第八話



 リオスとツクヨが叫んだ。

 次の瞬間。目の前にスーツ姿の権蔵が立っていた。

 一番面食らったのはリオスに不意打ちを食らい横たわっている男だ。突然現れた謎の美形に理解が追い付かない。

「そいつ誘拐犯! エルトを連れて行こうとしてた!」

 問われる前にツクヨが叫ぶ。

「なるほど」

 一言呟くと、男の体が宙に浮く。思いきり殴られたのだと気づいたのは床にもんどりうって先程とは反対側の腹に激痛を感じた時だった。

 呻きながら顔を上げると、自分を殴り飛ばしたであろう男は既に二人の子供の前に戻っている。全く動きが見えなかった。

「エルトの保護者はどうした」

「居なくなったって探してた」

「ならばこの男が知ってるか」

 つかつかと権蔵は男に歩み寄る。男は歯を食い縛った。戦闘の訓練を積んでいる男は相手を見ただけである程度の強さを推し量ることができる。だが、今目の前にいる男からはなにも感じなかった。強いのか弱いのか皆目わからない。少なくとも一撃で相手を沈めるほどの力は感じない。

 得体が知れない権蔵に男は軽くパニックになる。

 権蔵は無表情で男の髪を掴み無理やり上を向かせる。

「二人だ。居場所を言わないならころ……」

 そこまで言って権蔵は言葉を切った。子供の前で殺すとはよろしくない。言い方を変えることにした。

「言わないととにかく、すごく大変なことになるぞ」

 いまいち迫力に欠けるが仕方がない。

 一方、男は訳がわからなかった。この目の前の男は何者で一体どうやってここに来たのか。髪を掴んでいる手には容赦がない。人を詰問することに慣れているのだ。

 ただの保護者であろうはずがない。

 何もかもがわからないこの状況で、一つだけ確かなことがある。自分は誘拐に失敗したのだ。

 スーツ姿の見慣れない大人がウロウロしていても咎められない今日をわざわざ選んだ。エルトを手に入れ、成功したとついさっきまで思っていたのに。とんだ誤算だ。

 男は奥歯に力を入れ噛み締める。

「無駄だ。毒は噛ませない。いいから二人の居場所を吐け」

 男は驚き、再び奥歯に力を入れるが、どういう訳か歯が噛み合わない。すんでのところで止まったまま動かないのだ。

 権蔵は言葉が伝わる空間を閉じる。声は二人の間でしか伝わらない。

「私は人の記憶を覗くことを自分に禁じている。だが、例外を作らないと決めているわけでは無い。何もかもを覗かれたくなければ居場所を吐け。殺してはいないだろう? 今のお前からは血が匂わない」

 それは脳を揺らすような声だった。じくじくと不快な電波が脳を這い小刻みに揺れる不快感が、男に恐怖を植え付けた。全身が震えだし歯の根が合わなくなる。

 これは、人間じゃないと思った。何か触れてはいけない理解の範疇を超えた存在だ。

 じっとりと冷や汗が額に浮かぶ。男は生唾を飲むと、からからに乾いた喉から声を絞り出した。

「屋上だ」

「二人ともか?」

 男は小さく頷く。

 権蔵は握っていた男の頭を乱暴に離すと、額に右手の人差し指を軽く当てる。

「今の事は忘れてもらうぞ」

 小さく指の先が光った瞬間、男は気を失った。

「師匠……」

 心配そうに呟く二人に、権蔵は急いで歩み寄ると力いっぱい抱き寄せた。

「偉かった。よく俺を呼んだな」

 静かに、優しい権蔵の声にリオスとツクヨはこみ上げる涙を我慢できなかった。

「怖かったよー」

「死ぬかと思ったー」

 えぐえぐと声を上げ、大粒の涙を流しながら権蔵にしがみつく。二人を思いきり抱きしめながら権蔵は胸が張り裂ける思いだった。二人の異変に全く気が付かなった。この国は平和だと思い込んでいた自分の落ち度だ。

 助けてほしいときは、全力で名前を呼ぶようにと小さいころから言い含めてある。呼べばどこに居ても何があっても駆けつけてやるが、それは本当にどうしても自分たちの力だけでは解決することができないときだけだと約束した。

 二人が自分の実力を過信するようなことが無くて良かったと思った。正義心に駆られて二人で何とかしようとしてもおかしくない状況だった。そこも含めて、さすが自分の育てた子供達だと心底安堵したと同時に、誇らしく思った。

「ししょう、ぐるしい」

 気がつけば、二人とも権蔵の手から逃れようと藻掻いている。権蔵は慌てて手を緩める。

「すまん。力を入れ過ぎた。大丈夫か?」

「大丈夫」

「ちょっと苦しかっただけ」

 ツクヨとリオスは大きく深呼吸をする。こんなに強く抱きしめられたのは久しぶりだ。我に返ると少し気恥ずかしさを感じてしまう。

「師匠、エルトは?」

「気を失ってるだけだ。眠り薬でもかがされたんだろう。二人ともエルトを見ててくれるか。俺はあの怪しい男を始末してからエルトの保護者を探してくる」

「……始末?」

 二人はその物騒な言葉に顔色が蒼白になる。

 得てしてその言葉の意味することは死だ。相手は子供を誘拐するような悪い奴だが、今まで生きていた人間が死んでしまうのは怖い。二人の考えていることを察した権蔵は慌てて頭を振った。

「違う。殺すという意味じゃない。学校の外に生きたまま捨ててくる」

「そのまま、死ぬのを待つってこと?」

 恐る恐る言ったツクヨの言葉に権蔵はまた頭を振る。

「私を何だと思っている。しばらくして気が付いたら勝手に帰るだろう」

「本当に? また来ない?」

「仕事は失敗したんだ。少なくともしばらくは絶対に来ない」

 ツクヨとリオスは顔を見合わせて、ゆっくりと分かったと頷いた。

 記憶を操作できることは二人には話していない。言う必要を感じなかったし、安易に人の記憶に干渉することは良くないことだと理解できるようになってから、必要とあらば話そうかと思っていため、言葉を少し濁した。

 権蔵は近くの教室にツクヨとリオスとエルトを置き、二人に担任の話の途中だったことを告げて誰も来ないように扉が壁に見えるよう術を掛けて、まず担任の元へ向かった。

 気を失い倒れた不届きものの男は凪子のいる部屋の天井に縫い止めるように張り付けた。万が一上を向いたときのために、姿は見えないようにしてある。

 突然の事に凪子の動きを止めて二人の元へ向かった。応接室に戻ると、凪子は笑顔で権蔵に話しかけている姿のまま固まっている。

 権蔵が先程まで座っていた場所に同じよう腰かけると、凪子は一時停止が再生されるように自然に動き出す。

「リオスをよく理解してくれること、心から感謝します。帰ったら褒めようと思います」

 自然と会話が繋がるように、言おうと思っていたことを伝える。

 つい先程まで目に涙を溜めていたのにすっかり落ち着いた様子の権蔵に、凪子は少し違和感を覚えたものの特に不審には思わなかったが、不意に目に入った時計を見て固まった。

 権蔵と話し始めてまだ五分も経っていないはずなのに、もう二十分ほど針が進んでいる。

 そんなに何を話しただろうか?

 どんなに記憶を探ってもリオスが元気に手を上げたことしか話していない。

 凪子の焦りに気がついた権蔵は、気を反らせようと話を進めた。

「ところで、これからの行事について教えていただけるとか」

「あ、はい! そうです!」

 我に返った凪子は手元に用意した昨年の行事のプリントを並べる。

 一年を通してどのようイベントがあるのか、その時にどのようなものを用意しなければならないのかを簡単に説明する。

 文化祭や音楽祭など、多岐に渡る行事の数々に権蔵は感心する。

 どれも個人ではなかなか経験することが出来ないことばかりだ。なるほど、学校とは便利なものだと、何処の国も取り入れるはずだと納得した。

 子供を集めて勉強させる場所は、自分の国でも運営していたがここまで多彩な行事は行っていなかった。新鮮な驚きだ。

 それから十五分ほど話をして、最後まで時間について首を捻っている凪子に礼をして部屋を出るとすぐに屋上に向かった。

 屋上に出る扉には『関係者以外立ち入り禁止』と大きな文字で書かれたプレートが掲げてあり、カギがかかっていた。

 人差し指で触れて難なく鍵を開けると、辺りを探る。

 二人は屋上から突き出すように建っている、屋上に上がる扉を設置するための突起物の上に手足を縛られて気を失ったままぞんざいに寝転がされていた。眠らされているだけのようで、静かに息をしている。

 権蔵は二人の縄を解くと、胴体に手を回し左右の手に荷物を持つように持ち上げると、瞬間移動で三人の待つ教室まで移動する。

 待ち長かったのかリオスとツクヨは権蔵の姿を見るなり、ホッとした様に笑顔を浮かべた。

「先生、大丈夫だった?」

「多少違和感を感じていたようだが、大丈夫そうだ」

「その人たちは大丈夫?」

「大丈夫だ。殺そうとは思ってなかったようだ」

 目的が誘拐である以上、殺されていてもおかしくないと思っていたが大人二人の死体が見つかれば殺人事件だと騒ぎになるし、一家三人が全て行方不明になっても何か大きな事件に巻き込まれたのではと大騒ぎになる。子供一人が行方不明になるのなら誘拐だと騒ぎになるだろうがそれ以上は無いと踏んでの事だとしたら、かなり綿密に計画をしてエルトを攫いに来たことになる。

 権蔵は両腕に抱えていた男二人を床に置く。二人は男をまじまじと見た後に改めて権蔵を見た。

「何だ?」

「重かった?」

「いや、別に」

 そうなんだ、と心の中で呟いてリオスとツクヨは顔を見合わせる。権蔵と同じかそれ以上の体格の人間を軽々と持ち上げるとは、本当に師匠はあり得ないなと改めて思う。

「さてと、ここで話を聞きたいところだがそうもいくまい。二人ともエルトの家は知ってるか?」

 二人とも頭を振る。家を行き来したことは無いので、場所は全く分からない。

「家まで歩いて十分くらいだって聞いたことはあるよ」

「なら比較的近くだな。どうしたもんかな」

 権蔵は悩む。

 頭の中を覗けば家の場所の特定は早いのだが、一般の人間の頭を緊急でもないのに覗くことは自分に禁じている。欲しい情報を探すためには個人の記憶を探らなければならないからだ。見られたくない記憶まで無理矢理見るのは趣味じゃない。

「やはり起こすしかないか」

 学校に残っている生徒も保護者ももう居ない。だが、誰の目にもつかずに学校から自宅まで帰ることはエルト達三人には無理だろう。あまり長居をして何していたのかと問われることは避けたい。

 エルトだけを起こして家を聞こうかと思ったが、いくら子供とは言え誘拐されかけたばかりの訳の分からない状況で素直に家を教えるわけが無いな、と思い直す。

 権蔵の家に連れて行ってもいいのだが、目が覚めて見知らぬ場所に居たらそれこそ拉致され連れ去られたと勘違いされる事だろう。

 権蔵はエルトを二人の男の間に寝かせる。エルトが手の届くところに居れば正気に戻るのも早いだろうと考えた。

 とにかく、この三人の正体が知りたい。

 リオスとツクヨが巻き込まれた以上、看過できる問題ではない。

 力を込めた声で目覚めろ、と告げた。三人とも声を聞いた瞬間に目を覚ました。

 数秒身じろぎしたあと飛び起きたのは男二人だった。辺りを見回し自分の居場所を素早く確認したあと、目の前に腕を組んで仁王立ちしている権蔵に気づき表情を硬くする。

「誰だ!?」

「リオスとツクヨの保護者だ」

 切羽詰まった声で勢いよく問われ、権蔵は堂々とそう告げた。

 言われて初めて、二人は権蔵の隣で教室の椅子に座っているリオスとツクヨに気付いた。よく見れば確かに、初日に遠くから見た転校生の保護者だ。二人は幾らか肩の力を抜いた。少なくとも身元不明の人間ではないことに安心した。

 そしてすぐに、二人の間に目をしょしょぼさせながら、自分の置かれた状況が分からずに呆けているエルトに気づく。

「エルト!!」

「よかった!!」

 ほぼ同時に叫ぶと、力の限りエルトを抱きしめる。

「ちょ……痛い……っ」

 その様は、まさに先程の自分達と同じ状況で権蔵はなんだかむず痒くなる。先程の自分もこんなに必死に見えただろうか。なんとなく恥ずかしい。

 感動の再会を果たしているところに邪魔を入れるのは気が引けるが、落ち着くのを待っている暇はない。夕御飯の準備も済んでいないのだ。

「邪魔をして悪いが、質問に答えてもらうぞ。その前にまずは、お前たち三人を助けたのはこのリオスとツクヨだ。感謝しろ」

 二人の男はリオスとツクヨに視線を移す。視線を受け、二人は慌てて首を振った。

「違う違う! 助けたのは師匠だよ! 僕たちは結局助けを求めることしかできなかったから」

「そうだよ。助けたのは師匠だよ」

「最終的に助けたのは私だが、最初に拐われそうな二人を発見し、助けたのはリオスとツクヨだ」

「確かに発見したのは僕たちだけど」

 困ったようにリオスとツクヨは顔を見合わせる。結局何もできなかったのだから、感謝されるようなことは何もない。逆に情けなさを感じているくらいだ。

 二人が揃っていながら、助けを求める以外の選択肢がなかった。

「有難うございます。お二人とも」

 リオスから手を離し、二人はリオスとツクヨに向かって深々と床に手をついて礼を告げた。ギョッとしてリオスとツクヨは思わず体を引いた。

「や、やめて! 本当に助けたのは師匠だから!」

「そうだよ! 僕たちも結局師匠に助けてもらったから!」

 言葉を受けて、今度は権蔵に向かって頭を下げた。

「何とお礼を言っていいのかわかりません。本当にありがとうございます」

「私に礼はいらん」

 本心から礼を言っている二人に、権蔵は冷たく言い放った。

「私はなぜ誘拐などという物騒な騒動に巻き込まれたのかが知りたい。心当たりがあるのなら是非とも聞かせていただきたい」

「それは……」

 頭を下げたまま口ごもる。それは、誘拐されるに値する心当たりがあると言っているようなものだった。

 ただの身代金目的や人身売買目的の突発的なものでは無く、エルトを狙ってわざわざ学校までやって来たのだ。それだけの価値をエルトが持っていることになる。

「今回は何も無かったが、ツクヨとリオスは顔を見られている。誘拐に来た何者かに再度狙われる可能性がある。私には知る権利が十分にあると思うがな」

 記憶を消したのでその心配は無いのだが、交渉の為にそういうことにしておく。

「それは……申し訳ないと本当に思っている。だが、言うわけにはいかない」

「では、私の子供たちがそちらの巻き添えで危ない目に合っても仕方がない目をつぶれという事か。そんなバカな話がまさか通じるとは思ってはいないだろう?」

 淡々とした権蔵の言葉に、二人は苦しそうに顔を歪ませたが口を割る気は無いようだった。よっぽど知られたくない何かがあるらしい。

 権蔵は冷たい目で二人を見下した。

「それなら今度また誘拐されそうになった場に居合わせた時は、助けずにそのまま放っておくという事でいいんだな」

「それは困ります!」

 二人同時にとっさに叫び、その言葉のあまりの勝手さにすぐに気まずそうな顔になる。

「あまりにも勝手な言い分だな?」

「それは重々。ですが私たちがここで真実を話せば、更にあなた達を危険な目に合わせるかもしれないのです」

「知るだけで危険な目に合う程とは、一体何者なんだ」

 二人はまた沈黙を繰り返す。

「僕は、とある国の要人です」

「エルト!」

 二人の後ろからエルトが口を開いた。とっさに咎めるように名前を呼んだが、エルトは言葉を続けた。

「僕に生きていてもらっては困る人が居ます。恐らくその人に狙われました。ここもバレてしまったようですので、僕たちは近々この国を去ります。なので、もう危険な目に合うことは無いでしょう」

 子供とは思えない落ち着いた様子で語ると、エルトはリオスとツクヨに向き直った。

「助けてもらって本当にありがとう。そして本当にごめんなさい。危険な目に合わせて」

 エルトは深々と頭を下げた。その背中に何か重いものを背負っているのを権蔵は感じ取った。まだ子供なのにと哀れに思う反面、責任と立場への自覚を持っているエルトに関心もした。本人の気質もさることながら、周りの人にも恵まれたのだろうと思った。

 頭も、処世術も、教われば誰でも身につけることができる。だが、心の有所はどんなに優秀な教師がつこうが上っ面を撫でるだけの勉強で身につくはずが無い。

 少し、興味が湧いた。

「校長は知っているんだな」

「え!?」

 突然の言葉に三人は驚いた様な顔を浮かべる。

「何でそれを?」

「かまをかけただけだ。どうやら引っかかってくれたようだ」

 三人は顔色を変える。動揺している最中とはいえ、見事に三人一緒に引っかかってしまった。それは権蔵のカンだった。特段、学校にも校長にも怪しいところは無かった。

 だが、子供一人にどう見ても親ではない男二人の家庭に学校が全くの無関心でいられるだろうか。本当の事を話しているか嘘の設定で押し通しているのか権蔵は五分五分だと思っていた。

 校長も知っていて学校に通わせているとなれば、隠されている事情は道理に悖るような事柄ではないだろう。

「もし本当の事を話すなら、協力してやらんでもない」

「協力?」

「奇しくも証明してしまったわけだが、リオスとツクヨは強い。そして私は更に強い。普通の生活を送る手助けをしてやらんでもない」

 なぜちょっと上から目線なのか腑に落ちなかったが、エルトの心は揺れた。

 この水地の国での生活はとても楽しかった。親切な人々、争いのない世界、貧困も少なく犯罪率も低い。学校から一人で帰っても誘拐される確率は極めて低く道でこければ通りすがりの人が心配して手を貸してくれる。

 この、得難い国は居心地が良く柳士も翠虎も顔つきがとても優しく柔和になった。以前は絶対に出来なかった手を繋いで歩くなどの甘えた仕草も、まったくとため息をつきながらもしてくれるようになった。

 この生活が永遠に続くなどとは思っていない。けれど手放したくないと心から思っていた。

「いけません、エルト様!」

 翠虎の鋭い声にエルトはハッとする。久しぶりに敬称付きで名前を呼ばれ無理やり現実に引き戻された気分だった。己の立場を考えろと暗に言われている。

「い、言えませ」

「お前たちは!」

 権蔵は柳士と翠虎に向かって声を張り上げた。順番に人差し指を突き付ける。

「お前たちは、エルトの望みを叶えるつもりは無いのか。顔を見れば分かるだろう。エルトはこの土地を離れたくないと思っている。その願いを叶える気はないのか。何を一番に考えている」

「お前に言われる筋合いはない!」

 柳士が怒気もあらわに声を荒げる。

「誰よりもエルトの事を考えているのは俺たちだ。何処の者とも知れない怪しい人間に真実を話すなど、危ないことをするわけがないだろう!」

「怪しい? 誰の事だ」

「師匠の事だよ」

「今の話の流れじゃ師匠以外いないでしょ」

 すかさずリオスとツクヨが口を添える。権蔵は思いもかけない言葉に目を剥いて人差し指で柳士を指した。

「私のどこが怪しいというんだ! どう見ても頼れる能力のある見目麗しい大人だろうが!」

「……え?」

 思いがけない反論にどう返していいのか分からず柳士は言葉につまる。

「私が怪しく見えるのはお前たちに人を見る目が無いからだ。自分の能力の無さを人のせいにするのは辞めてもらおうか!」

 エルト達三人は思わず助けを求めてリオスとツクヨを見る。子供に助けを求めるのはどうかと思うが、他に方法がなかった。

 すかさずリオスが口を開いた。

「いや、師匠は自分が凄いって思ってるだけだから気にしないで」

「実際に凄いんだけど、言うだけの実力は持ってるんだけど、ちょっとずれてるだけだから。大丈夫信用できるよ」

「お前たち、私を馬鹿にしているのか……?」

「してないよ。褒めてる」

「うん、すごく褒めてる」

「なら良い。さあ、どうする」

「どうするって……」

 柳士は言葉に詰まる。翠虎と目を合わせるが、翠虎も戸惑ったまま言葉を発せなかった。

 今の会話から分かったことは、権蔵が自分に自信を持っているという事だけだ。なんの判断材料にもならない。

「もちろん、私たち三人は誰にも他言しない。そのことはここに誓おう」

「ありがとうございます……?」

 礼を言うべきか言わないべきかもわからなくなり、お礼の言葉が疑問形になってしまった。それからしばらく無言の時間が過ぎ、エルトはとにかく今の空間を脱出しなければと思った。

「あの、時間をいただけますか。三人で話し合って決めたいと思います」

 少し考え、権蔵は首を縦に振った。

「最もだ。考え無しに決めるのは確かによくない」

 権蔵は快諾してくれた。

 それからエルトは柳士と翠虎に手を繋がれ帰路に就いた。

 教室から出るときに、後ろから権蔵が声を掛けた。

「このまま、何も言わずに消えるのだけは勘弁してもらうぞ。リオスとツクヨが悲しむからな」

 振り返ると、ツクヨとリオスが笑顔で手を振っていた。

「また明日ね」

「絶対だよ。さよならも無しは絶対にダメだよ」

 二人の言葉が嬉しくてじわりと涙を浮かべているエルトに権蔵が追い打ちをかけた。

「もし何も言わずにいなくなったら、地獄の底まで追いかけるからな。リオスとツクヨを悲しませる罪は重い」

 低い声に背中をゾッとしたものが這うのが分かった。権蔵は本気だ。

「師匠! 脅してどうすんのやめてよねっ」

「そうだよ! エルトが可哀そうだろ。師匠本気だしっ」

 エルトとリオスに詰め寄られ、たじたじの権蔵を傍目に三人は教室を出た。

「子煩悩なのは間違いないんだろうが、訳が分からん人だな」

 疲れたような声で呟く柳士に、エルトと翠虎は大きく頷いた。



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ひとりとふたり @nanakusakou

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