第3話 開花した金木犀と......

 期待しながらイネが家に戻ると、窓からの日差しを浴びて眩しいほどに、テーブルの金木犀も開花していた。


「嬉しいね、お仲間さん達と一緒に開花してくれたんだね」


 顔をほころばせて喜ぶイネ。

 買い物した食品を冷蔵庫に入れ終えてから、改めてその金木犀に見入っていた時、


「ここから見ると、キレイだね!」


 高音だが耳障りではない可愛らしい声が聴こえて来て、驚いたイネ。


「あらまあ、いつの間に、可愛いお客さんが来てくれたのかね?」


 イネの家は、日中は鍵をかけていない。

 耳が遠いイネは、てっきり来客がベルを鳴らしたり、ドアを開けた音に気付けずにいたのだと思った。


「今、来たわけじゃなくて、私、もっと前から、ここにいたのよ」


 4、5歳くらいの女の子はクスクスと笑っていた。


「そうかい。金木犀がちょうど咲いた時だから、タイミング良かったね」


 女の子の言葉を話半分に聞いていたイネ。

 

「おばあちゃんは、金木犀が好きなのね?」


「大好きだよ。私はずっと金木犀に元気を沢山もらって来たからね。とても感謝しているんだよ」


 イネは、金木犀が大好きな気持ちを女の子と共感し合えたら、と思った。


「私達も、おばあちゃんには、いつも感謝しているの。私達、頑張って花を開かせても、喜んでくれる人はどんどん少なくなっていって、寂しかったから。でも、おばあちゃんだけは変わらずに、いつだって咲くのを見に来て喜んでくれたね」


 第一声から違和感が有ったが、女の子が口を開く度に、イネが抱いていた疑問が確信を帯びてきた。


「お嬢さん、もしかして、金木犀の妖精なのかい?まさかと思うがね、こうして、女の子に変身して逢いに来てくれたのかい?」


「ご名答!私達、おばあちゃんが見に来てくれて、ずっと嬉しかったの!いつも喜んでくれるから、私達はもう老樹になってしまったけど、おばあちゃんが見に来てくれる限り、頑張って花咲かせようって支え合って生きて来たの」


 自分で言い当てておきながら、まだ現実で、こんな不思議な出来事が起こっているのが信じられないイネ。


「そうだったんだね。あの金木犀も、私と同じく、長い間生きて来たんだね」


「中には、もう誰からも喜んでもらえなくなった金木犀もいるのよ。そういう金木犀はね、どんなに若くても、もう花を咲かせ無くなってしまうの。私達は、人間の心にとても敏感なの。花の季節は短いけど、その時期だけでも、人間達と寄り添い合いたいと願いながら、ずっと生きているの」


 年を取る毎に、普段から涙もろくなっていたイネだが、女の子の話に、すっかり涙腺が緩み、暖かい涙がその頬を伝っていった。


「金木犀は、そんな風に願っていたんだね。それで、あの時期になると、みんな一斉に咲き出して、人々を癒してくれていたんだね。でもね、お嬢さん、例え、見に行く人がいなくなっても、頑張って花咲かせたその甘い香りは、風に乗ってずっと遠くまで届いて、皆が癒されているんだよ」


「そうなの?」


「本当さ!沢山の人達が、この時期を楽しみに待っていて、その香りが届くと心を躍らせているんだよ。だから、お嬢さん、自信をお持ち!」


 イネは自分の言葉で、老樹になった金木犀が、翌年以降もまた人々を癒す為に開花してくれるであろう事を願った。


「うん、また来年も仲間達には頑張ってもらうよ」


 仲間達には......という自分を省いたような言葉が気になったイネ。


「それなら、お嬢さんはどうするつもりだい?」


 ふと、テーブルに置かれた開花した金木犀に目を送ったイネ。


「私はね......おばあちゃんによって、助けられた命なの。二度咲きで用済みのまま、落ちて朽ちる運命だと諦めていた。でも、おばあちゃんが見付けて、お世話してくれたから、また花を咲かせる事が出来たの!ありがとう、おばあちゃん!でもね、残念ながら、私はもう今回限りなの」


 哀しそうな顔をしたり、嬉しそうな顔をしたり、寂しそうな顔をしたり忙しく顔の表情が変わる女の子。


「そうだったんだね。こうしてキレイに咲いてくれて、私だけを楽しませてくれてありがとう、お嬢さん。この後は、どうなるんだい?」


「今まで、私達は人間を一方的に癒していたと思い込んでいた。私達の役目を人間達は当然のように受け止めて、誰も感謝なんてしてくれなかった。だから、私を含め私の仲間達は、人間に対して、あまり良い印象は無かったの。でも、それは勘違いだった事に、おばあちゃんは気付かせてくれたの!」


 一呼吸おいてから、興奮気味に女の子は続けた。


「ちゃんと私達の事を感謝してくれたり、こんなダメになりかけた私の命さえも助けてくれる人間がいてくれるんだって、初めて知ったの!私達がこうして生きていけるのは、待ち望んでくれていたり、感謝してくれる人間がどこかにいてくれるから!人間達のその気持ちこそが、私達が芳しく開花出来るエネルギー源だって、初めて気付けたの!」


 泣き笑いしながら嬉しそうに話す女の子の様子に、イネの心もほころんだ。


「そうかい、そうかい。それは良かった。私にも、金木犀に喜んでもらえるような良い事が出来たんだね」


「おばあちゃんみたいな人間が大好きになったから、私、今度は、人間に生まれ変わるって決めたの!そして、生まれ変わったおばあちゃんと出逢うわ!」


 またそんな夢物語のような事を......と信じられない様子のイネだったが、女の子の気持ちを喜ばしく感じていた。


「私も今度生まれ変わったら、お嬢ちゃんと一緒にいたいけど、そんなに望み通り上手く行くかね?」


 前世の記憶は無いが、自分がこの現世を望んで生まれたようには到底思えない、波乱万丈だった人生を振り返るイネ。

 この女の子は、今は、金木犀から、このような姿に変身出来る能力が有るとしても、多分、こんな魔法は長く続かず、花が終わる頃には、いなくなるのだと漠然と感じていた。

 だから、女の子の来世についての希望など、叶えてもらえようはずなど無いと思っていたのだが......


「こんな事を言っても、おばあちゃんに信じてもらえないかな?人間の行動次第で、私たちは伐採されたり、朽ち果てる事も有るけど......実はね、植物は、人間よりもレベルがずっと上なの!だから、逆のパターンは難しいけど、植物が人間に生まれ変わるのを望んだ時には、とても容易に叶えられるのよ!」


 イネには到底信じられないような事をサラッと言った女の子。


「植物の方が、人間よりずっと上って......そりゃあ、本当かい?」


「やっぱり、信じられないよね。まあ、生まれ変わってからのお楽しみとして、取っておいて!」


 女の子は小指をイネの小指と指切りした。


「何だか、お嬢ちゃんのおかげで、死ぬのが怖くなくなったよ。むしろ、今は、楽しみに感じられている」


「私も、いつも花が落ちるのが切なかったけど、今回は楽しみにしているの。それはね、おばあちゃんとの再会が近付くからなのよ!」


 女の子は、まだ咲いて間もない金木犀に見入った。


「そうだね、再会出来るというなら楽しみだね。そうそう、私には、1つだけ叶えて欲しい事が有るんだよ。お嬢ちゃんなら、叶えてくれるかい?」


 女の子の言っていたように、もしも、植物の方が人間よりもレベルが上だというのなら、叶えられない事は無いだろうと思ったイネ。


「なあに?言ってみて、おばあちゃん」


「この大好きな金木犀が咲いている時に、この大好きな香りに包まれながら、私をこの世から去らせてもらえないかい?」


 イネの願いに驚いた女の子。


「本当に......?それでいいなら出来るわ。私が使える魔法は、金木犀の花が咲いている期間だけなの。だから、おばあちゃんの都合の良いタイミングでそうしてあげられるわ」


 それ以外の期間だったら、さすがに女の子にもイネの希望を叶える事は不可能だった。

 イネの希望の期間と、魔法の使える期間が、ちょうど一致している事に安堵した女の子。


「今すぐは、もったいないねぇ。これから、どんどん金木犀が開花して一番いい時を迎えるからね。かといって、満開になってしばらくすると、花は咲いたままでも香りが薄れてしまう。やっぱり、満開になった時がいいね」


「うん、それなら、私も、おばあちゃんに一つ一つの全てのお花が頑張っているところを見てもらえて嬉しいし、一番力も強い時だから、楽に叶えてあげられるわ!」


 女の子もちょうど希望通りな事を告げ、安心してイネに最期を迎えてもらおうと、満面の笑みを浮かべた。


 それからというもの、女の子は、大好きになった初めての人間であるイネをいかに苦しませずに旅立たせるか模索した。

 自分の本領を発揮出来る金木犀の満開時に、イネを一番幸せな状態で看取る事が出来るようにと。

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