第五話 知らない男に声かけられるなんて!
最悪だった。やっぱり来なければよかった。
何が心から愛した息子だ。愛されるどころかまともに言葉を交わした記憶もないというのに。
屋上のイベント会場を後にしたアサギは振り返ることなくただ黙々と階段を降り続けて1階までたどり着き建物から出ていた。
平日の昼下がり。駅前は買い物客やスーツ姿の人だけでなく制服姿の学生たちの姿も加わり賑やかさを増していた。
「アサギ君!待ってよ!」
建物から出たところで書けられた声に気付く。
「ああ、藤村……。ごめん……」
「はぁっ、はぁっ……、ひどいよっ、先に……行っちゃうなんて。――まぁ、こんな形で再会したら心がモヤモヤしちゃうよね……」
再会と言っていいのかも怪しい。こちらは分かっていても向こうからしてみればおかしなことを言いだした輩に過ぎないのだ。息子と認識などされていない。
営業妨害、名誉棄損だとつまみ出されなかっただけマシなのかもしれない。
「信じてもらえないのは分かり切ったことだけど、実際直面するとちょっと悔しいな……」
受け止められなかっただけでなく、見ず知らずだが父と慕うなら娘をしえ受け入れようと言われたのもショックだった。
息子は一人、それでいいじゃねぇか。それをあいつは――。
過ぎたことを引きずるのは性に合わない。でもいつまでも消化できないでモヤモヤする。
明日来い、と言われたのだ、切り替えてそこに行くしかない。
それは明日、今日はもういいのだ。リセットだ。
「どっかで酒飲めないかな」
「無理だよ、
「まじか……」
アサギも咲も17歳。弱い酒とはいえ宿に泊まっているときはたいてい飲んでいたものだ。3年も飲めないなんてゾッとする。
「こっそり買うとかハタチのフリもダメだからね?規制が厳しいみたいで、コンビニもちゃんとレジで年齢確認してたもの。怪しかったら身分証提示しろって言われるみたいだよ?」
「それは困るな……身元を証明するものなんて何も無いもんな……」
「だから、ね?大人しく我慢しよ?」
「藤村は平気なのか?」
「私はもともと飲めないもの。すぐ真っ赤になっちゃって。だから飲みたい気持ちが分からないて言われたらそれまでなんだけどね」
舌を出し悪戯っぽく笑う。アサギがそうは言わないと分かっているからこそ、あえて言っておどける。
「それでね、このあとなんだけど……」
「ちょっと一人になりたいんだけど、いいか……?」
一転して真面目モードになった咲が言いかけたのをアサギが遮る。
「あ、うん。私もね、じつはお父さんとお母さんと約束があって行かなきゃなんだ。帰り道分かる?あと夜はどうしよっか?ウチに泊まる?」
「いや……、散々お金出してもらってアレだけど、そこまで甘えられない。帰りは川沿いに出れば何とかなるし大丈夫」
「お金のことは気にしなくていいんだよ!でも……うーん、遠慮したい気持ちもわかるから……せめてこれだけ持って行って」
ぎゅっと両手を握られる。咲が手を離すと千円札を握らされていた。
「心配だから、ね」
「あ、ありがとな……」
「じゃ、明日の朝にまた行くね。風邪ひかないでね」
「藤村も、な」
ばいばい、と手を振って咲は人混みに消えていく。
あとに残されたアサギ。陽が傾いたためか急に空気が冷えてきたのを感じる。さっきの屋上はぽかぽかだったのに。
とりあえず頭を整理しようとそばにあった石垣に腰を下ろす。
円形に作られた石垣の中央には大きな桜が植えられている。昔からこの街のランドマーク。
この木は昔から変わらないな。少し大きくなったか。葉が落ち切った寂しい姿の幹にそっと手を触れる。ごわごわの木肌が少し痛いが自然のものならではの温かみを感じる。人工物だらけの世界では貴重なものだ。
一人になりたいとは言ったものの実際になると独りだと感じる。
他に当てがない。過るのは寂しさと不安。そんな気持ちに桜の木が寄り添ってくれるような気がした。
頭の中で繰り返される父親の言葉。私の愛した息子。
何が愛しただ、愛されてるなんてこれっぽっちも感じなかった。口では何とでも言える。行動が全てじゃないか。何をしてくれたのだというのだ。
もしかして異世界へ行ってしまった後は本当に心配されていたのかもしれない。それは知りようのないこと。もしそうだったとしたら――。
タラレバなんて考えてもしょうがないな。
幹から手を離す。桜の大樹を背にして少し俯く。
これからどうするか。行動が全て――。自分にも言えること。
俺は今何をしている?ヒナにもう一度会うために
ヒナはどうしているだろうか。元気だろうか、また泣いてないか。
ヒナの笑った顔、怒った顔、照れて真っ赤になった顔、飛び蹴り、ビンタ――。ほんの数日前まで一緒だったのに、どれもこれも懐かしい。
捜す捜すって言ってるだけで行動してないじゃないか。
咲は俺のために早く起きたりお弁当作ってくれたりお金出してくれたり、こうしたらいいんじゃないかって考えたりいっぱいいっぱいしてくれてる。それなのに俺は立ち止まってるじゃないか。
できること、もっと考えよう――。
「あ!君!」
突然の声に何事かと反射的に顔を上げる。大きなメガネをかけトレーナーを着た冴えない風貌の男と目が合ってしまった。背はアサギより少し高いくらい。体系は太め。
「やっぱりそうだ!さっきはすごかったねぇ」
少しいびつな笑顔を浮かべ右手を伸ばしながら男が近づいてくる。握手を求められていると分かったが、距離が近くなると晩秋なのに汗を額に浮かべテカっているので手を出す気にはなれなかった。
「あの浅木議員に食って掛かるなんて肝が据わってるねぇ」
「はぁ」
握手は諦めたようだが何も言っていないのに隣にドカッと座ってくる。
石垣が崩れるだろ静かに座れ。
「アンチ浅葱派に君みたいな逸材がいるとは知らなかったよ。ぜひとも話を聞かせてもらいたいんだが、今暇かな?それともここにいるということは誰かと待ち合わせかな?さっき一緒にいた女のことはもうバイバイしたのかな?」
返事をする間もなく次々質問を飛ばしてくる。
「まぁ、一応……、今は一人ですけど……」
などと正直に答えてしまったことをアサギは後で後悔することになるが、一人で暗くなっていたところを紛らわせてもらえたのにはほんの少し、レンズ豆一粒くらい感謝していた。
「それはよかった!そこのカフェでお茶でもどうかな?あ、甘いものもご馳走するよ!」
まくし立ててくる男。ケーキさっき食べたばかりで甘味の気分じゃなかったために返事に困り止まってしまう。
「あ、そうか。僕としたことがうっかりしていたよ。こんなむさくるしい男にホイホイついてくるわけないよね。ハイこれ」
ズボンのポケットをまさぐり、脂ぎった手でアサギの手を取り包むように握る。ついさっき咲に同じことをされたが、いやせめて裾で一回手のひら拭いてよエチケットの無い奴めと悪態をつきたくなる。
じめっとした感触と共にカサカサした紙の感触がある。てゆーかこれ絶対手を握るのが目的だっただろ、そうとしか思えない。
アサギの手にはしわくちゃの5千円が握らされていた。あぁ、援助交際とかそーゆーやつ?
一目見た瞬間から引き気味ではあったが、そんなことしてくるとはもっと気持ち悪いと思ってしまった。が、お金の当てゼロのアサギにとっては魅力的だった。
「まぁ、1時間くらいなら……」
「そうか、よかった!では早速行こう!」
安売りしてしまった。10分とか、せめて30分とか。1時間は長すぎたと後になって思い知らされるのだが、短く見積もってせっかくのお金を逃すのは避けたかった。
とりあえず1時間耐えればいいんだ。そう自分に言い聞かせ太っちょ男の後を付いて行った。
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