第二話 叶わない願いを抱えているなんて……

「遅くなってごめんね。なかなか話が終わらなくて――。差し入れ、持ってきたんだ」

「こんな遅くに……危ないだろ」


 咲だと気付かず警戒しまくっていた自分が恥ずかしく、アサギはつい非難するような口調になった。起き上がり咲の正面にあぐらをかく。


「まだ10時過ぎだよ。アサギ君寝るの早いから。あ、ちょっと怒ってる?」

「怒ってなんかない。誰か分かんなくてビビってたのがちょっと悔しいだけだ――。まくら真っ暗でやることないから、寝ちゃえば空腹も忘れられるなってスラムにいた頃を思い出して」

「あはは、逞しいね。でも寒いでしょ?あったかいの、もってきたから」

「……ありがとな」


 よいしょ、と咲はしゃがみ、ビニール袋を置く。もう一方の手から渡してきたのは見覚えのあるカップ麵だった。

 昔食べたことがあるロングセラー品で、7年経ってもパッケージは記憶の中のそれと変わってないように見える。


「ちょっと伸びちゃってるかも」

「平気」


 お腹を空かせた身には気にも止まらないこと。ふたを開けると香ばしいチキンベースの美味しそうな匂いが広がる。

 カップを一度置いて続いて渡された割り箸を割って準備完了。今すぐ頬張りたい気持ちを押さえてまずはスープを一啜りすると口の中に、喉に、食道に胃に順々沁みわたる。

 食べなくても平気と閉ざしていた心の要塞が匂いだけで開門してしまい一口で一気に崩壊した。もう降伏しかなかった。

「はぁー。なんだこれ……。半端なく美味しいな」


 思わずため息がでる。努めて冷静に言ったが記憶の味よりずっと美味しく内心は歓喜でパニックだった。工業的な加工品など存在しない世界にいたから整えられた味に体全体が驚いている。


「ね。すごくいい匂い。私も持ってくるときに匂い嗅いだだけでお腹空いてきちゃった」

「食べるか?」


 すっと、箸を中に刺したカップを差し出す。


「いいいいいいいい!わ、私晩御飯食べたから!」


 両手で全力で押し返してくる。


「それでね、コンビニってお湯もおいてあって、その場で入れてすぐカップ麵たべられるようになってるんだよ。すごいよね。あと、こうやってからあげtかコロッケもあるし、お菓子とか飲み物とか、聖都の商業区を全部ぎゅって詰め込んだみたいな品揃えなの!面白いから明日一緒に見に行こうよ。あ、袋もお金がかかるみたいだからもったいないから持っていかないとね。あ、アサギ君もその恰好じゃ寒いから着替えたいよね。お風呂も入りたいよね。近くにお風呂屋さんがあったっけ。服は一緒に買いに行きたいよね?なんとかお小遣い貰わなきゃだね、任せといて!それから「藤村」え?」


「何か言われたのか?」

 困ったように笑う咲。


「……なんにもないよ?」

「そ、か」


 変に饒舌すぎるから言ってはこないが何かあるのだろうとアサギは推測する。無理に聞くことはできない。

 麵をすすって言葉と一緒に呑み込む。

 手放しに歓迎ってわけではなかったか。まぁ、それが現実か。


「いいんだよ、気にしないで。アサギ君ほったらかして一人でぬくぬくしてたら罰が当たらいそうだから」


 冗談めかして笑う咲。まじまじと眺めても気まずくなるだけだとアサギも合わせて笑っておく。


「ところでその服は?」

「お母さんのを借りてきたの。昔の服はさすがに着れなくて、でも法衣ローブで出歩くのもちょっとね……変だよ、ね」


 語尾が聞き取れないくらい小さく、俯きながら言う。

 暗がりではっきり見えないが咲は着替えていた。見慣れた魔術師らしい法衣ローブからタートルネックセーターにロングスカート、足元の靴はヒールの無いぺったんこのものだ。靴下は白っぽく短いためふくらはぎが覗いていて少し寒そうに見える。

 現代のいでたちだが地味。だが無理に着飾らないところが咲らしいと感じる。


「悪くないんじゃないか?藤村っぽい」

「えっ!?本当!?」

「あ、ああ……」


 言ってからしまったと思った。咲がぱっと顔を上げたと思ったら見開いていた目と視線が合ってしまい、正直すぎて恥ずかしいとアサギは耐えられず顔を背ける。

 たぶん赤くなってる。顔から湯気が出そうなのはカップ麵があったかいからだけではない。見えないだろうけど見られたくない。


「えへへ、アサギ君に言われると嬉しいな」

そういう咲の周りには花が咲いているよう。


「どうせならもっとかわいいの着たいからやっぱり一緒に買いに行かなきゃだね!」

「いや、俺は別に……」

「だーめ、せっかく可愛いんだからもっと女子を磨かなきゃ!」


 よし、と両こぶしを握る咲に若干の不安を覚える。

 驚いたと思えば今度はにこにこ。現代に戻ってきてから咲の表情の変化が目まぐるしい。

 感情が豊かになったというか。こんなに明るい子だっけ?もっと控えめだった気がする。何かあったのだろうか。戻ってこれたことがそんなに嬉しかったのか。

 ずずっと啜った麺を噛みながらアサギは考えを巡らせるがその考えも話しかけられて中断する。。


「アサギ君はおうち行ってみた?」

「いや。家があるかも分かんねぇし、無かったり門前払いされてから野宿するのは堪えるから明日に先送りした。いきなり行った藤村はすげーよ」

 えへへ。と咲は照れ笑いする。


 橋の下、カップ麺を食べ終えたあとは懐中電灯の灯りだけを頼りに差し入れのお菓子を二人でつまみながら他愛の無いお喋りをする。甘いのとかしょっぱいのとか。チョイスはなかなかよかった。

 しゃがんでいては足が痛いだろうとアサギは自分が尻に敷いている段ボールの横に咲を招く。一度は遠慮した咲も姿勢が辛くなりおずおずと隣に腰を下ろした。

 両親には驚かれたが受け入れてもらえたと咲は言う。話し込んだ割にあっさ伝えてくるあたり何かあったとしか思えないが、それよりも思ったより近い咲から石鹼の香りがしていて話が上の空になってしまいなかなか頭に入ってこない。


 それでも私も一緒に野宿すると言いだしたのは驚いてさすがに止めた。

 なんだかんだ咲は箱入りお嬢だ。異世界むこうでも屋根のある暮らしをしてたし旅に出たのも数えるほどで、それも常に誰かと一緒だ。つまり、ある程度備えた環境でしか経験がないということ。

 ベッドの当てがあるのにわざわざ新聞紙と段ボールだけの寝床に泊まってもらうことはない。それに泊まるとなったら寒いからとくっつくことになり意識せざるを得ない。

 女の子同士だからと思っているのかもしれないがアサギの心は男のままだ。考えただけで気が気でない。


 そうは言えないのでせっかく帰ってきたのにコンビニ行くと言って朝帰りでは親御さんが気が気ではないだろうからと説得して帰ってもらった。セーフ。慎重なんだか無鉄砲なんだか。沈まれ心臓とアサギは祈る。と名残惜しそうに居座る咲を土手まで上がって見送りじゃあ、明日と何とか帰ってもらった。ふぅ、と一息つく。


 見送りに行ったらそのまま泊まれというだろうから心配だが止めておいた。騒ぎのもとだ。置いて行ってもらった懐中電灯で照らして食べ散らかしたゴミを片付け、寝床に戻る。貰った毛布代わりのバスタオル。ふわっと薫る石鹸の香りは咲と同じ匂いだ。これは服の匂いだったか。髪の毛からはもう少し爽やかなシトラス系の香りのしていたからお風呂も入ってきたんだな。バカ、結局一緒にいるみたいで寝れないじゃねーか。

 嬉しいようなはずかしいような感覚を覚えながらアサギは寝床に潜り込む。リラックスして話し込んだのがよかったのか、家族のこと、ヒナのこと、悶々と考えてしまうことから少し解放され、まぁどうにかなるかと考え切らないうちにドキドキも治まった頃眠りに落ちた。





 夜道を母に借りた自転車で走っていく。少し古ぼけていてペダルを漕ぐたびにきぃきぃと音を立てる。

「一緒にいたかったなぁ」

 咲からしてみれば今日会ったばかりの両親よりアサギと一緒にいるほうが落ち着くのだった。環境云々よりも、今この街でお互いのことを知るのはお互いしかいないのだ。

 異世界に転移したばかりの頃も寂しくてたまらなかったが、そこから少しづつ仲間や知り合いが増えて行ったがまた知る人がいない。知ってるけど知らない。転勤族だったアサギと違い先としては心細いのが先だった。

 そんなだから、アサギの話などとてもできる雰囲気ではなく何とか自分のお小遣い取り出して買ってきたのだった。

 明日になればずっと貯めておいたお年玉を下ろしてこよう、そしたら二人分の服くらい調達できるんじゃないか。

 アサギには心配をかけたくない。彼にとって大切な――自分にとっても親友のヒナのことを考えてあげて欲しかった。二人が結ばれるならそれ以上に自分が望むものはない。そう願うけれど――。


「もーやだ、切ないなぁ」


 自分の秘めた想いは叶わない。それでも今隣にいられることが幸せだった。

 こんな機会はもう訪れることはないから、積極的にいこうと咲は考えるのだった。

 ヒナは見つかるかどうかわからない。手がかりはゼロだ。

 見つかったら嬉しい。けど、見つからなかったらおいしい。正直見つからなくてもいいやというくらい思っている自分がいる。


「私って、最低だなー。もう」


 人も車もほとんど通らない夜道。街灯だけが咲の顔を照らしては離れていく。その頬に一雫の光が零れた。

 できる限りのことはやろう、少なくとも今は一緒にいられるのだから。 

 

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