第四話 最前で演説聞かされるなんて!

 館内放送を聞くや否やレストランで各々食事を楽しんでいたはずの人々が次々に席を立ち会計に長蛇の列ができる。店の外にも人の流れが巨大なうねりとなって本屋のある階へと押し寄せていく。

 イベントは周知の事実なのにこの動き。無料開放は突然に決まったことなのかもしれない。


「すごい人の流れ……だね、アサギ君」

「行かない」

「まだ何も言ってないよ?」


 言われなくてもだいたい察しはつくものだ。咲が意外にミーハーなことも知っている。だから先手必勝で念押しするに限る。


「絶対に行かないからな」

「そっかぁ……残念だなぁ。じゃあ、私行ってくるからここの支払いお願いしてもい「行く」素直でよろしい」


 観念してうなだれるアサギ。 

 とは言ったもののレジには長蛇の列ができておりしばらくは出られそうにない。咲は立つそぶりを見せたがもう一度座り直す。

 コーヒーも飲んでしまって手持無沙汰の咲。アサギの顔ばかり眺めているのも気付かれたたため恥ずかしいくなって仕方なく会計待ち行列が動く様子を眺める。

 早く進んでほしいような、このまま二人で居たいような。

 列に20人は並んでいるだろうか。ほとんどが女性。平日の昼間だから主婦が多いのか、と思えばそうではなく年齢は幅広い。ふとどの人からも鮮やかなオレンジ色が覗いているのが見えた。ハードカバーの本だった。


「ね、あれ……」

 列に向かって見えないように小さく指をさす。窓を眺めていたアサギも並んでいる人に目をやる。


「あれが例のサイン会の本かな?」

「かもな……目立つ色だな。みんな揃って持ってるなんて宗教じゃあるまいし……」

「聞こえるよ?まあ、追っかけみたいなものなのかな……」

「黄……うーん、手が邪魔で読めねぇ」


 表紙に書かれた題名を読もうとするがうまくいかない。


「オレンジ色なのに黄って不思議な名前だね。

「変わってるからな」


 やはり父親の話題になると素っ気なくなる。無意識のうちに避けたがっているのだ。



「ありがとうございましたー]


 待つ間は思うほど会話が弾まず、それぞれがぽつりぽつりとかなすくらいだった。30分ほ経ってやっと会計が済み本屋のある5階へ向かうためエスカレーター目指して歩きだしたところに再度館内放送が流れる。

 人が集まりすぎて書店の営業に支障が出るため会場を急遽屋上の広場に変更するというものだ。


『皆様大変ご足労をおかけし申し訳ありませんが、何卒ご理解ご協力の程宜しくお願い致します!』


 拡声器でスタッフが誘導と謝罪をしている。ぞろぞろと人が移動する足音と客の声が聞こえる。まだ移動は始まったばかりのようだ。

「チャンスだよっ。みんなは5階、私たちは7階!屋上はすぐそこ!」

 咲が張り切りだした。

 乗ろうとしていたエスカレーターに屋上行きはなく、天井からぶら下がっている階段の位置を示す表示を指さす。


「さ、行こう!」

「お、おぅ」


 咲の気迫に圧倒されながらアサギは先に走り出した少女の後を追う。

 息を弾ませながら階段を上がる。目線を上にあげているため、そこに見えるのは咲のお尻。背中にリュックを背負いレースのスカートがかかっているものの細身のジーンズを履いているため形の良さがはっきり見える。


(こんな時になに考えてんだ俺は……)


 思春期男子の正常な反応と言えばそれだけなのだが、今まで気にしたことのなかった咲に対して意識してしまったことにアサギは動揺していた。

 が、駆け足のまま階段を上がり切り、息を整えるうちに戸惑いも消えた。


「はぁ、はぁっ、意外とっ、距離っ、あったね?」


 膝に両手を当て、肩で息をしながら咲がアサギに問いかける。


「藤村、荷物、持った、まま、走るから……」


「あ……、えへへ、そう、だね」


 素で忘れていたようで照れ笑いする。

 広場へ行くと一番乗りで。さぁさぁと係の人に案内され気付けば最前列ど真ん中。特等席のパイプ椅子にいた。自主的には絶対座りたくない場所だ。目の前であれよあれよと設営されていく様子を感心しながら見ていると続々と観衆ギャラリーがやってくる。

 程なくしてマイクを持ちグレーのパンツスーツを着た女性が現れた。会場の様子を眺め、腕時計で時間を確かめ、手元の資料に目を落とし、再び会場に目をやる。

 一見何でもない柔らかい雰囲気を出しているが張り詰めた緊張感、もはや殺気と言ってもいいくらいのものを桜色の瞳に纏っているのをアサギは感じていた。自分だけに、は考えにくい。恐らくはこの会場全体に。

 秘書か何かだろうか。SPを兼ねているのかもしれない。

 異世界あっちにいた頃に傭兵や護衛の騎士の一部から似たような殺気を感じたことがある。

 真ん中分けでおでこを出して垂らした髪は鎖骨を超えるほどの長い。背はそれほど高くないが背筋は真っ直ぐで乱れが無い卵型の頭に切れ長の目。隙の無い美人だ。


 手に持ったマイクをスッとあげ、一声。


「皆様移動のご協力誠にありがとうございます!それではこれより浅葱青一郎先生の新刊発売記念トークショー&サイン会を開催いたします!!」


 さっきの館内放送もこの女性だったようだ。この手の司会は粛々と行われることが一般的だが彼女はかなりノリノリで身振り手振りを交えて話す。

 盛大な拍手が沸き起こる。


「まず浅葱青一郎先生の簡単なプロフィールをご紹介いたします!!耳の穴かっぽじってよーく聞いとけよ?」


 どすの利いた声で牽制しつつ説明に入る。


「国会議員3期目、鋭い言論、その裏にある膨大な知見でご活躍されています!特に子育て、いじめ問題、その背景に関わるとされる若者文化、特に漫画・アニメ・ライトノベル、最近ではweb小説も加え国会の第一人者であると言えるでしょう!!」


 冷徹な雪女を思わせる雰囲気から、語る言葉は火山の噴火。いやいや身内がそんな風に褒めるとおかしいだろ。


「著書に【ラノベの勃興】、【新約web小説】、【ザ・ラノベ】、【逃げてもいいよ―異世界住まいの君たちへ―】など著作多数。ラノベ宇宙一コンテスト審査員、政府のラノベ向上委員会座長と輝かしい経歴をお持ちです!!」


 まだ出てきていないのに拍手や指笛が巻き起こる。


「この度は新作【web小説の黄昏】が大変な話題を呼んでおります!!各種ランキング総舐め!!天下無敵の男!!甘いマスクにワタクシも貴女ももう虜!!あぁ!抱いて!先生、私を抱いて!!肉塊になるまで私の事を抱いて抱きつぶしてぇっ!!」

 マイクを口に当てたまま器用に両腕で自分の体を抱きしめている。

 ずる。何だこの女?そしてなんでラノベ?ラノベって何だ?


 司会者の暴走に先ほどまでとは一転。会場は無反応。


 永遠かと感じられる数秒の沈黙の後、あびせられる冷ややかな視線を感じてか女性は我に返る。

「――こほん。それでは浅葱青一郎先生の登場です!!皆様盛大な拍手でお迎えください!!」

 右腕をスッと登場方向へ向けて伸ばす。指先まできれいに伸びている。性格に難ありそうだがかなり仕事ができる人材なのだろう。


 示された先、パーテーションの奥から現れたのは――。


 糊の利いたしわ一つ見当たらないスーツが見事なまでにぴったりのスラっとした長身、オールバックに整えた髪に精悍な顔つき。堂々たる歩みで登壇する男。


 司会の女性は観衆が主役に注目したのを確認するとスッと脇に控え気配を消す。

 ああそうだ、こんな顔だった。紛れもなく父だとアサギは見上げつつも、視界の端で女性の所作を見届けていた。


「わ、似てる」


 咲がちらりとアサギを見て小さく呟くのが聞こえ、視線を移す。


 親子だからそりゃそうだろ、と思うが壇上の男の耳に入っては困るので心の中にしまっておく。


「おや?どこかでお会いしたことあるかな?」


 登壇を終えた第一声。最前列ど真ん中を陣取っているためか、いきなり声を掛けられ心臓が止まりそうになる。ちょ、いきなりバレた!?!?!?!?

 首がもげるくらい必死に横に振る。


「そうか、人違いかな。どことなく懐かしい雰囲気を感じたものでね。失礼した。大した話はしないがよかったら最後まで聞いていってほしいな、お嬢さん。さてご来場の皆様――」


 父親が直ぐ引き下がったので命拾い。俯いてはーっとため息をつく。

 背後からは「話しかけてもらえたのに何あの態度!」や「アサギ先生ー!私10回目ですー!」など黄色やどす黒い声が入り乱れて聞こえる。振り返って顔見られたらアウトかな。知らぬが仏。


 浅葱青一郎は来場のお礼、購入のお礼、今作のテーマやコンセプトなどを淡々と語っていく。

 一緒に住んでいた頃は仕事が忙しいと、ほとんど顔を合わせないで過ごしていた。その父親がこんなに長く話しているのを見るのが新鮮であり不思議な感覚。だとアサギは思い返していた。

 もちろん自分だけに話しかけているのではなく聴衆全体に語りかけているので純粋なコミュニケーションとは違う。それでもやはり新鮮だった。



「――皆さんご存じの方も多いと思いますが、私は心から愛した息子を失いました。今日でちょうど7年です。7年前のあの日、あの子は私たち夫婦の前から姿を消しました。何の前触れもなく。愛していたつもでしたが、足りなかった。もっとよく見ていてやれれば救えたかもしれない。繋ぎ留められたかもしれない。気付いた時には手遅れでした」


 静かに、それでいてうちに熱を秘めたような話し方。

 本当か?聞けば聞くほど当事者にとっては空々しく聞こえる。



 心から愛しただと?誰が?いつ?



「同じ思いをさせたくない。何年も立ち入ったことのなかった息子の部屋に入り、本棚から出されていた1冊の本。それがライトノベルと呼ばれる若者向けの小説でした。そこで繰り広げられる壮大な物語。ワクワクとドキドキ、時々差し込まれるちょっぴりえっちな展開。すばらしい活字のエンターテインメントでした」


 うんうん、と客席の人々が大きく頷いているのを背中で感じる。


「へー。ちょっぴりえっちなんだぁ」

「な、なんだよ、た、たまたま、そういう展開が入ってたんだよ」


 ジト目で見てくる咲を苦し紛れの反論で返す。

 少し大人ぶりたくて、子供でも読める本を図書館で探してもらった結果だった。お色気展開は当時10歳のアサギにとってはとても刺激的だった。

 そんな懐古をする間にも話はどんどん進んでいく


「子供たちを愛し理解するためには……子供たちの愛するラノベをもっと大人が理解するのが大切だと……私は考えています!」


 やんややんやの喝采――。


 待て待て……?

 あ、アサギくん……?

 異変に気付いた咲が声をかけるがもう手遅れだった。アサギのお尻は椅子から離れていた。

「おいコラ!!てめぇいい加減にしやがれ!黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって!」

「アサギ君、まずいよぉ」


 立ち上がり、啖呵を切ってしまった。

「こちとら愛された覚えなんてねぇんだよ!!」


 それが本心だった。言うしかなかった。

 本当は言いたくなかった。

 自分がいなくなったことでどれほど苦しみ後悔したか。その思いを知ってしまったからだ。自分の感じていた辛さ味わった孤独よりも痛みを与えてしまったことが分かって、責められなくなってしまう。

 いなくなってやって、ざまぁ見ろを思うことで心の穴を埋めていたのが、もうできなくなってしまう。誰も責めることができなくなってしまう。

 それではどうやって心の安定を保てばいいのか……

 視界が滲み、怒りがみるみるしぼんでいく。


 しばしの沈黙のあと、浅葱青一郎は控えていた司会の美女に尋ねる。

「なんだい?あの薄汚れた美少女は?」

「しー!議員!言い方!また週刊誌に載せられます!!」


 全身の毛が逆立つかのような勢いで女性が怒る。

 どうした?アンチかなにかか?異様なやりとりに客席もどよめく。


「どなたか存じ上げず申し訳ない。私は君のような娘を持った記憶はない。が、君が私のことを父のように思ってくれているのなら嬉しく思う!歓迎しよう!!遠慮なくパパと呼んでくれたまえ!!」


 そういうと浅葱青一郎は両手を大きく広げる。


「てめぇ子供の顔も忘れたってのか!」

「なんだ?アンチじゃなくて隠し子か?」

「はっはっはっ!面白いことを言うね。私の子供は行方不明になった浅木青磁ただ一人なのだよ!」

「だーかーら!!俺がその青磁だっつってんだよ!」


 ざわざわ。


 どよめきが一層大きくなる。

 。

 アサギ君!と咲が袖を引っ張る。

「悪いな、こうなったら止められないんで、な」


「面白い!気に入った!まさにラノベ的展開だ!」

「だが今ここには私のお話とサインを求めてたくさんのファンが来てくれているのだ。君1人をお相手するわけにはいかない。不公平だからね。どうだろう?後でじっくりお話をさせていただきたい」


 誰もが見逃すようなほんの一瞬だけちら、と時計を確認する。

「明日私の執務室に来ると言い。そこでじっくり話をするとしよう!」


「さぁみなさん!とんだアクシデントが入ってしまいましたがそれもまた人生の一興!これよりサイン会に移ります!!」


 係員の誘導により一瞬に列が作られていく。


「おや、君は本は?」


「買わねぇよ。サインも興味ねぇ。」


 アサギは背を向けたまま振り返りもせず言い残し、足早に去っていく。


「あ、待ってよ!すみません、失礼します!」


 咲はぺこりと頭を下げ駆け足でアサギの後を追う。



 流れ作業で秒でサインを書き、挨拶し握手する。腱鞘炎は免れない。笑みを絶やさず、言葉に耳を傾けて的確に返す。


「……議員、よかったのですか?」


 さきほど司会をしていた美女が浅葱青一郎に問う。


「アンチを取り込めばより強い力になるだろう?正面から相手をしなければ逃げ腰だなんだとまた叩かれるしな」


 決して客には聞こえないタイミングと声に大きさで会話をする。


「苦労しますね……」

「これも息子を愛してやれなかった報いかもしれないな。あと何人並んでいる?」


「速報値で1400人ほどです」

「集客は上々だな。予定よりペースアップだ、さらに増えるだろうから今いる方は2時間で片付けるぞ」

「はっ」


 製パン工場よろしくベルトコンベアー体制を構える。無心で書き続ける浅葱青一郎だった

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る