第一章 ただいま現代

第一話 今夜のねぐらは橋の下なんて!

「寒い」


 さほど強くはないが北寄りの風は薄着の身に沁みる。

 日中に数時間だけとは言え晩秋に屋外で寝たもんだから体が冷えたか寒い寒いとアサギは震えていた。


 今晩の寝床をどうするか。と河川敷、橋の下に向かって堤防沿いを歩いている。こんな開けたところだから余計に寒いのか。トイレは途中の公園で済ませた。

 公衆便所はお世辞にも綺麗とは言えなかったが紙は備え付けがあったし異世界あっちでの並くらいだから気にはならなかった。女の子の体になってまだ日が浅いが用は難なく足せるようになっていた。

 今どきまだ「世露四苦」なんて書くやついたんだと個室の落書きを見て感心したり。


 どうやって家に帰るか――。段ボールを抱え歩きながら考える。いや、この姿で家に帰れるのか。そもそも家はあるのか。もともと親の都合で引越しばかりしていたのだから無いほうが普通だが――。

 まとわりついてくる弱気な思考を頭を振って遠ざける。仮に家があったとしよう。

 面影はあるだろうが7年も行方不明で女の子になった自分をどうやって息子の青磁だと理解してもらう?7年間も行方をくらませていた理由は?もともと子供のことに関心が薄くほったらかし気味だった両親に納得いくような説明できるのか。不安しかない。通報されるか門前払いか。それ以前に警備に止められるか。


 いずれにしても衣食住がままならなければヒナを探すどころではない。まずは誰かの庇護のもとに入るしかなさそうだ。

 7年前、スラムから始まった異世界生活だったが運よく盗賊の頭に目をかけてもらった、そのおかげで生き延びた。現代に戻ってまたホームレス生活に戻るのか。できなくはないが、できれば避けたい。


 森でのひと眠りから目を覚まし、咲と相談した。咲はひとまず家に行ってみるという。訳あって入院していた時に病院から抜け出しこの森に来たらあっちの世界に転移したのだから、ただ戻ってきたということで言ってみると。それでも6年経っているのだからただ事では済まないだろうけど。


「ダメで元々、でも、たぶんアサギ君よりは信じてもらえるんじゃないかな」


 舌をペロっとだしておどけたように咲は言った。性別は変わって無いもんな。

 一緒に行こうかとアサギは言ったが余計に混乱させそうだとなり咲一人で行くことにした。その間、アサギは近くに流れる川に架かっている橋の下をひとまずの寝床にしようと考えた。

 昔、浮浪者がねぐらにしているのを見たことがあった。段ボールハウスに住み空き缶拾いをし、みすぼらしかったが飄々としていてストレスはなさそうだった。もしかして快適なのかという淡い期待もしてしまう。

 なにかあったら橋の下に来てくれと咲に伝えしばしの別れ。それが夕焼けのまぶしい頃だったが、もう日はほとんど暮れて暗い。ようやく橋に辿り着いた。灯りになるものがあればよかったなと少し反省。寒さで頭がいっぱいだったから灯り的なもののことなんか考えつかなかった。もっとも、買いたくてもお金がないわけだが。

うっすら汗をかいたのがまた冷やされて寒い。 


 寒さしのぎのための段ボールは道中のドラッグストアやスーパーなんかでもらってきた。資源持ち去り禁止と張り紙があったがゴミ捨て場から状態よさそうな新聞紙も一束頂いてきた。

 

 夜の闇。橋の下はより光が届かない。上に出れば街灯でいくらか見えるだろうが何かしたいことがあるわけでもないので暗闇の中でよかった。変にうろついて人に見られるのも怪しまれる。灯りがあったら何事かと人が寄ってきかねない。


「まぁ段ボールや新聞やらを抱えて歩く少女は十分怪しいか」


 ぽつりとつぶやく。

 そこそこ大きな街だし、街にいたのは半年程なので角を曲がれば知り合いに会うということはなかった。ただ、もし万が一、例えば当時のクラスメイトなど浅葱青磁を知る誰かに出くわしたら無事に切り抜けられるのかと思うと遭わないほうがいい。そのため通ったら早いであろう大通りは避けて人の少ない道を選んで歩いた。その分だけ大周りになり時間がかかってしまったようだ。

 服装は皮のジャケットにシャツ、ひざ丈のハーフパンツにロングブーツだからぱっと見こっちでも違和感はそんなにないはず。法衣ローブなんかじゃ目立つだろうが、材質を細かく見られなければ似たような恰好をしている人はいる。それは救いだった。


 ねぐらの準備は暗がりでも手探りで何とかなった。襲われたりしたら明かりが欲しいが、その時は持ち前の逃げ足の早さで飛び出せばいい。盗賊を名乗っていたこともあるんだから。もともと争うより逃げるほうが得意だ。

 12月になろうとしている河川敷には人影が無い。堤防を歩いているときは、このまま誰にも見つからずに朝を迎えられたらいい。

 むき出しの地面に段ボールを重ねて敷き、その上に横になった。新聞紙をその上からかけて仕上げにもう一枚段ボール。靴も履いたまま猫のように丸まる。意外と温かい。

 毛布があればよかったけどそうそう落ちているものじゃないから贅沢言えない。隙間から冷たい空気が入ってくるけど許容範囲。

 寒い時期でよかったかもしれない、とも思う。夏だったら虫がうようよいるはずだ。一晩中蚊やらなんやらにうなされ続けては休めるものも休めない。

 今日は何も食べてなく空腹であったが、あっちの世界で旅に出ていれば一日中歩き詰めだし路銀や備蓄が無ければ食事抜きは当然だったから慣れっこだ。疲れていたのもあり、食料を求めうろつくほうが何倍も辛く感じたため止めにした。

 ……でもお風呂はちょっと入りたい。女の子の姿になって、髪が急に伸びて。手入れをしないと簡単に傷んでしまう髪に、意外とケアをしてあげたいと思う自分がいた。

 食欲より先に見の清潔さを気にするなんて空腹で頭に血が回ってないのかも。

 自嘲して笑える。


 心配ばかりしてもしょうがない、明日は家があったところへ行ってみよう。あとは図書館で情報収集もしないと。失敬した新聞で異世界あっちに入って丸7年経っていることは分かった。世の中の状況を知りたい。その上で今のところノーヒントなヒナ捜索の手立ても考えなくてはいけない。夜が明けたら行動開始だ。


 歩いてみて分かったのが、街並みはお店が幾つか変わって住宅が少し建て替えられている以外はあまり変わっていなかったということ。短い期間しか暮らしていないが懐かしい景色が広がった。

 この川の名前と橋の名前は何だったか思い出せないままにいる。看板を見ればよかったなどどうでもいいことを考えつつ大きなあくびが出る。意識が薄れ眠りに落ちていく。風が土手の雑草を撫でる音と川のせせらぎ、湿った土と川特有の何らかの生臭さを子守歌にして――。










 風音ではない、植物が潰される音に気付いた。草むらが何かに踏まれている。気配がゆっくり近づいてくる。

 アサギは目を開けた。誰か、もしくは何かがいる。天井――橋の底板の先に見える空はまだ暗い。どうやら時間はそこまで経っていないようだ。伸びの一つでもしたかったが、何かにじっと見られている。不用意に動かずじっとする。寝ているふりをして様子をみたい。


 一歩、一歩と近寄ってくる。見つかったのか。物取りか?警察か?野良犬……の気配ではないと思う。人間の息遣い。小さな明かりに照らされた。懐中電灯か。女と見えて悪戯目的か?やめてくれ。男とやり合う趣味はない。

 近づく足音、速くなる自分の鼓動。変に応戦して加害者になった日には目も当てられない。いや、刑務所に入れば衣食住は満たされると聞いたことがある。むしろいいのか。

 いやいや、それではヒナが探せない。本末転倒。

 どうする?どうでる?考えを巡らせていると気配は更に近づいた。


 真後ろに立たれたと思ったらしゃがみこんだ。起きているのがバレないよう目を閉じる。

 顔を照らされる。目を閉じていても光を感じ眩しい。冷や汗が吹き出し背中を濡らす。

 何も言わない、何も動かない。おかしい。声をかけるなり体をまさぐるなりしてきてもいいのに。って、されたいわけじゃないぞ。考えちゃっただけだ。

 心臓の音が早まる。くそっ、なんなんだよ。心の中で悪態をつく。


 いっそこっちから動くか。じっと待っているにもほどがある。

 もういいやとアサギはしびれを切らすと、まずは相手を確かめるべく目を開けて首を後ろに捻る――。



 ぷに。

 頬に指がささった。


「ふふふ。起きた?」


 気配の正体は咲だった。

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