぁ……なんか変化は欲しいぃ」
「……ほんと飽き性だね。ま、いいんじゃない? あと、そろそろそんなこと言ってくると思って、スマホで練習方法漁っておいたから、全部地味だけど」
「ふーん、マイマイ以外にも優しいんだ、健太郎君は」
「やらないなら一生8ビートやってて」
「やるやるやります。なになに……メトリカル、なに?」
「それも含めてやり方と参考にした動画のURLにあるから、後は自分で宜しく」
「ちなみにこれってどんな基準で拾ってきたの?」
「ドラム練習の良し悪しはわからないけど、その人が上手いか下手かはわかるから、上手い人の練習法を拾ってきた。8ビートとかもそうだけど、上手い人ほど練習は地味なものばかりだ。プロの中でも一握りのトップクラスでも、8ビートばかり練習してるって人もいる」
「…………」
「近道はないよ。何事にも」
「了解。とりあえずこのメトリカルなんちゃらやってみる」
「はいはい」
とりあえず互いに練習を始め――
「音のツブが、揃ってないんだよね」
「音のツブってなんなんだよ、もう!」
開始十分もしない内に口論に発展した。
○
その翌日――死んだ眼をしたマイマイが青柳家に現れた。現れるはずのない彼女が現れたのである。健太郎もびっくり、一緒にやってきた初音はげんなり。
無、その瞳には何の感情もない。
「……え、と」
「本日未明、台風の卵が無事羽化して大型台風になりましたとさ。お盆直撃、船は一日早く出発して次便はおそらく欠航。つまりはツアーもキャンセル祭りってこと」
「そりゃあ、まあ、こうなるか」
「大型連休を当てにしてた大人はもっと放心状態だけどね。ま、あるあるだけど」
「仕事って大変だなぁ」
「休学中のニートにはわからない世界よね」
「夏休み中なんだしそっちも変わらないだろ」
「宿題があるんでね、こっちは」
「やってるの?」
「……さ、練習練習」
初音にしろマイマイにしろ、何かなければ毎日練習しに来るし、休もうとする様子もない。たまに心配になっていたが何のことはなく、どちらも学業が疎かなだけであった。まあ、そこに関しては健太郎が突っ込むことは出来ないので深掘りはしない。
「ま、マイマイも、練習、する?」
こくりと頷くマイマイ。いつもなら「やるやる!」と元気いっぱいな返事が来ていたが、どうにも傷は深いようで、足取りもふらつき心配になってしまう。
当然練習にも身が入らず――
「……休憩にしようか」
音楽の鬼である健太郎が気を使い、早々に休憩を提案する始末であった。
またもこくりと頷くマイマイを見て、健太郎と初音はため息をつくしかなかった。
縁側で節子が出してくれたお菓子を食べる三人。いつもならば誰よりも早く食べ終わるマイマイなのだが、今日は誰よりも遅い。ウミガメよりも遅い。
「マイマイさ、家の仕事がなくなって辛いのはわかるけど、自然相手の商売なんだしがっかりしてても仕方ないでしょ。いい加減元気だしなよ」
「……でも、お手伝い出来なくなっちゃったから」
「別にいいじゃん。さすがにワンシーズン潰れたぐらいで七海さんのとこが潰れることもないでしょ。ガイドさんの中では古株だし、観光局とも、さ」
「お手伝いが、大事」
「へ?」
「ガイドの資格、実務経験が必要だから、今のうちに積んでおけば卒業と同時に、資格が取れる見込みだった。高校に入って、ようやく許してもらえたのに」
「あ、ああ、そういう、こと。それは、その、ご愁傷様」
初音はようやくマイマイががっかりしている理由を察し、沈黙する。
「え、と、どういうこと?」
よくわかっていない健太郎に初音はやれやれと口を開く。
「この島、入林許可の資格がないとお客さんを保護地域に案内出来ないの。たいていの森は、それを持っている人の同行なしじゃ踏み入れることすら許されない」
「……知らなかった」
「インドアでよかったじゃん。もし、出歩くタイプで勝手に森に入っていたら。結構がっつり詰められてたはずだからね。厳しいよ、特に世界遺産になってからは」
「よかった、インドアで」
「と、まあ、その資格を取るために実務経験が必要なわけ。やたらめったら交付してたら意味ないし、まあ修行を積んできてねって感じ」
「な、なるほどぉ」
健太郎、納得。ガイドの世界も色々あるのだなぁ、としみじみ思った。
音楽以外には極めて浅い男、青柳健太郎である。
「それってお盆じゃないとダメなの?」
はたと、健太郎は穴に気付く。この小笠原は常夏の島、厳密には常夏ではないが、年始から海開きをしている島である。
まあ、その時期の海に装備無しで入る島民はいないが。
山歩きはオールシーズンで、そこを手伝えばいいのでは、と思ったのだが。
「……お父さんもお母さんも、あんまり学生には手伝わせたくなくて、お盆の本当に忙しい時期だけ、他のアシスタントさんたちを休ませるために、しぶしぶ手伝わせてくれるってことになってたの。他の時期は、人手が足りているから、駄目って」
じわりと涙を浮かべるマイマイ。それを見ておたおたする健太郎。
「……まあ、確かに。私は絶対言わないけど、親父に漁連れてって何て言ったら海を舐めるなってぶん殴られそう。ビンタじゃなくてグーパンで」
「……そんな感じ」
互いに家業を持つ家同士、通ずるところがあるのか互いにため息をつく。健太郎も自分の身になって考えてみる。欧州の歴史あるホールで演奏する母の手伝い――
(……無理だなぁ。リハの時点で母さんに摘まみ出されそう)
ついでに健太郎もため息をつく。
「台風ねえ。自然に絶対はないけど、まあほぼ百パー直撃するし、親父も早々に船固定しに行ったしなぁ。逸れる可能性は望み薄。船も折り返しの時期だし、たぶん丸々欠航して次便から動き始める……お客さんはロングのお客さん以外、みんな明日の便で帰るしかない、か」
マイマイの眼は死んだまま、はらりと涙をこぼす。
「お盆は死んだね」
初音は哀しげにつぶやき、マイマイも死にそうな顔になったまま動かない。
何とも言えない空気が三人の間で漂っていた。
「それなら、台風過ぎてから三人でツアーに行けばいいのではないですか?」
そんな空気を察したのか、家主である青柳節子が提案する。
「台風過ぎて少ししたら一番きれいな景色が見られるでしょうし、お友達の案内ってことなら親御さんも嫌とは言わないでしょう? お金ならばあちゃんが出してあげますから。どうですかね」
節子、否、せつばあの一言で――
「お父さんたちに相談してくる!」
即復活、脱兎の如く駆け出していくマイマイ。その復活速度は不死鳥をも凌駕していたのではないかと思うほど、鮮やかで素早いものであった。
「……僕、インドアなんだけど」
「私だって今更、山歩きなんてしたくないっての。地元よ、ここ」
「でも、もう、断れないだろうね」
「……そうね」
素早い決断は何物にも勝る。反論を許さぬスタートダッシュを見せたマイマイが二人を置き去りにして勝利を掴んだのだ。
アシストを決めた節子はにっこりと微笑んでいた。
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