第32話 『泉』の字
すると、木々が燃え、なぎ倒される音がした。
「くっ、私たちをここから焼け出すつもりですね」
アヴァロンは話を中断し、立ち上がる。
「続きは後で。鎮火させたらすぐに追いつきます、行ってください!」
アヴァロンは火元の方へかけて行く。
「ロッソさん、こっちです」
そんなアヴァロンを引き留めようとしたのと、懐かしい声がしたのは同時だった。
「ベス! なぜここに?」
「話は後です。逃げますよ!」
暫く二人で走ると、木の根本に洞穴があった。
「ここに隠れましょう!」
「あ、あぁ……」
すかさず穴へ飛び込み、敵が通り過ぎるのを待つ。
息をひそめること数刻。
ようやく追手は去ったようだ。
ベスは泣きながら俺の胸に縋りついてきた。
「もう、エレナさんのことは忘れましょうよ。もう私、見ていられません! 知ってますか? エレナさんの母上、自殺未遂をしたんです。幸い、居合わせた冒険者が止めたようですが。もうこれ以上、あの女のせいで苦しむ人は見たくないんです!」
エレナのサルーテ侵攻は、ルーベンの方にも伝わったのか。
確かにエレナの親族がそんな思いをしなければならないのはおかしい。
だがもっとおかしいのは、死んだように扱い、生きていると分かったら大罪人扱いしている母親の方だ。
なぜ、エレナの生存を信じなかった?
なぜ、エレナの潔白を信じない?
「もういい。分かった。気持ちだけで十分だ。俺は行かなきゃならない」
「どうしても……どうしても行くんですかっ!」
「ベス、いや、エリザベス。今までありがとう。俺はもう、エレナの味方でいるって決めたんだ。どんな茨の道が待っていようと。だからもう、俺が戻ることは二度とない。お別れだ」
「どうして……どうしてロッソさんだけが、こんなに苦しまなくちゃならないんですか!」
「アヴァロンさんが言っていた。この世は一切皆苦だって。思い通りになることなんて、もとから一つもないんだ。苦しみは初期状態のようなものなんだよ。だから、この苦しみも、受け入れると決めている」
「そんな……そんなこと言わないでください! ロッソさんが苦しむことによって苦しむ人だって、いるんですよ!」
その通りだ。ベスのように心配してくれる人には、心苦しい思いをさせてしまうことになる。
暫くは。
「でもずっと苦しみが続くわけじゃない。この世に不変のものなんてないからな。いつかきっと、皆で笑い合える日が来る。ベスとはもう会えなくなるけれども、そう信じてる」
「うぐっ、くっ、どうか……お元気で。ご武運をお祈りしています」
そう言って、ベスは何かを俺の手に握らせ、走り去っていった。
手を広げてみると、冒険者登録証だった。しかもエレナの。
【登録名:エレナ・メルセンヌ 和名:冷泉絵里】
そこには、そんな文字列が書かれていた。
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