第三話 買い物行ったら出くわすなんて!!

 夜が明けて。薄曇りの隙間から差し込む陽の光がアサギの寝ている橋の下にも届く。


 顔を照らされ夢うつつのまま眉間にしわが寄るが、タイミングがいいのか悪いのか雲が途切れ太陽は隠れず段ボールごと浅葱色の髪をした外見上少女を早く起きろと催促する。


「まぶし……」


 顔をしかめ自身の右手で光を遮る。ひんやりした空気の中、顔に変わって朝日を浴びる手のひらがじんわりと温められていく。意外と心地よくそのまま身動きせずひなたぼっこ。


「おはよ、アサギ君っ」


 心地よさに再び寝入りそうになっていたアサギのもとに届いたのは耳に馴染んだ天使の囁きウィスパーボイス。咲がやってきたのだ。陽はまだ低い位置にあるからだいぶ早いんじゃないか。


「ふあ……藤村……早いな……おはよう」


 むにゃむにゃと声にならない声を出しながら寝ぐせのついた後頭部をぽりぽりと掻く。くぁ、ともう一度あくび。


「あれ、朝弱いっけ?」


 少し息を弾ませながら話す咲の吐息は白い。頬はほんのり赤くなっており寒い中を急いで来たのだろうか。内側のボアが覗く厚手の手袋に赤のチェック柄のマフラーを着けている。

 ベージュのロングコートの裾から黒いスカートのひらひらが見えており足元は白黒のスニーカー、今日は靴下でなく黒い厚手タイツのようだ。

 昨日に続き母親から借りたものだろう。自力なのか母の手を借りたのか、地味なものでも上手に着こなすセンスの良さが見える。


「いや普通だと思ったけど……、今何時だ?」

「7時半だよ。アサギ君が起きてどっか行っちゃうといけないから急ごうって思ってて、そしたら両親も出るって言うから一緒にでてきちゃった」


「共働きか……大変だな。異世界むこうにいた頃はみんな朝全然起きなかったからな……アヤメもジーナも……ヒナは特に起きないし寝起き機嫌悪いしで苦労したな……。起こされるのなんて久々だ」

「そっか、みんなお寝坊さんだったんだね」

「アヤメなんか悪魔だから寝なくても平気とか何とか言う割にいつも朝になると大口開けてよだれ垂らして寝てんだぜ。あれは朝飯の準備したくないからだな、きっと」

「アヤメちゃんらしいね。ちょっとうらやましいな……。教会は時間にうるさかったから私はそれが染みついてるのかも」


 遠くの空を眺め、一昨日まで一緒だった仲間たちのことを想うと少し感傷的になる。

 アヤメ、ジーナ、そしてヒナはアサギが異世界で一緒に行動してきた仲間だ。4人は労働を交換条件に格安で宿泊できる宿「野ウサギと木漏れ日亭」を拠点にして冒険者として活動していた。

 咲はそこから離れた宗教都市「聖都」で協会に所属しており、二人は離れた土地で全く別の生活を送っていたのだが、ある事件を機に行動を共にするようになったのだった。

 今は現代こっちに転移か転生かしたらしいヒナを捜しに来ているのだ。


「ヒナちゃん早く見つかるといいね」

「ああ……」


 咲は本心からそう思うのだが口にすると心がきゅっと締め付けられる。見つかればそれは自分の幸せな時間が終わりを迎えるからだ。


「それで、こんな早くにどうしたんだ?」

「昨日の差し入れ全部食べちゃってるといけないと思って、朝ご飯持ってきたよ?」

「マジか……悪いな」

「いいのいいの。うちの残り物だから」


 昨日の差し入れはまだ少し残っていたが、せっかくなので咲が持ってきたほうを食べる。

 咲の持ってきた手提げを開け、まずおしぼりで手を拭く。

 小ぶりのお弁当箱の蓋を外すと丁寧に詰めた卵焼き、からあげ、炒め野菜にポテトサラダ。赤が鮮やかなミニトマトとデザートにスマイルカットのオレンジも入っている。2段になっており下の段にはのりたまふりかけのご飯が入っていた。

 色とりどりの具材に目はくぎ付けだ。


「すご……いただきます!」


 ほんの一瞬手を合わせ、すぐ箸を取りがっつく。


「そんなに急がなくてもお弁当は逃げないよ?」


 そう言っても勢いの止まらないアサギを見て咲はくすくすと笑う。


「……美味いから、さ。止まんなくて」


 笑われていることに気付きようやく顔を上げたアサギが口の中のものを飲み込んでから弁明する。


「ふふ、よかった。喜んでもらえて」


 照れながらも褒めてくれるのが嬉しい。残り物なんて真っ赤な嘘。出来合いのものもあるが残り物などではなくこのお弁当のためにわざわざ用意したものだった。

 照れ隠しに言ってしまったが、美味しそうに食べるその表情を見られたならそれは気付かれなくても報われるのだった。


「あ、ほっぺにご飯粒ついてるよ?」


 咲が自分の右頬を指さすとアサギは右の頬を触るが何もついていない。


「ふふ、逆~」


 咲は微笑みながらアサギの左頬に手を伸ばし米粒を摘まみ、自分の口に入れる。

 その唇が色っぽく見えてアサギの箸を持った手が止まり、咲の顔をを見つめたままぽっと顔が赤くなる。


「……」


「え、あ、やだ、私ったら……」


 アサギの反応を見て自分も赤くなってしまった。見られぬようにと咲は頬に両手を当て顔を逸らす。


「は、早く食べちゃお?私髪の毛梳かすね!」


「あぁ……」


 咲は携帯用の身支度セットを取り出してアサギの後ろに回り髪をブラッシングする。頭皮を刺激されて我に返ったアサギは気持ちよさに浸りたいが頭を揺らさないように気をつけながら残りの食事を口に入れていく。

 最後のひと口をじっくり味わう。


「ごちそうさまでした」


 今後は手のひらをしっかり合わせる。


「お粗末さまでした。こっちもこれで……よしっと」


 食べ終えたと同じタイミングで咲も動作を終えアサギの髪から手を離す

 。

「ちょっとぼさぼさだからポニーテールにまとめたよ、こっち向いて?」


「あぁ」


 胡坐をかいたままお尻を軸に真後ろにいる咲へ向き直る。


「うん、かわいい!ほら、見て!」


 花の咲いた笑顔で咲はアサギに折り畳みの卓上鏡を渡す。


「どれどれ……へぇ~」


 自分でもカワイイかも、とアサギは思った。女の子になってから日が浅く自分の顔もまだ見慣れないが、髪を下ろしていたときとまた印象が違う。より快活な感じだ。


「髪型一つで変わるんだな」


「うん!そのくらいの長さがあれば色々変えて遊べそうだよ」


 咲は自分の下ろしたままの髪に櫛を入れて毛先をまとめ右肩の前で一つに結わく。


「あとは服を買って替えたらバッチリだね。一応着替え持ってきたけど……、着替える?」

「いや、風呂入ってなくて汚いから、汚したら悪い。買い物行くならそれで着替えるよ」

「うん、わかった。それでね、買い物なんだけど駅前に最近ショッピングセンターができたんだって。オープンセールで安くなってるから行ってみたら?ってお母さんが」

「お、いいな。そしたら最初にそこ行くか」

「うん!」


 アサギは弁当箱を、咲はブラシと鏡をそれぞれ片付ける。

 段ボールと新聞はひとまとめにして見えにくい場所へ置き飛ばされないよう大きめの石をのせる。今夜もまた世話になるかもしれない。散らかっても迷惑だ。

 食料は置いていくわけにいかないのでは咲の持ってきたバッグに詰める。

 持つよ、と言うがいいからいいからと断られた。


 それから駅前に向け歩き、ゆっくり歩いても小一時間ほどで到着するため、適当にぶらぶら寄り道しながら向かう。そして駅に辿り着くころにはそびえたつ建物に圧倒されていた。


「でか……」

「大きいねぇ」


 文明の差か、異世界むこうでは見ないコンクリートの塊。

 1階と地下は食品、2階はコスメやアクセサリーで駅直結3,4階は服、雑貨。5階に本屋。6階になぜかクリニックや美容室やらが入りてっぺん7階はレストラン。

 案内を見ながら広さと内容に驚く。

 居住区こそないものの街が一つ入っているようなものだった。


 入り口に近づくと開店までまだ少しあるが建物の壁に沿って人が並んでいる。


「何の行列だ?」


「これに並ばないと入れないのかな?」


 年配の女性に声をかけ聞いてみると本屋で今日はサイン会とトークショーが催されるという。

 街に住んでいる若手の政治家が作家としても頭角を現しているのだとか。


「並んでみる?」

「いや……政治家も作家も興味ないしどーでもいいよ」

「それもそうだね」


 開店時間になっても微動だにしない列を横目に目当ての服売り場へ向かう。

 お互いに合わせてみながら服を選んでいくがかなり安いようだった。5割引きどころか7割、8割引きとどこで商売が成り立っているのか不思議な設定だ。


 これだけの特売にもかかわらず訪れる人の大半が行列に吸い込まれていくためかなり空いておりじっくり見て回ることができた。

 ひとまずアサギは黒のパーカーとジーンズ。絶対似合うから、とジーンズの上に膝丈に折ったスカートを合わせる。赤と黒のチェック柄。ちょっと恥ずかしいけど目立たない色にしたから許容範囲。

 咲は色違いの白いパーカー、ジーンズとスカートはパステルピンク。冬は脚出すと寒いもんね、といたずらっぽく笑う。


 会計は全く立ち会わさせてもらえなかった。至れり尽くせりで悪いと言うといいからいいからと流され話題も変えられてしまう。

 試着室を借りて買った服に着替える。


「えへへ。ペアコーデだね」


 心なしか頬を染めて言う咲。言われると意識して恥ずかしく顔が熱くなる。


「女の子同士だとこういうもの?」

「そうだよ」


 さらっと咲が答えるのであまり気にしないでおくことにする。


「ちょっと休憩しよっか」


 いつの間にか昼時だ。

 最上階のレストラン街に移動し大衆価格のイタリアンを選ぶ。

 滅多にお目に掛かれない料理の数々がリーズナブルに楽しめその上味は極上というオバケみたいなレストランチェーン。幼い頃に言った記憶があるが味までは覚えておらず、その味に舌鼓。


 お腹いっぱい食べ、食後のコーヒーとケーキを楽しんでいると館内放送が流れた。


「まもなく13時より5階書店にて作家で政治家の浅葱青一郎さんによる出版記念トークショー&サイン会が催されます!トークショーは無料で観覧いただけます。トークショー後にサイン会が開催されますが浅葱さんのご厚意で枠を増やしていただいたためまだ受付に若干の余裕がございます!まだ間に合いますので皆様どうぞお越しください!」


 熱のこもった放送だった。


「浅葱青一郎……」


唐突に見たくない現実を突きつけられる。


「ね、もしかして」


「ああ、親父だ」


 アサギの見える世界が色褪せ、まだ温かいコーヒーも甘いティラミスも全く味がしなくなった。

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