【第二章】マイマイ
青柳健太郎は冷や汗を流しながら、祖母である青柳節子、通称せつばあに慰められている少女を見つめていた。健太郎の反応に顔面が蒼白になって突如泣き出したのが先ほどまでのこと。今は落ち着いてきたのか小康状態と言ったところである。
「前に来た時、健太郎とよく遊んでいた子ですよ」
「僕が?」
「色々と連れ回されていましたよ。楽しそうに遊んでいましたが……覚えてないですか?」
健太郎は必死に朧げな記憶を辿る。何せ目の前には突如泣き出し、今は落ち着いたがジトっとした目で睨んでくる少女がいるのだ。
下手な回答をすると振出しに戻りかねない。
「あ、遊んでいた記憶は、あるんだ。この家で」
ぱぁっと笑顔になる少女。物凄い勢いで頷いている。
「でも、それ以外が……」
その瞬間、ムスッとした顔になり睨みつけてきた。
情緒が不安定で怖い、と健太郎は思う。
「仕方がないかもしれません。ほら、最後にマイと会った時、子どもたち皆で飛び降りて――」
ずきり、と何かが鈍い痛みを訴えかけてくる。
「健太郎、溺れちゃって、綾子も随分怒っていましたね」
ずきり、ずきり、さらに頭が、痛む。
「島っ子はみんなあそこから飛び降りるし、健太郎も島っ子の一員として背中を押してあげたんだよ。それに突き落とした子は別だし。確かに、ちょっと泣いてたけど、通過儀礼だもん」
ずきん、最大級の痛みと共に――
「お、おまえ、マイマイか」
「やっと思い出したね、健太郎。改めておかえりなさ――」
「あ、悪夢だ」
「へ?」
思っていた反応と違う、と小首を傾げる少女。そう、彼女はいつもそうであった。
健太郎が怖いと言っても聞かず、森の中まで引っ張っていき遭難。真っ暗な墓地周辺を秘密基地だと言って夜中に連れ出し、母にこっぴどく怒られたこともあった。害獣であるヤギにちょっかいを出し、何故か健太郎だけが追いかけられたことも。
遊んでいた、ではなく遊ばれていた。そんな記憶しか健太郎にはない。
「もー、健太郎ってば変なの。あたしたち幼馴染で親友でしょー」
「……親友、幼馴染」
果たして自分の中ではそうなっていたのだろうか、健太郎は疑問に思う。
だが彼女の中ではそうなっているようで、怒涛の勢いで昔話をしてくる。いい思い出風に語っているが、その大半が自分の記憶と事実だけ合致し、内容に対する思いが異なるものばかり。あまりの齟齬にやはり自分の記憶がおかしいのでは、と思うのだが、事実は合致しているので間違ってはいないのだ。
そこに対する思いが違っていただけで。
「健太郎に問題、あたしのあだ名、マイマイの語源はなんでしょう?」
「名前が確か、七海真生(ななみまい)で、由来は……小笠原にカタツムリがいっぱいいるから、だったかな」
「おしい、正解はカタツムリの固有種が沢山いるから、だよ」
内心、正解でいいだろ、名前は覚えていたんだから、と思ったのだが口には出さない。何しろこのマイマイと名乗る少女、本当に感情の振れ幅が凄いのだ。
「健太郎はここからいなくなる前に、あたしにプレゼントをくれました。それはなんでしょうか?」
「え、え、と。ごめん、覚えていない」
先ほどまでご機嫌だったのに、この一言で物凄い形相で不貞腐れたり、次の質問に正しく答えるとまた笑顔に戻ったり、とにかく忙しい。
「んー、半分くらい。あれから約十年ぶりだから、まあ許しましょう」
「あ、ありがとう」
「で、今度はいつまでいられるの? もしかして移住⁉」
「あ、いや、移住ではないけど、いつまでかは、決めてない」
健太郎の歯切れの悪さにマイマイは首を傾げる。
「学校は?」
「……夏休み」
「じゃあ八月末までいるの⁉」
「あ、まあ、決めてはないけど、たぶん」
「やったぁ! そうしたらたくさん遊べるね。なんと、あたしも夏休みなのだ」
「そっかぁ」
内心そりゃそうだろ、同じ高校生なんだから、と思ったがこれも口には出さない。
「そうと決まればまずは……島を回ろう!」
「え、いいよ。僕船酔いが残っていて――」
「せつばあ、自転車ある?」
「あるけど随分乗ってないですから。動くかわかりませんよ」
「よぉし、あたしが修理してあげるからサイクリングに行こう!」
「いや、だから、休みたいんだけど――」
「ウォォォオオオッ!」
「……ぐ、くそ、思い出してきた。昔もこんなだったなぁ」
マイペースで力ずく、悪気がないから質が悪い。
「ばあちゃん。人ってこんなにも変わらないものなのかな?」
「んー、あの子は特別だと思いますよ」
孫が困っている様子を面白がっている祖母の助け舟は期待できない。
だが――
「せつばあ、自転車のチェーン錆びてて千切れたぁ」
どうやら天は健太郎に味方したようである。動かない自転車には悪いが、これでサイクリングは出来ない。ここは船着き場からも離れているので徒歩圏内ではない。栄えている場所まで行くには最低でも自転車が必須。
これで勝利は確定したも同然である。
○
「何故こうなった」
健太郎は今、自転車の荷台に乗っていた。俗にいう二人乗りである。違法か合法かで言えば完全に違法であるし、昨今自転車系の取り締まりは厳しくなる一方。健太郎の当たり前ではただの犯罪、やるべきではないと思う。
ただ――
「ケイデンスをォ、さらに上げるぞォ!」
七海真生、通称マイマイの自転車をこぐ速度が速過ぎて、降りるに降りられなくなってしまったのだ。
ママチャリなのに凄まじい速度、南の島ののんびりした空気や情緒など、爆走する自転車には関係がない。風圧で逆立ったマイマイの前髪が言っている。
風になれ、と。
「ちょ、警察、前に警察いる⁉」
だが、さすがに警察がいればマイマイも止まるはず、そう思っていたが警察官、まさかのスルー。確実にマイマイと目が合っていたし、二人乗りは違法な行為なのだが、お互い目が合っていません、と言った感じで視線をそらし合っていた。
「け、警察は?」
「え、いたかなぁ?」
「…………」
何かこう、釈然としない気持ちになりつつも、互いに見ていないと言い切る以上何も言えない。観測無き犯罪は存在しないも同じ。
世の歪みを知り、健太郎は一つ大人になった。
「ここがね、大村だよ。港もあって、小笠原一の繁華街ね」
暴走自転車が辿り着いた場所は――
「繁華、街?」
先ほど訪れた小笠原の玄関口、二見港のある大村地区であった。
「これが小笠原の二大スーパーだよ。大きいでしょ⁉」
ドヤ顔のマイマイに滅多なことは言えないが、健太郎の感覚では小さい、と言うのが正直なところ。まあ、大きい小さいより、健太郎には『状況』の方が気になってしまうのだが。
「何か、凄く混雑してるけど」
「そんなの当たり前だよ。船が入港したでしょ。そしたら食料がどさーっと来るからみんなここぞとばかりに買い物するんだよ」
当たり前じゃん、とマイマイは言うのだが、健太郎にとっては珍しい光景であった。常に物があって当たり前の内地の人間からすると、奇異に映ってしまうかもしれない。が、これこそが島の日常である。
商店の前に乱雑に置かれた生鮮食品、居並ぶ主婦層の視線の鋭さたるや――
「ちなみに、あたしも買い物します」
「何買うの?」
「菓子パン!」
「……なんで?」
「すぐにわかる!」
確かに、生鮮食料品の次ぐらいにはパン系の棚が混雑しているように見える。ラインナップを見ても特別な商品には見えず、どこのコンビニでも置いてあるような普通のパンばかり。健太郎の頭には疑問符が踊っていた。が、解説役が菓子パンを確保し、長蛇の列と成っているレジに並んでいるため聞ける感じでもなかった。通路が狭く、一緒に並ぶのは少々憚られる気もしたので大人しく外で待つ。
「お待たせ!」
「あ、うん」
「確保しました。こいつぁ、いいパンですぜ」
「……変な話し方だね」
「海を見ながら食べよう!」
そう言ってパンを購入したその足で徒歩一分の岸壁に向かう。ちょっと歩けば海、四方を海に囲まれた島なのだから当然ではあるが――
「うわ、水面から底まで見える」
近くには大きな船も停泊しているため、深さはそれなりにある。それなのに底が見えるほど海の水が透き通っているのだ。これには健太郎も驚いてしまう。
比較するのもあれだが、東京湾の水だとどれだけ調子がよくとも三十センチ下も見えないだろう。
「最近雨降ってないからね。降ったら普通に汚くなるよ」
「そうなの?」
「うん。だから健太郎はラッキーだね。今日も明日も綺麗な海が見れるから」
「なるほどなぁ」
いくら天気が良くても普通はこんなにも綺麗で透き通ることはないだろう。これは小笠原の海が持つポテンシャルなのだろうが、それにしても魚までくっきり見えるとは恐れ入る。あと魚がやたら大きく見えるのは水の屈折がそう見せるのか、普通に大きいのか。
「はい、貴重な物資なので味わって食べるように」
「いや、僕あんまりお腹空いてないから」
「わがまま言わない!」
何故か理不尽に叱責され、強引に手渡された何の変哲もない菓子パン。食べてみるがやはり何の変哲もない味わいだった。隣でとても美味しそうに食べる彼女には悪いが、あまりお腹が空いていないこともあり食が進んでくれない。
半分程食べ進め、ふと、何の気なしに消費期限の日付を見ると――
「ん⁉」
普通に過ぎていた。
「これ、過ぎてるんじゃ」
「んー、冷凍して持ってきてるから平気だよ。そんなの気にしたことないもん」
「え、ええ……」
さらに食欲が減退する健太郎。
「美味しくない?」
だが、マイマイが表情を曇らせながら聞いてきた瞬間、
「海見てたんだよ、綺麗だなぁ」
誤魔化してから無理やり口の中に詰め込んだ。
「満足した?」
「あ、うん」
「もしかして美味しくなかった?」
「いやいやいや、凄く美味しかったよ。ありがとう」
「にしし、どういたしまして」
どうにも押し売りに弱い健太郎。
たぶん幼き日の経験がこの性格を作り、結果としてその原因に対して強く出られないことになってしまった因果をしみじみと感じ入る。
「次は海岸に行きます!」
「ここも海岸じゃない?」
「屁理屈言わない!」
何故かまた怒られてしまう。理不尽だなぁと思いつつ、ああ、でもこんな感じだったなぁと少しずつ思い出が甦ってくる、不思議な感覚。
滅茶苦茶言われているし、強引極まるのだが、不思議と嫌な感じはしないのだ。
「ここが大村海岸ね」
ちなみにマイマイの自転車は船着き場の近くに止めていた。鍵もつけずに。何故鍵をしないのかと問うと「誰も盗まないよ。盗んでもすぐバレるもん」と言う閉鎖空間での当たり前を逆に説かれてしまう。
確かにこの島では盗んでもすぐにバレてしまうだろう。
同様の理由でここの住人のほとんどは家に鍵をかけることもしない。逃げ場のない環境が犯罪の抑止力となっており、それによって警戒自体が意味を成さないのかもしれない。
「うわぁ、間近で見るとやっぱり凄いなぁ」
水と砂浜の境界線、そこに海があるのかわからなくなるほど、そこはとても曖昧に見えてしまう。波によって生まれた白い泡のみがそこに海があるのだと示す。
都会じゃ見られない浜辺の景色である。
「ふっふっふ、ここで驚いてもらっちゃ困りますよ、お兄さん」
「なんの話し方だよ」
「次は父島のメインストリートを紹介します」
「え、もう? 僕もう少しここでゆっくりしてもいいけど」
「海はまだあるからいいの。じゃあこっち」
マイマイに引きずられるように次の場所へ向かう健太郎。もはや野となれ山となれ、抵抗する気も起きず彼女の後についていく。
「ここがメインストリートね。飲食店がいっぱいあって、夜はにぎやかになります」
「……メイン、ストリート」
ちょっとした路地にしか見えないが、確かに飲食店は豊富な様子。
「ここは居酒屋です」
「はぁ」
「ここも居酒屋です」
「うん」
「こっちも居酒屋です」
「……居酒屋以外の食べ物屋さんは?」
「数えるほどしかありません!」
「……なるほどぉ」
あと、物凄い量が詰め込まれるお弁当屋さんを紹介してもらい、
「この先神社です」
「あ、少し記憶があるかも」
「普段は特に面白くないので省略します」
「ええ⁉」
二人はそのまま徒歩で港から反対方向の坂道を駆け上がり始める。
するとすぐに――
「はぁ、はぁ、はぁ、ちょっと、きつい、かも」
「ええ、健太郎はあれだね、運動不足だね」
「ま、まあ、それは否定しないけど……この先に何があるの?」
「下り坂」
「うん、そういう話じゃなくて」
「んー、休憩場所、かな」
「よしきた。絶対休憩するからな。もう、限界だ。そもそも僕は生粋の文化系なんだ。スポーツなんてこの方一度もやってないし、今後もやる気はないんだぞ」
健太郎は休憩と聞いて残りの力を解放する。まあ、微々たるものでしかないが。
「く、クソったれぇ」
「あ、もう歩くの遅くなってきた。おんぶしてあげよっか?」
「そこまで落ちぶれる気は、ない!」
汗が滝のように流れる中、青柳健太郎、決死の一歩を踏み出す。
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