第二章 VS浅葱青一郎
第十一話 電車に乗るのが一苦労だなんて!
見慣れない無機質な街並みがガラス窓一枚隔てた向こうを目に追えない速さで流れていく。
建物の隙間から見える空は今日もよく晴れているが、指紋や雨で窓が汚れているのだろう、いくらかくすんだ色だ。
アサギはそんな風景を夢見心地でぼんやり眺めている。
アサギは電車に乗っている。アサギの父親――浅葱青一郎国会議員と話をするためだ。
「それでね、携帯がすごいの!今のってスマホっていうんだって。パソコンみたいに機能多彩なんだよ!ね、みてみて!」
隣に座り手のひらより一回り大きい電子機器を操作しながら咲は興奮気味に早口で話す。
アサギは相槌もそこそこにぼんやりしたまま目線を咲の手元に移す。
目まぐるしいはやさで画面の中が動いている。
昔遊んだ携帯ゲーム機みたいだ。
「それで電話なんてすげーよな」
視線をふと天井に向け、一拍どころか何拍も遅れてコメントする、
普段のアサギの反応の良さからすれば異常事態だった。
きっと悩んでいるだろうからほかの話で気を紛らわそうと咲は準備してきたのだが効果は今のところ見られない。
(調子狂うなぁ、もう)
昨日アサギと別れたあと、咲は両親と合流しスマホの契約に言ったのだった。
現代を生きる必需品。
他にもパソコンやら服やらアクセサリーやら思いつくものは一通り買ってもらった。
今着ているゴシック風のワンピースもそうだ。
モノトーンの配色でスカートは膝丈。白のハイソックスに黒の厚底靴。
髪型を変えようかと考えたがいつもと同じふんわりウェーブがかったくせ毛はそのまま垂らすことにした。この髪型がこの服には一番似合う。
上着も黒のロングコートであり、その見た目は
(かわいいとか似合うとか一言くらいあってもいいのに)
そのあたりのニブチンは男の頃から変わらない。分かってはいるけど催促しないで言われたいのが乙女心。
アサギは昨日買ったパーカーとジーンズのまま……で行こうとしたのをは絶対にやめてと咲が懇願し買ってきた服を押し付けた。
駅に着いたらトイレで着替えてもらう約束は取り付けた。仕上げは自分の手でやってやる。そのためにピンやブラシやしこたまバッグに入れてきたのだ。
7年間を乞食と盗賊、冒険者で過ごしてきたアサギに毎日お風呂に入って着替えをするという習慣を植え付けさせるには至難の技のように思える。
(その割にちょっと臭うって言われてすごく気にしてたよね)
女の子になってちょっとは意識が変わっているのかもしれない。
現代という環境も一躍買っているのかも。
そこに希望を託したい。
素材がいいのだから何としてもかわいい美少女でいてほしいと咲は願ってやまないのだ。
「ほら、不思議じゃない??表面ほとんど全部画面がなの。ボタンが一つしかないの。最新のは操作ボタンも画面の中で一つもないんだって。型落ちのほうが安くて普通に使う分には特に困らないって言われたからからこれにしたんだけど、ほら、指の指紋で暗証番号代わり!って、あれ?おかしいな……。うまく反応しない。こうかな?こう?これでどうだ!……うーん。まだうまく使えないんだけど、情報を得るのにはきっと役立つと思って……ね?アサギ君??……聞いてる?」
新しいおもちゃを手に入れた子供の様にはしゃぐ咲も違和感に気付く
。
「……あ、ごめん……ちょっとぼーっとしてた」
「大丈夫……?もー、しっかりしてよ??」
ああ、という返事さえも上の空。
止まらない咲の話をアサギは左の耳から入れつつ半分以上が右から出て行く。
お尻の下から感じる線路の継ぎ目の規則的な揺れが辛うじてアサギを現実に引き留めている。
父親とどう話すか、ということも重要だったが、その先。現代に戻ってきた目的であるあいつ――ヒナのことで頭がいっぱいだった。
映し出されるものは比較にならないほど美麗だが、心は踊らなかった。
空白の7年というのは恐ろしい。
そして、いつも隣にいたあいつが――。
ヒナ・シャルラハラート。緋色の髪と瞳を持ち、すらっと長い四肢にアサギと同じくらいの身長なのにやけに軽い体重のスレンダーな体。引き締まったお尻と健康的な太もも、控えめが過ぎる胸……。
「っておい!!」
「どーぜヒナちゃんのこと考えていたんでしょ?隣で囁いたらどんどん顔が緩んだし。アサギくんのスケベ」
「あのなぁ……」
「ふふ、ちょっとは緊張解けたかな?」
「……ああ、ありがと」
「心配だよね、こっちに居るとは言っても手がかりゼロだし」
咲はヒナの親友だ。【ヒナちゃん親衛隊】の隊長でもある。もっとも、メンバーは彼女と、異世界にいる屈強な若者、アイボリーの二人しかいないのだが。
「まぁ、解決できないことを今悩んでも仕方ないんだから、お父さんのほうに全力向けよ?」
「そう、だな」
咲にはまるで頭が上がらない。昔はもっと引っ込み思案だったような気がするが、年月が彼女を変えたのだろうか。
着るもの食べるものから今日の活動内容までエスコートされているようだった。
咲のおかげで現代になれないアサギは何とか生活できているのだった。
(感謝しかない、よな)
こんなに良くしてもらっている。昔なじみだけだろうか。
巻き込んで突き合わせていて悪いと思うが咲がいなくてはにっちもさっちもいかない。
せめて住むところと生活費、そしてできれば通信手段くらいは手に入れたい。
それを父親に直談判しに行くのが目的だった。
できれば巻き込まずに一人で片づけたい。そう思い一人で行くと打ち明けた今朝だったが――。
「本当に行くの?」
「ああ。いつまでも橋の下で野宿するわけにもいかないからな。フジムラも両親に会えたことで当面の住まいは確保できたんだ。環境を整えなきゃヒナのことを探すに探せない。使えるものは何でも使わなくちゃな。国会議員ならそこそこ金あるだろうし、どうにかして出させるよ。とはいえ、子供がいきなり乗り込むんじゃ不審に思われ警察呼ばれるかもしれない。二人とも捕まっちまったらシャレにならない。だからフジムラは待っててもらっていいか?」
「うん……。あのね……、アサギ君……」
「ん……?」
躊躇いがちに歯切れの悪い返事をする咲。
「却下します!心配だからついてく!」
「へ?」
予想していなかった申し出に間抜けな顔を晒してしまう。
「だってアサギ君いっつも無茶するんだもの。現代世界は厳しいよ?そもそもお父さんに会いに行くって行先分かるの!?最寄り駅は?そこからの道順は?お父さんの今日のスケジュールは!?」
白紙の手帳を見せつけられながらずいずいずいと詰め寄られる。
「何にも調べてないんでしょ」
「フジムラにそう言われると弱いなぁ」
図星だった。アサギは行き当たりばったりにしか考えていなかった。
咲は綿密でありスマホという武器を手に入れた今では情報の海を自由に波乗り巡ることができる。
「咲ちゃんにお任せあれだよ!」
巻き込まれているはずなのにドヤ顔で嬉しそうな咲を見てしまっては一人置いていくことなんてできない。
電車のふかふか臙脂色の座席に並んで座っている今になって、来てもらってよかったという安心感がある。
今はひとまず、この子の好意に甘えよう――。
結局地下鉄に乗り換える時点で文明の利器に頼ろうとも歯が立たず盛大に迷った。
同じように揺られるのに窓の外はひたすら闇。駅に入るとモニター広告が眩しい。何とも異質なものの並ぶ世界はまるで
予定時刻を大幅に遅らせつつも、その時はやってきた。
『次は、国会議事堂前ー。国会議事堂前ー。お荷物お忘れ物の無いようお気を付けくださいー』
さぁ、いよいよだ。二人は立ち上がり、ドアの前に立つ。
開いたドアは反対側だった。
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