第5話 事件から三日後

1 高橋 恵

 山森 佳湖が亡くなった事件から三日が過ぎた。

 山森 佳湖のことは、自殺他殺の両方で捜査中だと、今朝のニュースでやっていた。まだ、断定されないらしい。

 なんでも、現場に在った下足痕と同じ靴が、見つかっていないらしく、それが他殺かもしれないという理由なのだとテレビで言っていた。

 だからと言って、自殺をしそうな気配は見られなかったと、インタビューを受けていた人が言っていた。

 高橋 メグミは息を吐いた。山森 佳湖のニュースを耳にすると思い出して、気分が悪くなる。

 不謹慎だと思うが、思った以上に後を引かず、普段の生活を過ごしている。それだけ、山森 佳湖カコとの距離があったのか。と、メグミは思う。ただ、今は合コンをしようという気になれないので、多少のダメージはあったようだ。

 この三日間に金田 一華の社会科の授業は無くなったおかげで、事件のことを考えなくてよかったのかもしれないが、三日ぶりに一華の姿を見た瞬間、あの準備室で警察官二人を前に座った緊張を思い出していた。

 一華は、メグミの前を通り過ぎ、何事もなくランチを運び、人が少ない場所に座って食べ始めた。

 (何よ、久しぶりに会ったんだから、あの時は大変だったねとか、あれから大丈夫? の一言ぐらいあってもいいじゃないの、それが教師の役目でしょ?)メグミの心に火が付き、心が動いた瞬間、はっと思いだした。大したことではないが、なぜだか思い出した。この、大したことないくせに瞬間湯沸かし器のように思い出したことほど重要だと感覚的に感じ、メグミは一華の前に座った。

 一華は急に目の前に座ったメグミに驚きながら、その顔を見つめ(はて? この子が誰だ?)と思い出していた。

「彼女もそうだったんですよ」

 メグミの切り出しに一華が眉を顰める。

「何のこと? というか、あなたは誰?」

 メグミは続けようと口を開いた口を閉じ、一華を見つめ、

「高橋 恵です……この前の、事件で、警察に、……授業も、とってますけど?」

 と不審そうに告げると、一華は数秒黙り、

「あ、あぁ……。すまない。私は記憶力が悪くてね。

 それで、何がどうだったのかしら?」

 一華の言葉にメグミは冷静さを取り戻し、思いついたことを一華に教えることが嫌になってきていたが、だからと言って、このまま自分だけに留めておくのは思い出したからこそ吐き出したい衝動もあって、いやそうな顔をしながら、

「先生と一緒だったんです。……と言っても、先生の場合は、私のこと忘れていたようですけど」

 と少し膨れた。

「私と一緒とはどういうこと? 」

 メグミは面倒くさそうな顔をしたが、こんなどうでもいいことを隠し持っておく方が余計に邪魔くさく思えて、嫌々そうに、

「だから、彼女、山森さんと合コンに行って、次の日学校で会った時、さっき先生がしたように―というか、先生は、私を覚えていなかっただけだけど、―彼女は、私の前をスルーしていったんです。その合コンで、いい人を紹介したのに。目の間を通ったのに何も言わなかったんですよ。

 上手くいったとか、無理だったとか、そういうこと、一言あってもよさそうじゃないですか。それが全くなかったんですよ」

 むかつきません? と問われたが、一華は黙って首をすくめただけだった。

 メグミはその時のことを思い出したのか、声が強くなってきた。

「だから、「なんで無視するの? 昨日はどうだったのよ?」って聞いたら、彼女、「私男の人好きじゃないのかもしれない」って。驚いて、だから、「何かされたの?」って聞いたら、「そういうことじゃなく、ただ、話しをしただけでもしんどくなって、すぐに帰った」って、もしかしたら、「そういう系で、今まで気づかなかったのかもしれない」って、「今、悩んでる」って、言ってたんですけど、あれは嘘ですよ。あんなにかわいい格好でキメていて、なんで男嫌いとか言えるのかしらね」

 メグミは言い終わって一華を見た。

 一華は首をすくめる。

「じゃぁ、仮に、山森さんはそんなに男好きでなかったとしたら?」

「はぁ? ありえないでしょう? あの顔ですよ?」

 メグミは首を振った。その自信ありげなジェスチャーは「みんなが同意する」と言っているようだった。

「仮の話しよ。山森さんじゃなくてもいいわ。あなたが誘った女子の一人が、せっかく男子から声をかけてもらったのに、話が合わなくて。と言ったとしたら、あなたは山森さんに怒っているように思う?」

「え? ……それは、」

 メグミは前のめりに否定していた体を少しだけ引いた。

「あなたが気分悪いのは、山森さんに合コン相手をすべて奪われ、それなのに、その誰にも興味がないと言った、その無神経さが腹が立っているのよ。それが証拠に、目の前を通り過ぎているだけで憤慨することになるのよ。

 他人が聞けば、えらく自意識過剰な反応だと思うけどね。皆が皆、あなたに注目しているわけではないのだから。

 そもそも、ただの顔見知りがあなたの前を素通りしても、その人の視線の先を追いかけて、誰かいたら、まぁ、食堂なら、空席を探しているなら、こちらを見ていないかもしれない。と思うだろう?

 そう思えなかったのは、あなたは、端っから山森さんに敵意があって、どんな言葉だろうと、山森さんを指摘する気だったから。

 ただ、山森さんが合コン相手と会わなかった理由として、ハンサム……イケメン?  じゃなかったとか、お金持ちじゃなかったとか、医者じゃなかった。とか言えば、あなたは山森さんを鼻で笑いそんな気持ち悪さは襲わなかったと思うわよ。

 あなたが思っていた通りの、尻軽な女であるならね。それなのに、山森さんはそんな反応をせず、彼らと合わなかったことに対して真面目に対応し、目の前で勝手に悩み、たぶん、合コンに行ったことを謝罪したんじゃない? 私の所為で、面白くなかったよね。と。

 そこでも、私はかわいいから、モテて当然じゃない。と言って欲しかったんじゃない? その返答こそがあなたが望んでいたもので、山森さんを合コンに誘わない言い訳にできたものを、ことごとく違うことを言う。

 人を操るのは難しいものだよ」

 一華の言葉にメグミは黙り込んだ。

 ―たぶん、その通りだろう―だが、メグミはそれを飲み込めなかった。飲み込んだら、自分の負けを意味しているようで、悔しいと感じた。

 山森 佳湖が想像以上にまともで、普通で、いい子だったことが腹立たしかった。かわいいくせに、どれほど得点高いんだ。と、無性に腹立たしかった。

 嫉妬したり、ねたんだりすることは醜い。だが、実際には、山森 佳湖に嫉妬し、ねたみ、ひがみ、その結果が、山森 佳湖を合コンに誘わず無視することにしたのだ。その幼稚な思考を口にした一華に怒りを覚える。

 だが、本当に、負けを認めて悔しいのか? 幼稚だと言われて腹立たしいのか? 多分……違う。本当は、それをすべて受け入れられない自分の器量の小ささに自分自身が苛立ち、悔しいのだ。誰かの所為にでもしていないとやっていられないのだ。それが、まだまだ自分は子供で、見た目だけ大人になっている。と認識できているだけに、つらいのだ。

 メグミは唇をぎゅっとかみしめた。

「なんで、……そんなことを言うんですか?」

 絞り出した言葉は、まだ、自分の殻を割れずにいる子供の言葉だった。「本当にそうだと思います」となぜ言えないのか、自分ではわからなかったが。

「別に、あなたをいじめているわけでも、忠告しているわけでもない。ただ、正しただけ。山森さんは、あなたが思うような軽薄な子ではなかったかもしれないとね。

 あなたが言うとおりに、軽薄な恋多き人なら、もっと他の死に方をしたんじゃないかと思っただけ。

 痴情のもつれで、……校舎内を包丁を持った人に追いかけまわされたり、路上で襲われたりとかね。なかなかの惨劇だが。

 だけど、そういう感じにならない? 昨今流行りの映画や、ニュースではそういう結果になってることが多いでしょ? 誰も、落下は、……無いよね?」

 一華の言葉にメグミはすぐには反応できなかったが、確かに、彼氏を取られた彼女が逆上したり、振り向いてもらえなかったストーカーが白昼の路上で襲ったりというニュースを目にする。付け狙ったり、家に忍び込んだり、そういう事件は多くあるけど、「飛び降りる」というのは、確かに聞かない。

「だから、山森さんが、あなたの言うような人ではない。と仮定した方が、結果と結びつく気がする。

 しかし、合コン相手の男子すべてにモテて、そのうえで、話しをしただけでしんどいとは、相当つまらない相手だったのかしら?

 そういう系だというのなら、なんで合コンに参加したんだろうかね?

 ……なんで持てる人と持てない人ができるんだろう……どうでもいいのだが。

 一様に、山森さんはかわいいという。写真でもそう見える。見映えがいい。

 そもそも、そういう系ってなんだ? ……セクシャルなことか? 

 だとするなら、なおさら、なんで合コンに参加した? 自分のセクシャル的な部分を再認識するために行ったのか? それとも、それは男性と付き合うことで克服できるものだと信じていて、参加したのか?

 そもそも、合コンて楽しいのか? 知らない相手と飲み食いして、楽しいか? あの教授どもと忘年会をするだけでも不愉快極まりないのだが。

 もしくは、高橋さん、あなたが強要した? あ、してない……だとするなら、あなたに義理立てをした? さもなければ、参加しなければ変な噂を立てられいじめられると考えたか?

 今日は少し寒いなぁ……。うん。寒い。

 だが、みんなの意見を聞く限りでは、あまり人からの評判などを気にするような人には思えないのだがね。

 なぜ参加したのだろう―。参加しなければ、人の男を取る女という不名誉な評判は立たなかったのに。これは、結果的にあり得ないIFだけども、そう考えずにいられないよね。

 IFの話しを始めたら、終わりが見えなくなるけれども。そう考えだすと楽しいからやめられないのだが。

 かわいい顔をして、男好きだと言われているのなら、服装を変える手段はあったはずだ。だが、変えたところでその評判は付きまとうだろうが……。

 そもそも、なんで、死ななきゃいけなかったのだろうかね?」

 一華は黙って腕組をして考え込んだ。

 一華の頭の中ではいくつもの言葉は整然とされているのかもしれないが、側で聞いていたメグミには返答の機会も、思考も追いつけなくなっていた。

 メグミは黙って食事を口に押し込み、「先に、失礼します」と告げて立ち上がったが、一華は食べずに机の一点を見つめ、まだ、

「山森さんがかわいいことが今回の事件の原因か? ストーカーの犯罪なのか? ストーカーだとして、そいつの目的は何だ?

 あたしがストーカーなら、」

 メグミは独り言をつぶやいている一華に首をすくめて眉をしかめてその場を立ち去った。

 何度か一華を振り返ったが、一華は相変わらず一点だけを見つめたままでいる。

 ―やっぱり、風変わりな先生だわ。関わりたくなかったんだけどなぁーと、歴史を専攻したことを後悔していた。

 一華は机を指で叩く。それは、一華の頭の中の相関図と連動しているようで、今はストーカー項目が点滅している。

「もし、私がストーカーだとすると、ストーキング対象を追い詰める……人気のないビルに? 監禁するなぁ。そうだ。監禁目的で、あのビルに行く。としよう。人気のないビルだ。さぞかしいい隠れ家になるだろう……なるか? あたしなら、家に監禁して、ずっと愛でるな。

 縛り上げて、言うことを聞かなければ、泣き脅しをし、怒鳴り、諭し、脅すだろうな。

 そうするだろうなぁ。ストーカーなら。

 人気のないビルに追い込む必要があるのか?」

 ストーカー項目から線が伸びていくが、目指す向こうにある「ビルからの飛び降り」に向かって線が続かない。

 一華は顔をゆがめ、黙り込んで、唸った。


「先生っ、先生ってば。一華先生っ」

 肩を叩かれて一華は意識を戻した。前に座っていたメグミはもういなくて、それ以前に、食堂の調理室にも人は居なくなり、食堂に居るのは、一華と、食堂の管理を任されているおばちゃんだけだった。

 一華の前には、食べられるのを待っている「おばちゃんスペシャル定食」がそのまま残っていた。

「考え込むのはいいですけど、もう、二時半です。片付けて、あたしも帰りたいんですけどね」

 おばちゃんの言葉に、一華は「あ」と短く答える。

「温めなおしているから、さっさと食べてくださいな。それで、今度はどんな論文を書くんです?」

「論文は……いただきます……書いてないですよ」

 一華は里芋が大きいやつと言って取った芋の煮っころがしを口いっぱいに放り込む。

「じゃぁ、例の事件? また、関わってるの?」

「……まぁ、不可抗力的に」

「じゃぁ、あのイケメン刑事さんも来るのね?」

 一華は苦笑しながら漬物をほおばる。

「私の考えではねぇ」

 おばちゃんは一華が話そうが、相槌を打とうが無関係に推理を披露し始めた。

「あの子は、殺されたのよ。まず間違いなく、男女の問題でしょうね。別れ話にショックを受けた。ってところですよ。

 さもなければ、浮気がばれたから殺されたとか、浮気した相手を問い詰めていて殺されたかだわね」

 おばちゃんの推理に、「事件の内容、どこまで知ってるんですか?」と聞くと、

「どこまでって、新聞で読んだ程度よ。雑居ビルで死んだって。飛び降りでしょう?  失恋したらそういう衝動に駆られるものよ。若い子って」

 おばちゃんはそう言って、一華が食べ終わった定食の盆を片付けに行った。

「でも、ほとんどの子が自殺をしそうにないっていうんですよ」

「人は見た目じゃわからないのよ。しそうじゃない人ほどする世の中だから」

「……そうですかねぇ」

「そうよ、一見毒も武器もなさそうな人ほど、やるときはするものよ」

「自殺でなければ、浮気相手に殺されたというのが可能性として高いですか?」

「そういうもんじゃないの? 若い子の事件て。好きだ、嫌いだってだけで大喧嘩できるものでしょう? 一華先生だって、そういうことあったでしょ?」

 一華は考えるふりをしたが、まったくないと首をすくめた。

「だって、それ以外でなんて、あまりにもかわいそうだわ」

「かわいそう?」

「だって、借金だとか、ゆすりとか、あるでしょ、そういうドラマ。なんか相手の弱みを握って、それの口封じとか。そういうのは、いい大人がドロドロしたものになって初めてやることであって、若くて、未来に希望しかない子たちはしちゃだめなのよ」

「なるほど、なかなか美化された思想で」

「あら、いいじゃない。あたしだって、生まれてすぐおばちゃんじゃなかったのよ。そういう頃もあったものよ。半年ぐらいで無くなったけど。でも、若い子は、そういう汚いことで悩まず、若いわねぇ。っていう、そういうことで悩んでいてほしいじゃない。そういう希望だけど」

「……確かに、テストや、進級、恋バナなんかで悩んで、一生分の不幸だって失恋経験しておいてくれる方が、確かに、かわいいですね」

「そうよ。若いうちから、不倫だの、犯罪などに悩まされるよりずっとかわいいわよ」

「確かに……ただ、こういうことを生徒たちに言うと、押し付けで、セクハラだって言われるんですけど、でも、本当に、煩わされることなく大人になってほしいですよね」

「大人になればいやでも煩わされるからね」

「……だからって、若い子たちの周りに犯罪がないわけじゃないから、難しいですね、大人として」

「だから、先生がいるんでしょ? 頑張って」

「大学の教師は、生活指導なんて面倒事引き受けませんよ。だって、もう大人ですからって、線引きしている生徒相手ですからね。こっちから見たらまだまだおむつ履いてますけど? って子でも、大人ですからって平気な顔をしてくるんですから、空回りですよ」

 二人して首をすくめた後、一華は食堂を出た。


2 新田 玲

 新田 レイは山森 佳湖カコの事件からこの三日—刑事から事情聴取を受けた後―ずっと気がかりで胸が苦しくなっていた。

 どう考えても、自分には動機があって目をつけられていると感じていた。

 ―なぜあの時、「香水がきつすぎるわ。ここはクラブとかそういったところじゃないのよ」。などと強い口調で言ってしまったのだろうか。「少しでいいから控えてくれるといいな」となぜ言えなかったのだろうか?

 答えは簡単だ。ああいうタイプの―つまり、派手で、遊んでいそうな人たちには強く出ないと足元を見られ、弱気でいくといじめられるからだ。

 いじめにかかわるのは嫌だ。加害者でも、被害者でもなく、傍観者として成長してきたから、当事者にはなりたくない。まるで綱渡りの上にいる気分だ。

そう、山脇 佳湖が苦手なのは、その綱渡りの感覚を思い出させるからだ。―この人は、私をいじめるであろうタイプの人だ―と感覚が叫んだのだ。だから、負けないように強く言ったのだ。

それなのに、山森 佳湖の香水は翌日ほのかに香るくらいになっていた。そして、

「このくらいなら、大丈夫? 私、バイトしてから大学にくるから、汗臭くて、もし、まだきつかったら言ってね」

 と言ってきた。とてもさわやかで優しい顔で。

 いい人だ。と思ったが、だけど、優しい顔をして、味方の顔をして人をいじめる人なんてたくさんいる。だから、関わらないように、遠ざけた。合わないように、目に入れないように距離をとった。


 なぜあの時「大丈夫。気を使わせてごめんね。過敏症なんだ」と言えなかったのだろうか……。


「後悔するくらいなら、後悔するかもしれないと思った時にやることだ」

 声にレイは反応して、あたりを探した。

 金田 一華が中庭で助手数名と何かをやっていた。たぶん、考古学で使う何かを片付けているようだが、三階からではよく見えない。

「あとでしようと思うから、事が大きくなるのだよ。今やりたまえ」

 という一華は花壇のへりに腰を掛けたままでいる。

「そういう先生も手伝ってくださいよ。重いんですよ、これ」

「知ってる。だから、君たちにやらせるんだよ」

 と理不尽なことを言っている。

 レイはそれを見ながら、「後悔するくらいなら―」という言葉が耳に残ってしまって頭を振った。だが、一度残った言葉はその日一日中耳鳴りのように繰り返されていく。


 放課後、レイはやっと一華の部屋、Z-16号室の戸を叩いた。

 この部屋は、ほかの教授たちと違い、わりと無味無臭だった。時々入れているコーヒーのかすかな残り香があるものの、たいして気にすることはなかった。

 一華は入ってきたレイを見つめている。レイが会釈をするが、一華の表情は変わらなかった。助手の小林君―彼は助手の中ではかなり有名だ。何せ、一華が「助手の小林君」と呼ぶので、学生のほとんどが名前を知っているはずだった―が、

「名前と、学年を言わないと、いや、言っても覚えていないと思うけど、確か、一年の新田さんだよね?」

 と助手の小林君に言われレイは頷く。

「事件の時、関係者として話を、聞かれた、一人です」

 というと、一華は「ああ」と納得したように部屋の中にあるかなり背の高いテーブルと、それに合わせて高い椅子―通称、会話のしにくい机―の方を指さした。

「助手の小林君は居ても平気? そう、じゃぁ、どうした? 結構顔色が悪いね」

 一華はそう言って助手の小林君が入れてくれたコーヒーをすすった。レイは助手の小林君に聞かれたので、オレンジジュースが届けられ、そのコップを手にしたが飲む気にはなれす、その小さな水面を見つめていた。

「支離滅裂でも大丈夫よ。私は国語の教師ではないから」

 と言ったことに口の端が少し緩む。別に文法など気にして話そうとしているわけではなかったが、ただ、思ったまま話すと、伝わるかどうか不明で、だが、現状自分の中身がそうなのだから、しようがないということを「支離滅裂」で許してくれるなら。と、レイは俯いていた顔を上げた。

「気にしてくれてありがとうって、言えば良かったと思っているんです」

「何を?」

「香水がきついって言って、翌日、量を加減してくれたこと。……彼女は、バイト帰りで、汗かいているから、香水をつけていたようで、……そんなこと知らないし。第一、ああいうタイプの人は、隙を見せるといじめてくるから、だから、何も言わなかったけど、……言っていたら、何か変わっていたと思いますか?」

「さぁ……まぁ、少なくても今のように悩みはしなかったでしょうね」

「ですよね」

 沈黙が頭をもたげレイは俯く。

 風が入ってきて、寒さを感じたのか、助手の小林君が窓を閉めた。

「彼女……えっと、山森さん? 彼女は、いじめをする人だったの?」

「さぁ?」

「さぁ? ……いじめてくるかもしれないって言ったでしょ?」

「そういう見た目。というか、そんな気がして。大体、派手な人は意地悪だから」

「そう(ずいぶんとひどい偏見だ)」

「でも、香水のこと気にしてくれたりしたから、違うのかもしれないけど、……でも、優しい顔していじめる人なんてたくさんいるから」

 一華は何も言わず首をすくめるだけにした。

「彼女だって本当はそうだったかもしれない。もし、私があそこで、「ありがとう、気にしてくれて」って言ったそばから、嘘に決まってるでしょって、香水つけるかもしれなかったし、」

「彼女は香水をつけた?」

「いいえ、全然、大丈夫なぐらいでした」

「……じゃぁ、違うんじゃないの?」

「解りません。死んじゃってもう居ないから……問いただすことできないから」

 一華は机の上に置いているレイの手に手を重ね、優しく、落ち着かせるように言う。

「無理して思い込まないように。彼女は、あなたが思うほど気にしてないと思うよ。もし、気にしていれば、しつこく聞いてくるでしょうよ。だけど、そうでもなさそうだし、節度を守って香水をつけてきてたのなら、逆に、周りに臭いと思われていたんだと反省して、注意してくれたと思って感謝しているかもしれないわよ」

「……そうでしょうか?」

「そりゃ、彼女じゃないから想像するしかないけれど、意地悪な人なら、更に香水をつけてくるだろうし、数人で寄ってたかってあなたを攻撃するでしょうよ。でもなかったのよね? まぁ、会話をしなかった点で、嫌われたんだと傷つけてしまった可能性はあるだろうけどね」

「あ……でも、怖かったから。いじめられるの」

 一華は首をすくめた。

 レイが過去、いじめに遭っていたかどうか解らないが、よほどいじめに関して恐怖を持っているようだ。そしてそれが彼女を、人を寄せ付けにくい人。にしているようだ。

 人が怖いから鎧をつける。しかしそれが他人から見たら武器に見える。その悪循環でコミュ障だと自称する人は多い。話してみればそんなことはなかった。ということがたくさんあるのは、鎧と武器に見えるのは恐怖心からくる幻影なのだろう。と、レイを見ながら一華は思った。


3 夕暮れZ-16号室

 一華は一人でZ-16号室の、支給されているパソコンに向き合っていた。最新モデルや、ゲーム特化のパソコンではないが、それでも、このパソコンで、掘り返した遺跡を構築3D化するには十分な能力のあるパソコンは、今日もスムーズに作業を後押ししてくれている。

 文字一個一個が整然と並べられていくと、内容はともかく見ていて面白くなる。これが、苦心して書いている論文でなければ、もっと気楽にこの配列をそろえたり、うまく組み合わせて遊んでいくのだが、いかんせん仕事なので、そんな悠長なことをしているわけにはいかない。さすがの一華も、クリスマス以降の、正月休みは休みたいのだ。

 (そういえば、この前ハロウィンが終わったばかりだというのに、もうクリスマスの話をしているのか)と周りに負けじと浮かれてきている自分に苦笑する。

 (最近のクリスマスは、いや、若かったころからか、恋人向けのイベントになっていたなぁ。私は無関係だけども、それにしたって、恋人がいないで寂しいクリスマスってのを、ぼっちクリスマスとかいうらしい。ぼっち、ぼっち、ひとりぼっちか。よくもまぁ、いろいろなことに名前を付けれるものだ。一人で迎えるただの25日じゃないか。ただではないな、給料日だ。今月も頑張った。今月のご褒美は何にしようか)

 一華は目では論文を、片方の頭を使いつつ書き、残りの少しのところで他愛もないことを考えていた。と思う。多少語弊が生じるにしても、でも確かに、ぼんやりと思っていたことが急に引っ掛かり、指が止まった。

「誰だったか、」(クリスマスに一人とかありえないから、集まろう。という話で盛り上がり、なぜ一人で過ごすことがいけないのか。と聞いたら、寂しいからだと至極まっとうな返事が返ってきた。ただ、その子は続けて、クリスマスに一人は嫌だけど、正月に家に帰るのは嫌だと言っていた。家に帰ると手伝わされるのが嫌だとか、確か、店をしている子だったはず……。クリスマスは一人が嫌なのに、正月は一人でいいとは、なんとも不思議なことを言う)

 一華はそう考えて頭の隅にくすぶったものを拾った。そもそもその小さなホコリのようなものが浮かんだから、思考中心となり、指が止まったのだ。


―山森 佳湖は、クリスマスをどうする気だったのだろう?―


 山森 佳湖は、確かに誰かに恋をしていたらしい。日記にもそう書いてあったし、そのためにバイトを増やしたとも証言していた。では、クリスマスはどうする気だったのだろうか?

 例えば1、告白をして振られたから自殺したのか?

 これはないか。現状自殺とは考えにくい。

 もし、告白するならば、イベントの最中で告白するだろうから、告白自体していないかもしれないが、告白をしたと仮定して、

 その2、告白して振られたが、相手に縋り付いたりストーカーにでもなったか? 突き飛ばされて誤って落ちたか?

 その3、そもそも彼女は告白はしていない。と仮定すると、相手は彼女の気持ちに気づいていない。その場合、犯人は誰だ?

 そもそもの話だが、あんな寂しい場所……人通りの少ない場所の、共同ビル。普段の利用者は、昼と夕方の休憩のみで、さしてそこを利用するものがいない場所だと聞いたが、そんな場所に、どういう相手となら行くだろう?

 単純に考えても、敵意あるものと向かう場所ではないだろう。少なくても、好意の気持ちがなければ行かないだろう。どのくらいの好意か? ……いや、好意もあるが、命令や、従わなければならない相手というのもあるな。我々のような教師に、何かしらの手伝いを頼まれたら、学生は嫌々ながらも従う。こんな場所で何するんですか? とか文句を言いながらも。その場合、教師側が山森さんに好意を抱いていると、言う可能性もある。

 結局恋愛がらみなのだろうか? 惚れた腫れたの末に殺されてしまうようなものは、私には起こらないだろうね。


 一華は止めていた手を再び動かし始めた。とりあえず、論文を終わらせてから、それから考えよう。また、何かしらのことを思いつくかもしれないから。


4 藤森 真琴

 一華が帰ろうと思い始めた17時近くになって、藤森 真琴マコトが随分と思いつめたような顔で入ってきた。

 椅子をすすめ、帰り支度をしている助手の小林君にコーヒーを頼み、それを二人ですすって、マコトは大きくため息をこぼした。

「何かあった?」

 一華がちらりとマコトを見て聞くと、マコトは首をすくめ、

「事情聴取の時に何を聞かれたのか、そういうの、すごく聞かれたんです。最初は、みんな興味津々で、すごく聞いてきたんですけど、そのうち、」

「聞かれなくなった?」

「聞かれないわけじゃないけど、……アンチがいるんです。ひどいやっかみですよ」

 と言って顔を上げた。

「アンチ?」

 頷いて、携帯を一華に差し出した。そこには彼女のSNS の画面が映ってあって、


『人から聞いた話をさも自分ごとに言うなんて、泥棒よりたちが悪い。それで注目されてうれしいか?』


 と書かれていた。

 一華は鼻を鳴らして苦笑する。

「こういうの、好きな奴いるねぇ。いつの時代も。本当に暇人だと思うわ。だが、それがこの学校の生徒ってのが嫌だねぇ」

「なんでうちの学校だってわかるんですか?」

「あなた、事情徴収されたのって、あちこちで言った? SNSで拡散した形跡はなさそうだから、学校でのみ話したとすると、聞いたのはうちの学生。ってことでしょう?」

 一華の言葉に納得したらしく、

「そうなると、誰だか見つけたくなる」

「やめろとは言わないが、案外近くにいる人かもしれないよ。それを知った後、平気でいられるかだけども。

 それよりも、この、人から聞いた話。だけども、具体的にどんな話だったか話せる?」

「話せるも何も、結構な噂ですよ」

「そのうわさは、いつごろからか解る?」

「いつ頃? ……さぁ、夏休みに入る前には十分広がってましたよ。だから、彼氏が要る子なんかは警戒していたし、夏休みに付き合ったりしたら、休み明けに山森さんにばれたら盗られるかもしれないとか。結構言ってましたよ」

「彼女の耳にも入ってた?」

「……たぶん、結構ひどい感じで言う子もいたので」

「本人の前で?」

「ええ、合コンの時に独り占めするような人だとか、すぐに人のものを取りたがるとか、」

「合コン……、合コンは流行ってんの? まだ、」

「流行ってるというか、日常的なものですよ。別に出会いを求めているとかじゃなくても開かれてて、親睦会とか、交流会が、合コンて名前に代わったって感じのものとかもあるし、」

「なるほどね、堅苦しくなくて参加しやすいってやつ?」

「たぶん、そういうので名前が変わるんだと思いますよ。でも、それに拒否反応を示す人もいるから、そういう人には、親睦会って言ってるみたいですけどね」

「あなたはどちらで誘われると生きやすい?」

「私ですか? ……交流会とかの方ですかね、合コンだとすごく軽そうで、親睦会となると、先輩とかうるさそうですから」

「なるほどね。

 ほかに、あぁ、山森さんに関するものじゃなくて、噂とか知らない? ほら、一応教師でしょ? 理事長の婆がうるさくてね、生徒の行動に目を光らせろって。自分ですりゃいいじゃないのさねぇ。一日椅子に座って転寝してるんだから。暇なのそっちだろうって話だけども、まぁ、今回の件で、あちこちで生徒の噂話とかがいろいろ問題になってるらしくってさ。あたしも面倒ながら一個ぐらい収集していかないと、会議でやんやと言われるわけよ」

「大変ですね。でも……そんなに知りませんけど」

 マコトはそう言いながらも、二つ、三つ噂話をした。


―ストーカー行為の末、警察沙汰を起こした人がいる。

 別れ話のもつれから刃物を取り出して近所を巻き込んだ騒動を起こした人がいる。

 経歴詐称している人がいる―


「でもあくまでも噂ですし、他所の大学とかでもあるらしいので、都市伝説的なモノでしょうけど」

 マコトはそう言って笑った。

「信じてない?」

 一華の言葉にマコトの顔から笑みが消える。

「何を、ですか?」

「噂話とか、全般に。本人に確認して真偽を確かめる? 鵜呑みにする?」

「噂話をうのみにする馬鹿だと言いたいんですか?」

「そう取れたのなら謝るけれど、うわさもね、聞いた相手が真剣話していたら、もっともらしく聞こえて、信じてしまうものでしょう? 相手が冗談ぶいた顔をしていれば、あぁ、嘘なんだ。と思える。あなたが聞いたいくつかの噂の出どころが、真剣な顔をしていたかどうか、そしてその顔から、あなたはそれを疑わなかったのなら、その相手を知りたいのよ。なぜ、そんな噂を広めたがるのか。実際、噂ではなく、真実だとすれば、……山森 佳湖は、人の彼氏を平気で奪い、もしかすると、彼女が被っていたストーカー被害とやらは、実際は彼女自身が原因かもしれない。そして、ストーカー化した相手は、別れ話がこじれた結果なのかもしれない。

 噂なのか、真実なのか、それが知りたいのよ。たぶん、あなたは相手の話を直では聞いていないと思う。会話の近くに居てそれを聞いた。半信半疑でも、話していた人の顔や、声色、雰囲気から、あなたはそれが真実だと思った。それはなぜ?

 相手がその当事者だから。

 なら、その当事者に聞けば、彼女がなぜ死んだのか、理由がわかるでしょう?」

「あ……ええ。ええ、そう、そうですね。はい……そうですね」

 マコトは自分が噂を信じただけで山森 佳湖を嫌っていたという短絡的嫌悪感を自覚したが、一華が続けた、話した相手の様相で信じ込まされただと言われ、罪悪感が少し減ったらしく、更なる減刑を求めるように続けた。

「時期は忘れましたけど、清水さんのグループ。―清水 樹里亜さん、わかりますか? 考古学とか、歴史に興味ないはずなのに授業をとっているのは、出席を稼ぐためだって、言っている人です。少し赤っぽく髪を染めてて、なんか、昔のヤンキーのような人です―あの人のグループが、山森 佳湖ってひどくない? って話していました。清水さんの彼氏を取ったらしいんです。でも、すぐに別れたとかで。清水さん、かなり文句を言っていました。

 あと、合コンに誰を誘うとか、誘わないって話をしていたのは、高橋さんです。―高橋 恵さん。学級委員長のような感じの人です。すぐに、なになにしましょうって雰囲気を出す人ですー。せっかく誘ったのに、独壇場とかありえないって言ってました」

 一華は頷いて話を聞いていた。感心するほど、藤森 真琴は自分の行動、特に噂を信じただけの思考行動について責任転嫁をしようと常に思っているのか、誰がいつどこで話していた。とわりと克明に覚えていた。それはつまり、彼女自身が人に流されやすく、自我を持っていないと気づいている彼女なりの処世術なのだろう。

 それを指摘させたり、叱責されていないから、という理由だけでそのままにしているようだが、そろそろ変えたいとも思っているようで、ひとしきり話した後、自分でもよくこれほどうわさ話に対して覚えているものだ。とでも思っている風な顔をした。

「非常に助かるよ。高橋さんも、清水さんも、あまり山森さんとのことを話してくれなくてね。まぁ、表面上は聞いたよ。合コンの話も、彼氏のことも。だけども、それを言いふらし仲間を集めていたとは知らなかったね。

 ……まぁ、女子なんてそういう生き物だから、考えつかないわけじゃないけども……でも、」

 一華は黙って腕を組み天井を見上げた。

「でも、それだけで死ぬ理由には乏しい気がするのよね。もっと他にあるはずなのよ。自殺にしろ、他殺にしろ、ガツンとなるような。何か……それは噂は出てない?」

「……そう、いうのは、ない、です」

「そうかぁ。そろそろ誰かが面白おかしく言い出すころなんだけどね。憶測とか、推理とかさ。聞いてないか」

 一華は眉をひそめため息をついた。

「…………探って、来ましょうか?」

「本当! 頼める? いやぁ、助手の小林君に頼もうかと思ったが、彼は、人の話を聞かない子だからねぇ」

「そうですね」

「あなたのように情報収集をしてくれると、非常に助かるよ」

 一華の言葉にマコトの顔色がさっと赤くなった。血色よくなった顔は徐々に輝いてきて、

「じゃぁ、何か聞いたらすぐきます」

「よろしくお願いするね。あぁ、山森さんのことじゃなくてもいい、なんでも、どんなものでもいいから」

「はいっ」

 返事は軽やかだった。

 マコトが出て行ったあとで、―彼女はこの件が終わり次第、あの性格をどうにかするよう忠告しておこう。でも今は噂話の収集を頑張ってもらおうか。どうも、あたしがうろうろしたところで、生徒は口をつぐんでしまうからなぁ。

 あと、山森さんの身辺を探ってくれる人を探すか。……ちょっと、新田さんの良心に付け込もうか―

 一華は、携帯で「新田 玲」に電話をかけた。

「明日、Z-16号に来て」


5 北山 玖理子

 時計が7時を指した。かなり外が暗く、行内の外灯のオレンジが闇に浮かんでいる。寒さを増したような冷気が窓の外で待機しているのを感じながら、一華は、今年最初のマフラーだ。と朝してきてよかった。と思いながらマフラーを首にかけた時、戸が叩かれた。一瞬で嫌な顔をしたが、首を振って、

「どうぞ、」

 と短く聞く。

「失礼します……まだ、電気がついていたので、いるかと思って……帰るところでしたか?」

 クリコの姿を見て、なんと身綺麗な恰好なんだ。と感心した。大学生と言っても、つい先日まで女子高生だった彼女たちはどこか無茶な大人の格好を好むものだ。それが歳を重ね、二十歳を過ぎたころにやっと就職という目の前の難問に当たって容姿を変えていく。先ほどまでいたマコトたちのように。だが、病気で数年で遅れたからなのか? 年を取っているからなのか、落ち着いた大人な印象を受ける。確かにこの印象は会社の人事部や、企業推薦をする進路指導部の教師には受けがいいだろうが、一華にはあざとく映ってしようがなかった。

 とはいえ、クリコがそれを狙っているとも限らないし、ただただ、おとなしいものが好きなだけかもしれない。正直認識したのはあの調書の席でだけなのだから。

「大丈夫よ」

 一華はそう言って、申し訳なさそうに顔を出した北山 玖理子クリコを中に入れた。

「どうかした?」

「……あれから、考えていたんですけど、」

 クリコは少しうるんだ目で一華の方を見て、かなり目力を込めて、

「やっぱり、山森さんは自殺なんかしないと思うんです」

 と言い切った。

「絶対、殺されたんです」

「……断言的だね。なぜ?」

「好きな人ができたって、喜んでいたんですよ。ストーカーから逃げて、やっと幸せになれるって。その彼のこと、本当に好きらしくって、」

「相手のことを知ってるの?」

「え? あ、いいえ。聞いてもまだ内緒だって言われました。

 でも、今日も会って、目も合ったの。嬉しすぎるって言ってました。だから、そんな気持ちなのに、自殺なんてしようがないです」

「でも、現場で争った形跡は無かったらしいわよ」

 一華は。争った形跡はおろか、どんな現場だったのかなど詳しくは知らない。知っているのは、人気のないビルの上から飛び降りたことだけだ。

「それは、例えば、担いでそこまで連れていかれたとか、コンクリートの上だと足跡とか解らないでしょうし、」

「なるほど、確かに。担げば足跡があっても一個しかないか」

「そうですよ」

「だけど、二足あれば、誰かが居たことになるね」

「そうですよ。どうなんですか? 警察はなんて言ってました?」

「…、いや、知らないよ。……いくら顔見知りだって、捜査内容を教えてくれてちゃ、業務上の守秘義務で罰則か、懲戒処分になるんじゃない? とはいえ、それとなく探ってはいるけど、なかなか、見たでしょ、あの刑事さん。口堅そうな、頑固そうな、」

「ええ。確かに。……じゃぁ、何か言ってきたら教えてください。私としては、彼女は絶対に殺されたんだと思います」

「伝えておく」

 クリコは眼光鋭く頷き、確信したかような顔で出ていった。


「彼女は殺されたのです。か……、殺される理由がなさげな彼女がねぇ……」































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