第六話 欲に負けて危ない目に遭うなんて……!

 薄い白磁の器に注がれた深いあか。置かれた直後は湯気が立っていたがすっかり冷めきった。

 その横にはつい先日までいた異世界を思い起こす模様で縁取られたお皿があり、中央にはいろとりどりの果物が生地からはみ出すほど盛られたフルーツタルトが時間の経過で瑞々しさを失い年老いた肌になっていた。

 オーダーしたもののお腹が満たされていたので後でと思ったら手を付けるタイミングを逸してしまった。


「――――でね、僕は言ってやったんだ……」


「へぇー……、そうなんだー」


 お前の政治信条もちんけな武勇伝も興味ないんじゃい。

 適当な相槌を打ちながら、抑え込もうとしてもせりあがってきてしまうあくびをばれないよう噛み殺すのに涙を浮かべ神経をすり減らす。不快にさせてはいけない。会計を終えるまでは……


 1時間、は長すぎた。30分でも無理だった。

 10分にすればよかった。でもそうしたら千円くらいしかもらえないだろう。

 10分千円。60分5千円。あれ……?計算おかしい。なんで10分サービスしてんだよ俺。

 男は話に夢中だが人が苦手なのだろう、目はほとんど合わせない。

 アサギはにこやかな笑顔を貼り付けたままちらりと目線だけ男の頭上、左から右に流す。


 時計が絶妙な角度で枠しか見えない。

 くそ、まだ経過してないんじゃないかと心配してきたけど逆に時間超過してないか……?


 携帯はおろか腕時計すらなく時刻を知る術がない。咲が母親から腕時計を借りてきていて別れるまではタイムキープしてくれていたが、一人になってはどうにもならない。今の持ち物は埃まみれの汚れた着替えだけだ。


 今何時?なんて聞いたら失礼だし機嫌損ねてしまう。そこから取り繕って自分に流れを持っていけるとも思えない。


 お喋りがこんなにひどいとは思わなかった。この男の話術が最悪だ。

 異世界むこうでみんなの冒険譚を聴く機会は多かったが、結構楽しかった。情感たっぷりに話して聴き入ることが多かった。

 こんなに苦痛なのは初めてかもしれない。


 そもそも――。

「君の話が聞きたい」んじゃなかったんかい!


 一方的に話し続けるその口を塞いでやりたい。

 否定せずに話を静かに聞いてもらいたいという商人欲求を満たすためだけに自分は今ここにいるみたいだ。

 若い女には相手にされることなど無いのだろうだからこそマウント取りたくて空虚な自慢話に終始しているのだと思う。

 こんな感じで酒飲んで管巻いてるやつはむこうにもゴロゴロいたな。

 動く口に合わせて唾が飛んでいるのが見え、食べたいと思っていたスイーツにかかっているかも、と考えるとげんなりした。



 正直なところ、話を聞きたいと言われたところで意向に沿った話題など持ち合わせていなかった。

 アンチ浅葱青一郎はとしてどんな思想、活動をしてきたか?今さっき初めて話を聞いていて衝動的に言っただけだ。


 実は俺は男で10歳で異世界ん迷い込んで乞食になってたら盗賊に拾われてそれから冒険者になってとある事故で女の体になっちまって色々あって仲間の女の子の後を追って7年ぶりにこっちのせかいにもどってきたところなの♡

 とでも言えばいいのか。

 その正体は浅葱青一郎の息子の浅葱青磁なの♡と言っても痛い子でしかない。


 話したところで理解されずに頭おかしい扱いになるのは目に見えている。

 だがこうも一方的な話を聞かされてばかりでは退屈が暇を持て余す。

 これで自分の話は面白いとか思ってると厄介だよなぁ。


「君、どうしたのかな??」


「はひゃっ!?」


 まさか声を掛けられるとは思わず、不意打ちに素っ頓狂な声が出る。


「あ、いや、、その、そろそろお時間かなーって?」

慌てて取り繕いたいが素直な言葉しか出ない。


「おや……?本当だね!5分すぎてしまっているよ。つい話に夢中になってしまった。悪かったねぇ」

「いえ……」


 なんだよ割とドンピシャかよ。


「紅茶もケーキも手を付けていないけどお気に召さなかったかい?」

「あ、いえ……とっても美味しそうなんですけど。さっき食べたばかりでお腹が空いていなかったので……無駄にしてしまってごめんなさい」


「あ、そうだったのかい!?ごめんごめん…………チッ、そうやっていえよ……」

 さらりと謝り悪い人ではないようにみえるが、ボソッと何か聞こえたような?

 述べる言葉にどうも心がこもってないと感じる。


「僕ばかり話してしまって悪かったね。もう予定はないんだろう?どうだいもう一軒?今度はちゃんと君のことを知りたいな」


 まだ拘束する気なのかと呆れる。

「あ、いや、今日はちょっともう……」

「お金、欲しいくないのかい?」

 ぴくり、と手が止まる。

 欲しい、喉から手が出るほど。


「一万、五万、十万……。どのくらいほしいのかな?君の頑張り次第にはなりけどね」

 対価を匂わせてくる。テーブルに出されたものに手を付けていないことで好意はあまり見せられてないはずだが、変に乗り気だ。

 「ま、お店を出てからにしようか」


 男は伝票をもって立ち上がる。

 うう、タルト一口くらい食べればよかったなぁ。今度藤村と来よう。

 そう考えながらバッグを持って出る。


「どうもごちそうさまでした」

 建物の外まで出て、食べてないけど礼だけ言っておく。

 墓前に供えられたと思えばいい。

 支払い済んだからここでお別れにしよう。


「さ、それじゃ行こうか」

「え、と……。どこにですか……?」

 アサギは不用意に聞いてしまった。


「ホテルに決まってるじゃないか。……君もその気なんだろう?一度も携帯を見ずにニコニコと話を聞いていたということは」

 え……そんな基準なの……携帯持ってないやついない前提なのかよ。

 男の勝手な判断に閉口する。


「そんなつもりは全く……」

「そんな言い訳が通じると思っているのかい?ボクは君がもっと知りたいんだ。繊細な肌を、奥ゆかしい柔らかなふくらみを、ぬらぬらとした粘りを、その味と香りを―――!」

 言葉が熱を帯び、早口でまくし立ててくる。


 知りたいって体目当てなのかよ。

 シンプルに気持ち悪かった。

 脂汗を浮かべ飛沫を飛ばしながら語る言葉は湿った熱を帯びており、高熱で寝込んだ時の吐息に似ていた。あてられて具合が悪くなりそうだ。


「逃がさないよ?僕は決めたんだ。君ならきっと受け入れてくれるって信じてる」


「ひ……」

 目が血走っている。どうにかして逃げなくては。目を合わせたままゆっくり歩くと、同じ歩幅で動いてきた。


「手を付けてもらえなかったのは誤算だったな。せっかく睡眠薬を仕込んだのに。もったいない」

「なんだって……?」


 いつの間に薬なんて盛ったのか。持ち歩いてるというなら常習犯なのか。


「具合が悪くなった君を介抱するためならホテルに入るのもおかしくないだろう?」


 ニヤリとする口元。ぞわり、と背筋に悪寒が走る。


「人命救助さ。しかしそうでなければ合意を得るしかないね。コレでね」


 一万円札を扇状に広げて見せつけてくる。


 金で従わせて当たり前、と言わんばかりの発言でさすがに見過ごせない。

 キッと睨み返す。


「そ、そういう邪なことでしたらお断りします。縦縞になってからお越しください。失礼します」


 丁重にお引き取りを願う。

「待て、待ってくれ!」

 

 踵を返し立ち去ろうとしたところを腕を掴まれた。

 振りほどこうとして……離せなかった。


「は、離せっ……!」

「いいだろう?こんな大金が手に入るんだ。少し体を見せて写真を撮らせて、触らせてくれるだけでいいんだ……」

「いいわけないだろっ……!鼻息くせぇんだよ!!」

「そう、そういう強気なところがいいね。向こう見ずな娘を薬屋金の力でねじ伏せる……ひゅふ、僕に逆らうことなんてできやしないんだ……っ!」


 掴んだ手にさらに力が籠められる。


「い……ってぇ……よっ!」


 前に後ろに勢いをつけ振るが離れない。畜生、こんなに非力なんて……。

「手荒なことはしたくないんだ……」

 十分手荒なことをしている自覚が無いのか冗談としか思えないことを言いながら男はアサギを引き寄せる。ちょうどビルのすき間があり、アサギの体はするりと入り込んでしまう。

 壁に押さえつけられ、男の空いている手がアサギの顔の横に貼りてするように強く叩かれる。

 呼吸荒い男の顔が近づく。充血した目で、脂ぎった肌で、古い加湿器みたいな少々匂う息でアサギを見下ろす。男の太めの体で隙間はふさがれ、アサギからは通りの様子を見ることができない。


「いいじゃないか。使っても減るものじゃないだろ?」

「減らなくても汚れるだろっ!」

 漂泊しても一生落ちない頑固な汚れ、傷痕が残るに決まっている。


「強情だな。僕のテクニックを知ったらそんなこと言ってられなくなるさっ!いっぱい観て勉強したんだっ!」

 男の顔が迫る。遠慮なく息がかかり蒸し器の中に入れられてしまっている。


「ひゅふ……ホテルまでなんて我慢できないや、そのプルプルの唇をまずいただこう……!」




 にじり寄るナメクジ。いつかの排水溝ババァを思い出す。

 誰か―――!




「あのー、ちょっといいっすかー?」


 !!


 あと人差し指一本分のすき間、もう鼻が触れてしまっている位置で声がかかり、磁石の向きが逆になったかのように男の顔面が跳ね飛ぶ。



 ――間一髪。


「丸聞こえっすよ?ずいぶん大胆っすね」


 逆光で顔がよく見えないが、スラっと細身で骨格と声から男と思われる人が腰をやや曲げのぞき込んでいた。

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