初ライブ
「こんちはー。ミッチさん、夜までドラム叩かせて」
海老原初音はクローズド、と書かれた看板を無視して店の中に入り込む。いつも通り、明かりがない店内は昼間でも薄暗い。初音は昼間のこの空気が好きだった。
退廃的で、今の自分にぴったりだと思っていたから。
何よりも自分とミッチだけ、誰に気兼ねすることも――なかっ『た』から。
「え?」
そこには初音の知らない人がいた。
「今日、ライブのサポートに入ります、青柳健太郎です」
青柳健太郎、昔の面影はある。相変わらず青白い肌をしているな、と思ったが内地ではあっちが普通だと今の初音は知っている。いや、今はそういう話ではなく――
「ライブ、何の話……ミッチさん⁉」
カウンターの奥でくつろぐミッチは煙草をくわえながらミッチはくっくと哂う。
「今日の課題はライブだ。十八時開店から三十分、適当に演奏してくれや」
「何言ってんの、私やらないよ!」
「なら、帰っていいぞ」
「は?」
「いつまでも店と無関係の女子高生をBAR通いさせるわけにもいかねえだろ。店で客の前で演奏するか、家に帰るか、二つに一つだ。好きに選べ」
「ちょ、何で急に。私、何かした?」
「何もしてねえのが問題なんだろ」
「ッ⁉」
初音は顔を歪め、ミッチから目をそらした。ミッチも目を合わせず、
「やるか、やらねえか、だぞ」
冷徹に、言い切った。退路を断たれた初音は、
「……やればいいんでしょ」
不承不承、やることを選択する。ただこれが前進かどうかと言えば微妙なところ。逃げ場を失いたくないから、やると選択したに過ぎない。
「改めて、初めまして」
初音は握手を求める健太郎の手を払い、
「初めましてじゃないし、仲良くする気もないし」
健太郎を睨みつける。何の意図があるのか知らないが、ミッチや自分と関わりがないはずの少年が絡んでいるのだ。自分の逃げ場を潰そうとした敵には違いない。
「君が叩ける曲はミッチさんから聞いてあるから。その中で僕と七海さんが演奏できるものをリスト化してそこの紙に書いてある。好きに選んでいいよ」
健太郎も敵意を意に介すこともなく、共犯であることを隠そうともしない。
「なに、私に合わせてくれるの? お優しいじゃん」
「初心者って聞いてるから」
初音もまた苛立ちをそのまま顔に浮かべていた。
こそこそ七海真生とひと夏のお楽しみをしていればよかったのに、わざわざ自分の領域に土足で踏み込んできた余所者。
その眼には強い拒絶が浮かぶ。
「適当に吹き散らかしてるマイマイよりはマシなつもりだけどね」
「それならありがたい。初心者に毛が生えてくれるなら、僕の負担も減るから」
「……随分、上からじゃん」
「そのつもりだからね。趣味で触っている程度でしょ。そう聞いていたけど」
「ここ、子どもの頃から私の遊び場だし、今ほど頻繁じゃないけど小さい頃から叩いてた。歴で言えばマイマイとそんなに変わんないから」
「そう。なら期待しているね」
あくまで上から、何一つ期待していない目が癪に障る。
久方ぶりの再会は、海老原初音の中で最悪なものとなった。ただでさえいい思い出の無い相手である。健太郎がヘタレのカナヅチだったせいで親に怒られたのだ。
ビビらせてやる。初音はリストを見て、自信のある曲を選ぶ。絶対に負けない。郷土の英雄、青柳綾子の息子だからと言って、息子も天才とは限らない。
どうせクラシック畑、ロック畑なら自分にも分がある、そう思っていた。
「ミッチさん来たよー。あ、えびちゃんも、い、る。あれ、変な空気だね」
「そのえびちゃんっていい加減やめてよ。私の家、全員海老原なんだけど」
「でも、えびちゃんはえびちゃんだよ」
「ったく、相変わらず話通じない。曲はそこの黒板に書いてある通りね。わかる?」
「あ、あたしも吹きたかったやつだ。やったー!」
「そ、ならよかった」
初音はマイマイが吹けるのはわかった上で、これらの曲を選んだ。海に向かって吹き続けていた曲の断片、気ままなそれの中に混じっていたのは知っている。その上でのチョイス。マイマイが足を引っ張り、幕切れでは反撃には薄い。
初音とマイマイ、二人が出来て健太郎が出来ない、これが理想なのだ。
「頑張ろ、マイマイ」
「うん。これがあたし、デビューだからね。頑張るよ!」
「あはは、ミッチさんの店でしょ。どうせお客さんなんてミッチさんと作業やってる人か、船員さんぐらいだし、全員顔見知りだって」
「でも、聞いてもらうのは、初めてだよ」
「……まあ、そうだけどね」
マイマイは多少固くなっているようだが、初音には緊張などない。相手は全員顔見知り、酒飲みで音楽なんて大して興味がある連中でもない。酒を飲んで騒ぎたいだけの大人である。見られたところで、何を思われたところで、痛くはない。
ゆえに緊張も無い。
「じゃあ、何回か合わせようか」
「りょうかいです!」
「了解って、あはは、何その関係」
「んー、先生と生徒って感じ」
「歳同じじゃん」
「でも、音楽に関しては大先輩だから」
マイマイが向ける尊敬の視線、その意図を初音は数分後、知る。
今日、彼女は思い知ることになる。
本気でやってきた者と、そうでない者の差を。
○
「ヒュー、いいぞぉ、高校生!」
案の定、開店と同時に現れたお客さんは顔見知りばかりであった。まだ十八時過ぎ、お客さんの数も開店と同時に現れた五人だけ。緊張する要素はない。早速酒を浴びるように飲んでいるし、早くも仕上げようとしている者もいる。
そこは、何も思わない。
そこでは、ないのだ。
「いやぁ、にしても、上手いなァ、あのキーボードの子」
「あの子、島の子ですか?」
「島在住じゃないけど、関係者ではあるよ。青柳綾子の息子さんだって」
「うえ⁉ この前テレビ出てましたよ。超有名人じゃないですか」
「郷土の英雄だしなぁ。いやぁ、カエルの子はカエル、だな」
ただただ、圧倒される。
一音すら外さない正確無比な打鍵、音の強弱も、メリハリも、キーボードとは思えないほどにつけてくる。音合わせの時も圧倒されたが、回数を重ねるごとに凄みが増していく。キーボードは不慣れ、その言葉は事実だったのだろう。
それで、この差である。
確かにドラムなんて目立つポジションではない。フィルインとか、限られた見せ場ぐらいしかない縁の下の力持ちである。
だけど、埋もれていいポジションでもないのだ。
(なんで、こんなにも、違うの⁉)
キーボードが正確過ぎて、自分のミスが嫌でも際立ってしまう。マイマイも同じ気持ちを味わっているのだろう。いつも笑顔な彼女は顔をしかめ、必死について行こうとしている。そりゃあ楽しくない。とにかく、自分たちの粗が目立つ。
「んー、でもピアノ以外は、ねえ」
そう言われても仕方がない。
ただ、そんな中でも――
「それにしてもマイマイ上手くなったなぁ。何かもっと雑なイメージだったけど」
「ですよね。自分、墓地で見かけた時より結構よくなっている気がしてたっす」
「まあ、長いもんなぁ。あの子も吹き始めて」
「自分が船に乗る前ですもんね。継続は力なり、ですか」
知らぬ間に力をつけていたマイマイは何とか食い下がる。以前までなら適当にそれっぽく吹いていたところも、多少粗はあるが正確に吹くようになってきた。
演奏の中にいるから嫌でもわかってしまう。
(……私が一番、下手じゃん)
とうの昔に緊張の糸は切れている。張り合う気も起きない差、音合わせまでの自分をぶん殴りたくなるほど無様極まる醜態であろう。素人でも、誰でも理解できるレベルで健太郎は図抜けている。そこを目指し頑張るマイマイも腕を上げている。
自分は全然、遠くにいた。
早く時間よ終われ、早く、早く、この無様で苦しい時間よ、終わってくれ。
ただそれだけを、彼女は念じながらドラムを叩く。
○
演奏の礼として島ずしを貰い、店の外に出る三人。彼らを飲みに誘った船乗りはミッチの鉄拳で意識を飛ばしていたが、そこは割愛。
夜の父島を三人は歩く。
「んー、ほろ苦デビューだったー」
海に向かって吼えるマイマイ。それを尻目に島ずしを食べる健太郎。店構えからは信じられないほどの美味しさに、目を見張っていた。
「まあ、最初はみんなそんなもんだよ。緊張するしね、舞台って」
「ええ、健太郎でも緊張するの⁉」
「むしろ僕の方がするでしょ。全員知らない人だし、慣れない楽器だし」
「全然そんな風に見えなかったぁ」
「そりゃまあ、内心どう思っていようと演者として舞台に立ったなら、観客にはそう見せないように振舞うよ。嫌でしょ、演奏する人が緊張で震えているのなんて」
「た、確かに」
話しながらも健太郎の興味は島ずしに向いていた。淡白な身質の魚だと思うが、醤油漬けされた魚は濃厚な味わいであったのだ。
しかも、仄かにピリつくこの感じは――
「食べないの、初音さん」
健太郎に声をかけられた初音は小さく首を振る。
「……私は別に、食べ飽きてるし」
「じゃあ、貰っていい?」
「別に、いいけど」
大村海岸の砂浜に座り込み、初音の分も寿司を食べる健太郎。
「美味いや、ミッチさんに感謝しなきゃ」
食べ終わり、充足した表情の健太郎は初音に視線を向ける。
「元気ないね」
「……そりゃあ、あれだけ格の違いを見せつけられたら、無礼なこと言ってごめんなさい、ってしょんぼりするしかないでしょ。お上手でした、これでいい?」
上手、その言葉を聞いた瞬間、マイマイは初音に向かってぶんぶんと首を振る。が、それだけで意図が通じるなら彼女はエスパーであろう。
案の定、全然通じていない。
「上手、ね。そりゃまあ、生まれた時からピアノ弾いてるし、上手くもなるよ」
健太郎は汚れるのも気にせず、砂浜に寝転がる。仰向けに、天を見つめる。
「今日、初音さんは思ったより叩けていたよ。ミッチさんの言い方だと、もっと初心者だと思っていたから、ちょっと驚いた」
「え、あたし褒められたことないよ、健太郎?」
マイマイの発言を無視する。そもそも最初「よかった」と褒めたはずである。忘れているのか、それはノーカウントなのか、よくわからないが。
「慰めてくれるんだ。意外と優しいじゃん」
「センスはある。あるからこそ、楽をし過ぎているから勿体無い。手抜きでどうにかそれっぽく繕えてしまえるから、粗が残る。それが君の長所と短所」
「はいはい、どうせ私は粗だらけですよ」
「今日、僕との差を感じたなら、それはマイマイと同じで練習不足なだけ。技術ってさ、練習すれば誰でも身につくんだよ。きついから、みんながやらないだけで」
「……ま、私はあんたと違ってプロとか興味ないし、無理だとわかってるから――」
「僕はプロにならないよ。いや、なれない、か。才能ないんだ、僕」
健太郎のカミングアウトに、思考が追いつかないマイマイと初音。今日、あれだけの実力を見せつけた少年が、自分は才能がないと言い切る。
それは趣味でしかない彼女たちには想像もできないことであったのだ。
「技術を身に着けても、完璧に弾いても、同じ譜面なのに『音楽』って違うんだ。残酷なぐらい、違う。自分を信じて、必死に努力して、理解する。才能の差を」
努力した。抗った。それでも届かなかった。
「僕はここに逃げてきた」
逃げる、その言葉を聞いて初音は唇をかみしめる。
「負けて、逃げてきた。音楽から離れたかった。僕を選ばなかった音楽から。でも、結局僕はこの島でもピアノを弾いてるし、キーボードでライブまでしてしまった」
健太郎は苦笑いを浮かべる。
「ちなみにさ、僕、夏休みでここに来たって言ってるけど、実際は学校をやめるつもりだったから、とりあえず休学届出してここに来たんだよね」
「ええ⁉ 健太郎、学校辞めるの?」
「何で嬉しそうなんだよ」
「そうしたら転校できるね、小笠原高校に」
「……何か、既視感あるな、これ」
今日、自分を圧倒した少年の弱々しい姿。努力叶わず、敗れ去って島に戻ってきた。経緯自体は健太郎も初音もさしたる違いはないのだ。
「ちょっと前までは音楽を演奏するのも、聞くのも嫌だったけど、今は落ち着いてきたよ。結局これしかないってのが、僕のどうしようもないところなんだけどね」
少しずつ、時間をかけて、マイマイに教えながら緩やかに心が解けていく。弾かねばならない環境はない。自分が教えたいから教えているだけ。
「変な自分語りしてごめん。とにかく今の君たち二人はまだ才能がどうこう言うレベルじゃないって話。練習すれば伸びるよ。正直僕さ、ミッチさんが何を考えて今日のライブ開いたのか、全然わかんないんだよね。あの人が僕らに何を期待して、君と演奏させたのかは知らない。あんまり興味もない。ただ、伸びしろはあるよ。伸びしろしかない」
健太郎は微笑む。
「下手くそだから?」
初音もまた悪戯っぽく聞き返しながら、かすかに微笑んだ。
「そ、下手くそは救える。救えないのは、上手いけど響かない『音楽』、だ」
「……さっき上手って言ったのは、謝る」
「いいよ、事実だし。上手なだけ、それが僕だ」
「ねえ、後悔してないの? 滅茶苦茶努力して、それが実らなかったこと。無駄な時間だったと思わなった? 夢破れた後、何を思った?」
初音の問いに健太郎は、
「後悔しながらこの島に来た。無駄だったとも思ったよ。今だってそう。悔しさは消えないし、ずっと心の中に刺さったまま。でも、少しはマシになったかな」
未練を滲ませ、答える。
「歯切れ悪」
「そりゃあね。生まれた時からの夢破れたわけですから」
それでも少しずつだが前を向こうとは思い始めていた。
周りも少しずつ、見えるようにはなってきている。思えば、人の顔をしっかり見据えたことなど、いつぶりだろうか。
この島に来てから、そんなことばかりだが。
「今日のライブは、本当に疲れた。お荷物二人いたし」
「言い方がきつい」
「島ずし返して」
「でも、久しぶりに夢中になれた。介護するのに必死で、色んな事を忘れられたからかな。楽しかったんだと思う」
健太郎は相好を崩す。ずっと前から張りつめていた何かが、今日もまた一つ解けた気がした。自分を縛っていた、自分の中の何かが。
「一緒に演奏してくれてありがとう、二人とも」
「え、えへへ、照れちゃうねえ」
溢れ出る笑みを隠し切れないマイマイと、
「……ふん」
視線をそらし、鼻を鳴らす初音。
「じゃあ、そろそろ僕は帰るよ」
「じゃあ健太郎、また明日!」
当然のように明日も練習するぞ、とマイマイは意思表示する。
そのひたむきさに健太郎は苦笑してしまう。そんなに楽しくないことばかりやらせているとは思うのだが――
「ねえ」
立ち上がって背を向けた健太郎に初音は声をかけた。
「なに?」
「上手くなるには何したらいい?」
初音の端的な質問に、
「基礎練習」
健太郎もまた端的に答える。
「具体的には?」
「僕もドラムは専門外だけど、君の場合はそもそものリズムが乱れがちだから、メトロノームを使った練習を死ぬほど繰り返した方が良いんじゃない? 曲の上っ面をさらうより、8ビートを四〇、八〇、一二〇、一六〇、二〇〇、みたいに遅く、早く、正確に叩く練習の方が良いと思うよ。地味だけどね」
ドラムの基本、かつこれ一つで一曲叩けたりもする奥深い8ビート。先ほど彼が言った同じ譜面でも人によって全然違う、はこれにも当てはまるのだ。
「わかった。やってみる。あとさ――」
海老原初音は頭をかきながら、
「せつばあの家に、ドラムセットとかあったりする?」
「……え?」
青柳健太郎に問うた。
○
翌日、青柳家にて――
「お邪魔しまーす」
「……なんでこの島の人は朝早いんだよ。あとそれは部屋に入ってから言うことじゃない。これじゃあお邪魔してます、だ」
「細か、モテないでしょ」
「うるさい」
「一緒に来たよ、健太郎!」
生粋の島っ子であるマイマイはともかく、まさか初音までこんな朝早く来るとは思わなかった。寝起きの健太郎はぼさぼさの髪をかきながら、よろよろと立ち上がる。
「あ、次のライブ、明後日になったから」
「ぶっ⁉ え、また、ライブやるの?」
「場所はミッチさんの店ね。時間は前と同じ、選曲は同じでもいいってさ」
「……やる気だね」
「夏休みで暇なの。休学してるあんたと一緒でね」
棘のある言い方に健太郎は苦笑する。
「ちなみに目標はどれくらい?」
「私をハメたあんたとミッチさんをぎゃふんと言わせるまで」
「……これじゃあハメられたのは僕の方だよ。まあ、まずは基礎を叩き込むからね」
「はいはい。私もそのつもりですよ」
こうして健太郎、マイマイ、初音の三人は流れでバンドをやることになったのだ。
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