第10話 花のピアス
1 運命の日の昼
あの日―。北山 久理子を名乗っていた町田 里香が山森 佳湖からもらったピアスを見て涙ぐんだあの日。
佐々木 保治とともにやってきたのは田村 信子、山森 佳湖の高校時代の親友だ。
かなり憔悴しきっているようだ。初対面でもその心痛な印象は受ける。たぶん、これが旧知の者の死を悼む本来の姿だろう。
それに加えるように、見ず知らずの、たかだか、いち教師に山森 佳湖について話す道理が解らない。だが、警察に心情を言ったところで聞いてもらえないのも事実で、つらく悲しい日々を送っていたところに、ヤスジから話があったのだ。
金田先生は、警察と知り合いらしいし、話を聞いてくれる唯一の人だ。だがそれで信子が動いたわけじゃなかった。
「金田 一華」という名前に引っかかったのだ。その名前はカコから聞いていた楽しい学校の話の一つだったのだ。
2 田村 信子
入学式を終えたらしいカコから、どうしても会って話したいと言われ、信子はバイト終わりでファミレスに向かった。
信子は高卒で就職をしようとしたが、不況のあおりを受け内定が決まれず、コンビニでバイトを続けることになった。コンビニで働くのは嫌ではなかったし、そのコンビニは他店に比べて働きやすかった。このままここに就職でもいいかもしれないとさえ思っていた。
それでも、仕事をしている信子と、学生気分のまま、まだぬるく居られるカコとでは多少温度が違う気がした。
それでも親友に会いに行った。どうせ、愚痴を聞いたにせよ、楽しい話を聞いたにせよ、行かずに疎遠になるよりはいいだろうと判断してだった。
カコは仕事上がりで疲れているところをごめん。と謝った。それは本心であり、うわべの謝罪ではないことは解った。だったら、呼ばないで。と喉の奥に引っかかった言葉を押しやるために、出された水を口に含んだ。
カコは常に割り勘主義で、先にテーブルに千円を置いて食事を決める。今回もその千円が腹立たしげにこちらを見ていた。
「明日から、節約するために、頑張るの」
と、カコは千円を見つめてほほ笑んだ。
節約をするに越したことはないだろうが、カコの家がそれほど貧しいとは聞いていないし、大変な状況だとも思っていなかったので、その言葉に首をひねった。
「バイト始めるの。……好きな人ができたから」
なるほど、安易な。と思ったが、カコの容姿からは想像できないほど、カコはいまだかつて恋愛をしてきていない。カコほどかわいくもない信子でさえ、初恋や、ほんの少しの間恋人ごっこをしたことはある。だが、カコは、
「私、人を好きになれない病気かも。まったく、何も起こらないの。あ、ノブちゃんは違うよ。大好きだよ。親友だもの。そうじゃなくて、漫画とかで見るような、あんな感じ……解る?」
と言った、悲しげな眼とは違い、今のカコはキラキラしていた。
「その話の前にね、推理小説好きなノブちゃんのために面白いもの見せてあげる。
まぁ、それだから、無理言って会ってもらってるんだけど」
そう言って紙に書いた文字を見せた。
「金田一 華? 人の名前? だよね?」
カコはにこにこ笑いながら大きく頷き、
「先生の名前なの。ノブちゃん気になるだろうから、この先生の授業取ろうと思ってるんだ。
でもね、これ、金田一って読まないの」
信子が首を傾げた時、二人が頼んだハンバークステーキが届いた。
ジュージューと豪快な音を立てているハンバーグを見て、二人同時に腹がなり、顔を見合わせて笑う。
二人はハンバーグをフォークにさして、「進学おめでとう」「これからもいい友達で」と乾杯をして口に入れた。
ほおばった肉の甘い汁が口いっぱいに広がり、二人は同じ顔で微笑みあった。
「でね、これ、入学式にもらったパンフレットを見ながら、まぁ入学式を聞いてたのね、どこも同じだけど、話し長くて。
そしたら、後ろに座った子たちが、「金田一 華だって。華って感じの先生居なくね? って話してて、先生たちが座ってる方を見たけど、確かに居ないのよ。
華ってさぁ、ちょっと、かわいいとか、美人のイメージじゃない、居なくてさぁ。
そしたら、先生紹介があって、学部部門で先生が起立していくのよ。
その先生は歴史学部だったんで、早めに呼ばれたんだけど、呼んだ先生が、また、欠席ですか、ったく。とかって、マイクに入る小言いうの。すごいよね、入学式欠席するなんて。
でもそれ以上に、驚いたのは、金田一だとみんな思っていたのにそれが、「金田 一華」っていう名前だってこと。
確かに、よく見たら、金田でスペース空いてるけど、みんな、文字の並びから「金田一」って読んだんだろうね。そしたら、クスクス笑い声が出てきて。それも毎年のことらしくって、司会をしている先生が、例年、金田先生で笑うので、先に進めます。って、面白くって」
と話した顔は本当に面白かったのだろう。想像しただけでもわかる。静まり返った厳粛たる場で、「金田一」であろう珍しい苗字の「華」という先生が欠席をし、それが毎年のことであるらしいことも、「金田一」ではなく「金田」だったという事実も、厳粛であるが故面白くなったのだろう。
「それで、その金田先生って?」
「風変わりな先生らしくって、暇なときには、食堂から出られる中庭のテーブルで編み物してるって。すごい先生らしいけど、先生でいることがあまり好きじゃないって。
テストに重きを置かず、レポートや、論文の提出をしっかりしていれば、推薦状を書いてくれるって言ってた」
「へぇ、すごいね。そんな先生居るんだね。でも、あんた社会科嫌いじゃなかった? 特に歴史」
「うん、嫌い。でも、面白いなぁって、その名前にひかれて。そしたらね、」
まるで光り輝く中に居るような気がした。後光が差しているとかではない。カコすべてが光の塊のようだったのだ。
光に包まれているカコはうっとりとした顔をして、
「彼女がいたの」
と言った。
信子は聞き違いをしたのかとすぐには反応できずにいた。
「ごめん、なんて?」
「うん。やっぱりそうだよね。私だって、そうだもの」
カコはそう言って少し悲しそうな顔をした。
「私言ったじゃない、人を好きになれない体質かもって。そういう病気かもって。でも違うんだろうなぁっとずっと思ってたの。人を好きになれないというか、男の人が嫌いなの。ずっと。
小さいころから、なんかよく解らないけど、近所のおじさんとかから可愛がられてたの。でも、そのおじさんの子供は面白くないよね。だって、自分じゃなくて他所の子をかわいがるんだから。そのうち、そこのおばさんからも嫌われるようになって、
保育園、小学校、中学、すべてそう。男子や、男の先生、みんなに好かれれば好かれるほど、女子の反感を買うの。
それが嫌で、嫌で仕方なかった時から、痴漢や、変質者とか、とにかくいろんな災いが降りかかってきて、耐えられなくなって。
そんな時、ノブちゃんがいてくれたから、高校はなんとか行けたの。本当に感謝だよ。だから、私の初恋はノブちゃんなの。気持ち悪いとは思うけど。
でも、ノブちゃんは、好きな人が男性だし、私の方を向いて欲しいって欲はなかったの。側に居てくれたらそれでよかったから。
でも、彼女は違うの。
凛としててね、大人でね。私ね、慌ててて、荷物ぶちまけちゃったの。そしたらそれを拾ってくれたの。慌てなくても大丈夫よ。って言ってくれて。
そしたら、もう、その人しか見えてなくてね。ああ、彼女と知り合いたい。彼女は何が好きなんだろうって思ったら、もう、居てもたってもいられなくなったの」
カコの言葉に信子は一瞬身を引いたが、少しして肩の力を緩め、
「よかったね。好きな人ができて。応援する。……まぁ、私が、カコの中で一番じゃなくなるのはちょっと寂しいけど」
と言った。それは本心だ。同性愛というもので片付けられない親友としての寂しさだ。今までは、カコの中心は信子であり、信子の中心もまた親友カコだった。それが、カコの中心は別に変り、信子の中心もまた変わるだろう。現に、バイトが中心となっていっているからこそ、学生であるカコと会いたくなかったわけだから。
カコが引っ越しをきめたとG.W前に知らせがあった。
いい物件だと思っていたアパートは信子も内覧に行き、家族のように商談場所に居た。だが、少し大学に近づくだけの場所に新たに借りなおしたことについて、両親には隣人がうるさくていられなくなった。と言い、不動産屋にはストーカーによる被害から逃れるためだと言った。
だが本当は、好きな相手がいるアパートの近所で部屋が見つかったからだ。
「それって、ストーカーじゃない」
と言ったが、カコは口をとがらせ、
「解ってる。自分がされたら気持ち悪いもん。でも、どうせ叶わないなら、学校生活の間だけでも近くに居たいから」
そういうカコをけなげだと思ったし、そこまで思われている相手に嫉妬しないでもなかった。ただ、少し気持ち悪さも感じていた。何せ、相手は同じ女性なのだから。もし、カコの気持ちを相手が知ったら拒絶されるのではないだろうか? そのせいで、カコがどうにかなるかもしれない。
「大丈夫。叶えようとは思ってないんだ。だって、向こうは普通の女性だから」
カコの切なくて悲しげな眼に意地悪を言ったことを後悔した。
「だから、極力応援をしたんです。クリスマスやバレンタインなんてイベントに意味深なものを上げると、感づかれるかもしれない。その前に、仮の友達にプレゼントしたら喜んだんですよ。って、誕生日や、何もない日にプレゼントを送ればいいとか、高価すぎると重くなるから、似合いそうとか、仲間内で流行っているとか、相手に負担をかけない何かにした方がいいとか、いろんな、そういう人たちのサイト見て、いろいろ研究して、でも、」
信子は顔を覆った。
ヤスジは唖然として信子を見下ろしていた。山森 佳湖が好きだった相手は女で、その女の側に居たいからと引っ越していたなんて知らなかったのだ。
「カコは振られたって、その人を思う時間をくれてありがたいって思う子だから、自殺なんてしないです。それに、友達としてでも、プレゼントは受け取ってもらえたからうれしいって。
でも、私、……その人を見たけれど、なんか怖かったんです。なんか……解らないけど」
信子の言葉に一華は頷き、ボックスティッシュを差し出した。
信子がひとしきり泣いて、落ち着くまで一華は待った。
静かな時間がゆっくりと流れる。ヤスジはこの沈黙が重すぎて、一華と信子を交互に見ていた。
「プレゼント、なんだった?」
「花の、ピアスです」
一華は静かに目を閉じた。
「あの日、彼女が亡くなった日に連絡とっていた?」
信子は大きく頷いた。
3 山森 佳湖
ある日突然、玖理子さんから電話が来た。
「今度、ボランティアのワークショップで小学生対象の防災マップ作りをしようと思うんだけどどう思う? ただ、街をぶらぶら歩いて、ここ危険とかって言っても、小学生はつまらないと思うから、ウォークラリーをしようと思ってんだよね。
ただし、町の中を歩かせるから、付き添いが必要なんだけど、その下見を兼ねて、候補としていくつかあるんで手伝ってほしいのよ。
地図を送付したから、A、B、Cコースを歩いて危険がないかチェックしてほしい。私は、E、F、Gコースを行くから、ほかの人にも頼んでて、忙しいと思うけど、よろしくお願いするわ。
9時スタートして、たぶん、三コース回ったら、Cコースの途中で、—町―番地の倉庫街の一角、棚橋ビルの近くを通ると思うの。そこでいったん落ち合って、近くに海が見えるカフェでランチしない? そこって結構穴場らしくって昼でも空いてるって話だから」
気分は最高潮に達していた。何せ、玖理子さんの声が電話から聞こえてくるのだから。玖理子さんは要件を言うと、「ごめんね、忙しいのに」と気遣って電話を切ってくれた。
送られてきていた地図には、いろんなルートがあって、たしかにCルートと、久理子さんが下見しているFコースの途中にカフェがあった。
「久理子さんのコース、めっちゃ遠い。もしかしたら、私に短いコースを言って、自分は長いコースを歩いてるんじゃないかしら」
そう思ったら、玖理子さんのやさしさに胸が熱くなり、「やっぱり、好き」という思いでいっぱいになった。
翌日。学校集合して五人で手分けして歩くことになっていて、もう既にほかの三人は向かったのだと言われた。
「集合時間、遅れました?」
というと、玖理子さんは首を振り、
「ほかの奴らってあれよ、いつも来ない奴ら。学校から帰るところを捕まえて指示出したの。かなりむっとしてたけど、一回でも手伝いなさいよ。じゃないと、先生に言うわよ。って脅して先に行かせたの。まぁ、見に行ってくれていると思うけどね」
と玖理子さんは苦笑いをした。
「山森さんはそんなことを言わなくても手伝ってくれると信じてたから」
「もちろんですっ。あ、でも、玖理子さんの道長くないですか?」
「言い出しっぺだしね。長いのはいいのだけど、山森さんの方は、車の往来が激しいから、もしかしたら却下になるかもだけど」
「そうですねぇ。でもできるだけ安全に気を付けていけるか見てきます」
「ありがとうね。あ、それから、道の感想はメモ書きで残してくれる? 地図を作る際、それを貼って、可視化するの。よくやるやつ」
「了解しました」
私はそう言って、玖理子さんと別れた。
Aコースは坂が多く、登ったり、下ったりを何度もするので、これは小学生には不向きだとメモを残した。
Bコースは、国道の道を歩く。歩道は広くて歩くには問題ないが、車の往来が激しい中、歩くのは、空気的にどうなのかとメモをする。
いよいよCコースを歩く。Cコースは国道から一本入っている。車の往来が少ないのは、保育所があったり、その先は自転車と歩行者しか通行できない行き止まりになっているのでこの道なら行けそうだった。
静かな道だった。本当に静かでここを小学生がにぎやかに歩くのを想像すると、それはそれで実現は難しいかもしれないと苦笑いが出る。
Cコースから少し歩くが、港近くに古そうな棚橋ビルというのがあった。
「あそこね、花火大会の穴場なんだって、知ってた?」
急に声をかけられびっくりして振り返ると、額から汗を流している玖理子さんが息を弾ませながらやってきた。
「は、走ってきたんですか?」
「うん、まぁ、山森さん待たすの悪いから」
そう言った玖理子さんの顔がまぶしくて、動悸が激しくて、どうにかなりそうだった。
近くにあるカフェは確かに客は少なかったが、料理はおいしかったし、絶景だった。きっと、すぐ人気店になるだろう。みんながこぞって写真を撮っていたから。
食事が終わると、「じゃぁ、今度は学校でね」そう言って、玖理子さんはコースへ戻っていった。
もう少し一緒に居たい。と思ったけれど、ウォークラリーを成功させる方が玖理子さんは喜ぶ。と気合を入れて歩き出した。
それから、一週間後。
服を買いたいのだと言った玖理子さんと買い物に行く。どう見てもデートをしに行くための服を選ぶ玖理子さんに胸がチクチク痛む。
私、今日、おそろいのマーガレットのピアスしてるんですよ。この前渡したピアスです。以前、シフォンのスカートがかわいいと言ってくれたから、履いてきたんですよ。その目に誰が映ってるんですか?
しょげている私を、疲れたんだと思った玖理子さんは、
「ごめんね、私ばかり浮かれて」
と謝罪した。それが余計につらくて、「生理中です」とうそをついた。
買い物は早々に終えて、なんてつまらない女なのかとかなりへこんだ。あれだけ、こちらを向いてくれなくても、両思いになれなくてもいいと言っていたのに。今では、どうにかしてこちらを向いてくれませんか? と思ってしまう。
夜7時。急に玖理子さんから電話がかかってきた。
「ごめん、忙しい? 忙しかったらいいんだけど、」
「どうしたんですか?」
心臓の音がやばい。相手に聞こえてしまうのではないかと、胸を押さえる。
「ちょっと会いたいなと思って。花火、買ったの。でも、相手がいなくて」
「あ、なるほど。行きます。部屋ですか?」
「違う……この前のカフェ覚えてる? そこの近く。棚橋ビルのところ。夜は、このビルのところだけしか灯がないんだよね。だから、花火やるにはいいかなって。うるさくないし、暗いしさ」
「なるほど、すぐに行きますね」
―会いたいって言われた。チョーうれしい。今から行ってくる。帰ったら、何があったかコクメイに書かなきゃ。幸せすぎる。やっぱり、好き。人気のないところで花火をしようって。もう、すべてが好き―
日記に書いた文字ににやけが止まらない。
急いで棚橋ビルを目指す。この前のウォークラリーの下準備が役に立った。Cコースを通れば10分で着く。走りたいけれど、体力も、そんなに早くも走れない。気が急いているから、足がもつれそうになる。
着いた時には10分以上かかったかもしれない。どうして速く走れないのか、自分の運動能力を呪った。
棚橋ビルだけ、灯がついていて、ぼわっとそこだけが浮かんで見えた。
ドキドキする。
棚橋ビルのそばに玖理子さんの姿はなかった。ビルの周りを見ようと、ビルから少し離れた時、屋上から玖理子さんが呼ぶ声がする。
「屋上? 入っていいのかな?」
と思いながらも、玖理子さんに会いたいからそのまま入り込んだ。冷たいコンクリートの階段だったが、そんなことまったく気にしなかった。
屋上に出る扉は空いていて、玖理子さんが笑顔で出迎えてくれた。
「すごいよ、周りが暗いから、星がよく見える」
と言って天を仰いだ。
本当に星がキラキラと揺らめいていた。
港近くの所為もあって、潮風が鼻につく。
静かで、何の音もしない。
「あれは、何座だ? あれが、オリオン座だっけ?」
玖理子さんに言われながら、空を仰いだまま移動する。
「危ないよ、そっち」
え? と顔を戻した瞬間、
私は
玖理子さんに
突き落とされた?
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