ユートピアの終焉
広晴
楽園
「私がかつて生きた記憶の最期は、緑の津波でした。
ある日突然現れた、建物よりも高いそれは、あらゆるものを飲み込んで広がり、根付き、世界を染めていきました。
走るよりも遥かに速いそれから逃げることも忘れ、その津波は多くの美しい花々を咲かせながら・・・私も飲み込みました。
その美しい花々は・・・この町の外に咲く花々と、よく似ていました。」
◆◆◆
僕の姉さんは美しく賢く勇敢な人です。
両親を早くに失った僕たち姉弟でしたが、姉さんは軍に入って僕を育ててくれました。
姉さんは若くして軍で才覚を発揮し、人食い植物がはびこる恐ろしい外界への探検隊に加入して多くの成果を残しました。
とりわけ、完全密閉された地下施設の発見と、そこに残された先史文明の遺跡、および蔵書の発見と解読の功が高く評価され、女性初の王国三賢者の一人に叙されました。
僕もそんな姉さんの役に立ちたくて、必死で学校での勉強に食らいつき、姉さんの研究助手となることができました。
「シル、そろそろ休みなさい。」
「姉さん、じゃない、先生、もう少しでキリがいいところまで翻訳がおわるので、もう少しだけ・・・。」
「だめよ。そう言って昨日も帰っていないでしょう? 夕食を食べに行くから付き合いなさい。」
「・・・はぁい。」
姉さんは軍の下士官が良く使う店へ僕を連れて行きました。
ここは軍時代からの姉さんの行きつけで、ちょっと騒がしいけど、安くて美味しいお店です。
「お! 我らが英雄、出世頭の賢者様のお成りだ!」
「サイカさん、今日も肉でいいのかい?」
「ああ頼むよマスター。つーかここは肉しかねーだろーが。」
「サイカー、結婚してくれー!」
「今日は弟が一緒なんだから、ちっとはお行儀よくしやがれ!」
ここに来ると姉さんの口も悪くなって、でもすごく楽しそうにしているので、ボクも嬉しくなります。
「弟さんって、学院卒の秀才って噂ですよね!」
「あ、先輩によく似て可愛い。せんぱーい、弟さん、お持ち帰りしてもいいー?」
「いいわけあるか色ボケ! シル、こいつは誰彼構わず丸呑みしちまうハチベンユリみたいな女だからな。見かけに騙されるなよ。」
「ええ~。外界の落命率No.1のヤバいやつに例えるとかひどくないですぅ~?」
「あはは・・・。」
僕に絡まれると、ちょっと対応に困っちゃいますけど。
素敵な女性士官さんがしっしっ、と追い払われると、入れ替わりに姉さんと仲のいい軍曹さんも、ジョッキを持って姉さんに話しかけてきます。
「そういや、サイカ。聞いたか? 『勇者』が現れたらしいぞ。」
「あん? そりゃまた急な話だな。」
『勇者』というのは、外界の人食い植物たちを滅ぼす異能を持った人たちの総称です。
これまでも時折、僕たちのなかに生まれ、人間の生存圏を広げてきました。
「なんでも、ある日突然、異能に目覚めたって話だぜ。今日、王都に連れてこられたらしいが、何かいろいろヤバいらしいぞ、主に能力と性格が。」
「そいつはクソみたいな話だな。」
「他人事じゃないぜ。今日、王に謁見したらしいが、酒と女を要求したらしいぜ。で、見とがめた貴族を塩の柱に変えたらしい。」
「異能は本物、か。ますます厄介だな。」
「明日はお前も謁見になるだろうから、気をつけろよ。」
「ああ、ありがとよ。」
新しい『勇者』は困った人みたいですね。
でもまさか、姉さんと僕のこの楽園のような生活が、このあたりから狂い初めていたことには、さすがに気づけませんでした。
◆◆◆
「なんだあの『勇者』は虫唾が走る!」
すごく不機嫌そうに研究室に帰ってきた姉さんに緑茶を出して労います。
緑茶は外界植物由来の渋い飲み物であまり人気はありませんが、姉さんの好物です。
僕もあの『勇者』はちょっとなあ、と思ったので姉さんが荒れるのも無理はありません。
今日は三賢者と軍の大将がたが新しい『勇者』に紹介され、僕も姉さんのお付きとして同席していました。
紹介された『勇者』は、一言で言って、あまり見かけの良い人ではありませんでした。
背は僕より低く、顔は骨格が歪んでいるのか傾いでいて、しじゅう体のどこかをボリボリと引っ搔いていました。
顎を引いて人を見上げるその目は絶え間なくあちこちを観察しているように見え、口元は卑屈さと傲慢さを混ぜたように歪んで見えました。
後で聞いた話では、その容姿の悪さから衛星都市のほうでひどい扱いを受けていたらしいですが、異能に目覚めてからは、自分の気に入らない人間を塩に変える横暴な人間になり、褒章を餌に王都へ招き、王女との結婚でもって王に忠誠を誓わせたとのことでした。
要職に就かれている方々の紹介が終わったあと、今後の説明がありました。
簡単に言えば、1年ほどの『勇者』への教育と訓練の後、彼は外界へ赴き、人類圏の拡大に尽力することとなっています。
「ヒヒヒ、オ、オレが『緑の魔王』なんて、滅ぼしてや、やるよ。」
『勇者』がどもりながらも傲慢にそう答えました。
『緑の魔王』とは、姉さんが発見した遺跡の書物に記されていた恐ろしい存在のことです。
なんでも、先史文明はその魔王一人に滅ぼされており、魔王が放った植物が世界を覆い、先史の人々を殺しつくした、と推察されていました。
解読にてそれを知った姉さんは恐ろしい形相で研究に打ち込み、結果、現在の地位を得るに至ったわけですが。
「それは実に頼もしいお言葉ですな。」
宰相が『勇者』に追従します。
次いで、姉さんへ王命が伝えられます。
「外界研究の第一人者であり、元軍人にして従軍の経験も豊富なサイカ殿に『勇者』様のご指導をお願いいたします。」
「承りました。」
経験や知識からいって妥当な指示ですが、非常に不安になります。
「び、美人だな。おい、今日の夜はお、俺の部屋に来い。」
「断る。」
「あ? し、塩になりたいのか?」
「貴様のような性根の人間の相手などご免被る。」
「・・・ちっ。ま、まあいい。今日もお、王女で我慢してやるさ。」
こんな彼に、好感を抱くのは無理というものでしょう。
◆◆◆
それから半年が過ぎ、姉さんの機嫌は悪くなる一方です。
『勇者』は非常に強力な異能を持っていて、全力を出せば、相当広範囲の外界の人食い植物を塩に変えられるそうです。
対象も植物や人だけでなく、建物や石などもすべて一瞬で塩に変えるのだとか。
これなら本当に魔王を倒せるかもしれない、と期待を集めていました。
その一方、非常に好色で、異能を背景に手当たり次第に若い女性に手を出していると聞きます。
かなりの恨みを買っていますが、被害者の身内が放った暗殺者は残らず塩に変えられた、とも。
姉さんを含む三賢者や高官の方たちはその対応に追われ、貴族から平民まで、被害を受けた方々に補償と謝罪をして回っていました。
姉さんはそんな勇者の住む離宮へ指導のため毎日出仕しなければならず、ストレスが増す一方です。
僕は『勇者』には関われませんので、せめて研究に注力して姉さんを助けていました。
研究内容は多岐に亘り、遺跡の遺物の解析、古文書の翻訳、外界の植物たちの植生、気象、地質にまで及びました。
それらの研究結果に目を通す際、何故か姉さんは表情を歪めていることがありました。
ある日、ひどく酔った姉さんの独り言を耳にしました。
「たしかにアレは魔王を倒すかもしれない。だが、それではダメなんだ・・・。」
そのまま眠った姉さんのこの言葉の意味を知るのは、すべてが終わった後でした。
◆◆◆
さらに時は流れ、少しずつ僕の周囲は変わっていきました。
姉さんは研究室に顔を出すことが減っていきました。
僕に申し訳なさそうな目を向け、目が合うと反らしてどこかへ行ってしまいます。
そしてある日を境に、姉さんは『勇者』の住む宮から、帰ってこなくなりました。
そして1年が過ぎ、『勇者』が旅立つ日が過ぎましたが、まだ『勇者』は王都に居すわっていました。
旅に出ろと言っても言うことを聞かないのだそうです。それを諫める者は塩に変えられるのだとか。
それよりも僕は姉さんのことが気になって、平穏とは言えない日々を送っていました。
・・・姉さんは、『勇者』の情婦となっていました。
あれほど忌み嫌っていた勇者に取り入り、閨を共にし、贅沢の限りを尽くしているというのです。
確かめたかったのですが、姉さんは常に『勇者』の周辺にいるため、近づくこともできません。
王宮勤めの友人が何度もその噂を教えてくれましたが、聞いていられませんでした。
「ところ構わず『勇者』にすり寄っている。」
「塩にされた者を見て楽しそうに笑う。」
「旅に出る必要などないと誑かしている。」
信じたくなかったのですが、3か月以上、声も聞いていません。
鬱屈としながら研究を続けるしかありませんでした。
そんなある日、僕は突然研究室にやってきた兵士たちに取り押さえられ、牢に入れられました。
容疑は『勇者』殺害未遂。
意味が分からないまま尋問を受けましたが、僕への兵士たちの対応はむしろ親切なもので、僕を痛ましい目で見ながら尋問を担当したのは、姉さんと仲の良かったあの軍曹さんでした。
彼と話して分かったことは、僕を打ちのめすものでした。
姉さんは死んでいました。
自らの女性器に強力な毒を塗りこみ、『勇者』に抱かれたのだそうです。
その毒は強力だったため、姉さんは夜明けを待たずに死に、『勇者』は懸命な看護の結果、九死に一生を得たのだとか。
姉さんの遺体は怒り狂った『勇者』に塩にされ、砕かれたそうです。
『勇者』はその毒により不能となり、深く絶望し気力を失って、今はようやく外界遠征の準備に取り掛かっているとか。
「『勇者』は勘が良く、睨んだだけで周りの人間を一瞬で塩に変える。こんな手段でしか『勇者』を害することはできなかっただろう。
・・・本当の勇者は、君の姉さんだよ。」
軍曹さんはそう言って尋問室から退出していきました。
牢に戻された僕は、その日、涙が止まりませんでした。
◆◆◆
『勇者』が外界遠征に旅立ったのち、僕は恩赦を受けて解放されました。
『勇者』の機嫌を損ねないため、また、僕の安全のためにもかえって外に出さない方が良いと判断されて、今まで牢から出られなかったのです。
外へ出た僕を見送るのはあの軍曹さんです。
別れの際、「検閲済み」の印が押された草臥れた封筒が手渡されました。
「君に宛てられた手紙だ。証拠品だから本来なら渡せないんだが、君の姉さんに恩のある連中に頼んで『紛失』してもらった。」
「・・・ありがとうございます。一人になって腰を落ち着けてから、ゆっくり読もうと思います。」
「・・・大して力になれなくて済まない。」
「いえ、牢では大変良くしていただきました。本当にありがとうございました。」
僕は彼に別れを告げ、久しぶりの家に帰りました。
家は誰かによって清掃されていたようで、埃もなく、綺麗なままでした。
姉さんは、軍の人たちだけでなく、『勇者』に傷つけられた人たちからも、深い感謝と尊崇を受けていたと聞いていますので、そのどなたかのご厚意でしょう。
僕は椅子に座り、封筒から手紙を取り出して読み始めました。
◆◆◆
「私がかつて生きた記憶の最期は、緑の津波でした。
ある日突然現れた、建物よりも高いそれは、あらゆるものを飲み込んで広がり、根付き、世界を染めていきました。
私は走るよりも遥かに速いそれから逃げることも忘れ、その津波は多くの美しい花々を咲かせながら・・・私も飲み込みました。
その美しい花々は・・・この町の外に咲く花々と、よく似ていました。」
「私には先史の住民の記憶がありました。
私が遺跡を見つけたり、書物の解読を進められたのは、幸運もありましたがその知識のおかげです。
はじめ私は、まったく別の世界に来たものと思っていました。
でも先史の遺跡と書物を見つけてから、ここは遠い未来の世界なんだと気がつきました。」
「先史の時代が滅んでから、どのくらいの時が過ぎたのかは分かりません。
そもそも今ここに生きる私たちは、先史の人々のようにサルが進化したものではありません。
恐らくは何かの昆虫なのでしょうが、専門家ではないので分かりません。
あまりにも先史の人々と姿かたちが違うため、あの『勇者』に体を許す際に抵抗が少なかったことは、僥倖でした。
ともあれ、恐らく数万年レベルで時間が過ぎていると思いますので、よくあの遺跡が無事だったものだと思います。何かの理由で完全に密閉されていたこと、地下にあったこと、遺体が無く、腐敗の原因が外から持ち込まれなかったことなどが、良かったのでしょう。」
「シルにお願いしていた研究が進むにつれて、いろんなことが分かってきました。
最初に気付いたことは、あまりにもこの時代の気候が安定していることです。
この時代では、ひどい大雨による水害も、降水量不足による作物の生育不良もありません。
この時代は、あまりにも過ごしやすいのです。
また、冒頭に書いたように、先史の時代に終焉をもたらした緑の津波の中で咲き誇っていた花が、あまりにも今の時代の花と似ているのです。
私は、ひょっとしたら、先史が滅んで今まで、ずっとこの環境が維持されているのではないかという仮説を立てました。
理由については推測するしかありませんが・・・植物を自在に操れる『緑の魔王』が、植物の生育しやすい環境を維持するため、気象に干渉している、なんていうのは子供の妄想じみているでしょうか?
そもそも『緑の魔王』という存在が実在しているかも分かりません。
実在したとして、どういう存在なのかも分かりません。
何にしろ、もし『緑の魔王』が実在しているのなら、それを討伐などしてしまったら、世界はどうなってしまうのでしょうか?
また共通の外敵がいなくなった世界で、人々は平和を維持することができるのでしょうか?」
「分からないことだらけですが、あの周囲に破壊と死を齎すだけのクズが『勇者』など何の冗談だ、と思います。
ですが、『緑の魔王』がどのような存在であれ、存在するならばあのクズには滅ぼせるでしょう。
私はそれを止めたいと思っています。」
「ごめんね。シル。愛しているわ。幸せになってね。」
◆◆◆
僕は王都を遠く離れた衛星都市へ移り住みました。
王都には、あまりにも姉さんの思い出が多すぎたから。
軍曹さんの伝手で、衛星都市の学校に勤めることができて、今では先生をしています。
ここはとても田舎で平和なのですが、このところ大きなニュースが立て続けに舞い込んできました。
姉さんがいなくなってから20年が過ぎ、順調に人類圏を広げ続けていた『勇者』が『緑の魔王』と思しき「もの」を討伐したと話題になりました。
毛をむしったサルのような、おぞましい姿をしていた異形の「それ」を滅ぼした直後、外界の植物が潮が引くようにたちどころに枯れたため、間違いないと言われています。
相当に遠方まで出ていた『勇者』が王都へ戻った時は、それから1年が経っていました。
王都では勇者の帰還を祝って連日祭りが催されていた、というニュースがもたらされたのを最後に、ある日突然、王都は音信不通になりました。
近隣から調査団が出され、王都にたどり着いた彼らが見たものは、王都があったはずの場所に広がる一面の塩だったそうです。
何があったのかを知る者はいません。
「『緑の魔王』の呪いで『勇者』が暴走したのだ。」
「『勇者』の力を恐れた王家が暗殺しようとして返り討ちにあったのだ。」
無責任な噂は長く巷間をにぎわせていましたが、少しずつ沈静化していき、人食い植物がなくなった世界は、冒険家たちの時代になって、次第にその喧騒に埋もれていきました。
多くの悲劇を踏み台にして、ここから人類の繁栄の歴史が始まることを疑うものはいませんでした。
今日の授業が終わって教材をまとめていると、青い透き通った羽根が綺麗な生徒が質問してきます。
「ねえ先生!『勇者』様のおかげで世界は平和になったんだよね?」
「そうだね。そういう見方もできるね。」
それを聞いていた別の子が複眼をキラキラさせながら口をはさんできます。
「先生はそう思わないの?」
「『勇者』が『緑の魔王』を倒してから、各地で大雨や日照りが増えているんだ。
関連は不明だけど、あまりに時期が一致するから研究が続けられているよ。」
「『緑の魔王』を殺しちゃだめだったの?」
「うーん。分からないなあ。でも君たちや、君たちの子供たちが、それを調べてくれれば、いつかは分かるのかも知れないね。」
僕は2人の頭を優しく撫でて教室の窓から外を見ます。
抜けるような空の青さだけは、幼いころ姉さんと見上げたあの空と、何も変わっていませんでした。
<終>
ユートピアの終焉 広晴 @JouleGr
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