第六話

 それから三か月、何事もなく日々は過ぎていった。

 ツクヨもリオスも学校に難なくとけ込み、毎日楽しそうだ。権蔵は花屋の仕事を続けていた。二人の予想とは違い、きちんと接客もこなしたし、権蔵の整ったの顔立ちに魅了された女の客が増えた。中でもちょくちょく一輪だけ花を買いに来る客が増えたらしい。

「私の魅力にかかればこんなものだ」

 と、権蔵は当然のように言い放った。変わったことと言えば家の中に花が増えたことだ。枯れかけの商品にならない花を貰ってきては、限界まで飾っていた。

「まさか師匠に花を飾る趣味ができるなんて」

「植物は食えるか食えないかでしか判断しない人だったのにね」

 リオスとツクヨは人は環境によって思いがけない変わり方をするのだということを学んだ。

 ある日、二人は学校から帰るなり夕飯の支度をしている権蔵に走り寄ってきた。

「ねえねえ師匠。今度学校に来てよ」

「なんだ。藪から棒に」

「これ」

 手で握りしめたためぐしゃぐしゃになったプリントをリオスは差し出す。

「リオス。いつも言っているだろう。お知らせの載っている紙を握りしめるんじゃない。なんの為に鞄があるんだ。ちゃんと中にしまって丁寧に出しなさい」

「わかったから読んで!」

 リオスは興奮冷めやらぬ様子で皺だらけのプリントを押し付けるように権蔵に渡す。まったく、とため息をつきながらプリントに目を通すと、見出しは授業参観のお知らせと記されていた。

 どうやら授業の様子を見ることのできる日があるらしい。

「これは、面白い企画だな」

 保護者が見たところで、子供は授業に集中できないだけのような気もするが、普段どのような様子で授業を受けているのかを見られるのは興味をそそる。

「ねえねえ! 来るでしょ!」

 目を輝かせてリオスは権蔵に詰め寄る。横に居るツクヨも期待する様子でそわそわとしながらチラチラと権蔵を見上げている。なぜそんなに来て欲しいのかサッパリわからないが、ものすごく来てほしそうなのは解る。

 期待に応えない理由は無い。権蔵は大きく頷いた。

「わかった。参加しよう」

「やったー!!」

 リオスは両手を上げて喜んだ。ツクヨもパッと笑顔を浮かべる。

「但し、皆の前でみっともないことをしようものなら帰ってきてから徹夜で説教だからな」

 舞い上がりそうな二人に釘を刺すと二人は突然げっそりした表情になる。

「えー何それ。緊張して言い間違えるとかは許してくれるよね」

「ペンを落とすくらいは見逃して欲しい」

 怒られるのを防ぐため、やりそうな失敗をあらかじめ宣言しておく。

「そんなに細々と怒るつもりはないが、失敗を前提にするのはいただけない」

「はーい」

 二人はバツが悪そうに視線を逸らす。言いたいことはわかるが、防衛線くらい張らせて欲しい。だが、言質は取った。これで少しは気楽になるというものだ。

 だが、とツクヨはリオスを盗み見る。

 自分はともかくとして、張り切り過ぎたリオスが何かやらかしはしないかと心配で仕方がない。この三か月、特に大変な出来事はなかったが、リオスはとにかく直情人間なのでやることの予想がつかない。僕がしっかりしなくては、とツクヨは改めて気合を入れた。



「授業参観? それは楽しみですね」

「そうなのか?」

 首を傾げた権蔵に杏子は戸惑う。

「楽しみじゃないですか?」

「楽しい楽しくないで考えてなかったな。二人が来てほしそうだったから行くと言った」

「じゃあ双子ちゃんがすごく楽しみにしてるんですね」

「そのようだ」

 杏子は微笑む。

 なかなか個性が豊か過ぎて最初はどうなるかと思ったが、仕事を覚えるのは早いし、歯に衣着せぬ言い方も含みが全く無く嫌味でもないのがわかるため評判も悪くない。見立ても趣味が良く本採用を決めるのに迷いはなかった。

 何より美しい壁画がそのまま魂を宿したかのような端麗な容姿が、今まで花屋に用のなかった人間を引き付けていた。

 権蔵目当てにたいして興味も無いのに花を買いに来る人間まで居るほどだ。権蔵もその辺は見極めているようで、花を大事にしなさそうな人間には色々と言い回しを変え過剰に売ることはしない。そこがまたクールだと謎の人気を博している。

 しかも双子のお父さんと来ている。その事実がなんとなく話しかけ辛いと思ってしまう整い過ぎた容姿を気にせずに、気軽に話しかける助けになっている。

 いい人を雇うことができたと、杏子は心の底から嬉しかった。

「あのー」

 花を店頭に並べていると、後ろからかわいらしい子供の声が聞こえた。

 振り返るとさらさらの黒髪を肩まで下ろした赤いワンピースの活発そうな女の子と、猫のようなくりくりの目が印象的なグレーのパーカーにジーンズを着たショートカットの男の子が立っていた。

「あら、どうしたの?」

 腰を下ろして目線を合わせる。

「稲咲権蔵はいますか?」

「いるけど、あなたたちは?」

 問いかけると二人ともはっとしたような顔をして、慌てて同時に頭を下げた。

「すみません、稲咲の所のリオスとツクヨです」

「え、あら!稲咲さんのところの!」

 驚いて声を上げ杏子はまじまじと二人をみる。双子だと聞いていたがあまり似ていない。二卵性なのかもしれない。二人で並んでいるところを見るととても仲が良さそうだ。

「ちょっと待っててね」

「はい」

 二人を待たせて店の中に戻ると、後三十分で仕事が終わる権蔵は最後の掃除をしていた。

「稲咲さん」

「はい?」

 杏子はニヤニヤしてしまう口許をどうにか引き締めながら店の外を指差す。

 愛想笑いの笑顔しか見せない権蔵が、あの二人のお父さんをしているところを想像すると微笑ましすぎて悶えそうだ。子供の前では優しくにっこり笑ったりするのだろうか。

「子供さんが二人とも会いに来てますよ」

「……え!?」

 権蔵は驚いたように目を見開いて持っていたホウキを近くの壁に立て掛けると、すみませんと一言おいて杏子の横を通りすぎる。

 小走りに店の先に出ると二人を見つけてどうした!と勢い込んで尋ねた。

 あまりの勢いに二人は目をしばたかせる。

「師匠がもうすぐ仕事終わりだろうから、待ってて一緒に帰ろうと思って……」

 リオスは焦って早口になってしまった。別に悪いことをしているわけではないのに言い訳をしているかのような勢いになってしまい、リオスは冷や汗をかく。

「あ、そ、そうか」

 そう言って権蔵は少し顔が赤くなるのを感じ、右手で口許を隠すように覆う。

「あと三十分くらいある。店先で待たせてもらえるか聞いてくるから待ちなさい」

「わかった」

 勢いよく店の中に戻っていく権蔵を見てリオスとツクヨは顔を見合わせた。

「めっちゃ焦って出てきたね」

「完全に何かあって来たと思ってたよな」

「悪いことしたかなぁ」

 二人はしょんぼりと肩を落とす。ただ、一緒に帰りたかっただけなのだが、余計な心配をかけてしまったようだ。

 いつも自信満々で厚顔不遜で怖いものなど何もないような態度の権蔵だが、思いがけず心配性な所がある。

 不意に出す不安そうな顔が、ツクヨとリオスはとても苦手だ。ものすごく悪いことをしているような気分になる。このバカどもが、と勢いよく叱られた方がまだマシだ。

 肩を落として待っていると、杏子が奥から楽しそうに椅子を二脚持ってきてくれた。

「もうすぐお仕事終わるから、これに座って少し待っててね」

「有難うございます」

 二人揃って深く頭を下げた。杏子はビックリして一瞬動作が止まったが、すぐに笑顔を浮かべる。

「そんなにかしこまらないでくれると嬉しいわ。二人に会えてとても嬉しいから。お菓子をどうぞ。大丈夫。許可は取ってるから。食べて待っててね」

 二人は顔を見合わせて、杏子の手に二つ乗っているどら焼きを一個ずつ手に取るとはにかみながらお礼を言った。

 優しく微笑みながらお菓子をくれる杏子に母親のような印象を持ち、少し照れ臭く感じてしまったのだ。

 杏子は二人がお菓子を受けとると名残惜しそうに店の中へ戻っていった。

「優しそうな人だね」

 リオスは頷く。

「師匠をクビにはしなさそうで安心だね」

 リオスの言葉に今度はツクヨが頷く。

 水地の国で生活をするようになってから、二人は権蔵が普通ではないことを沁々と感じていた。それは普通の人は持ち得ていない人知を超えた力もさることながら、その性格だ。

 師匠ほど自信満々で自分が一番優れていると思っている大人は、誰も居なかった。

 ほとんどの大人は謙虚で、なにか一つ得意なことがあっても権蔵のように何でもできるわけではない。

 権蔵の存在はとても異質で特別なんだと二人は何となく理解し始めていた。そうなると今度は余計な心配が頭に浮かぶ。

 普通ではない権蔵は何かをしでかすのではないか。

 子供心に気が気ではない。

 良心にもとることは流石にしないだろうが、非常識なことはするかもしれない。

 そんな時は権蔵の子供である自分達がどうにかフォローしなければと、二人はこっそりと話し合っていた。

「なにこれうま!!!」

 一口食べた瞬間にリオスが叫ぶ。

「ただのどら焼きだろ。そんなに?」

「食べてみてよ!」

 興奮ぎみにリオスはツクヨのどら焼きを指す。どら焼きを食べたのは初めてではない。どんな味なのかは知っている。

 リオスが大げさに言っているのではないかと疑いながら一口食べたツクヨは、うまっ、と声を上げた。

 生地はしっとりとしていて、中のあんこは甘すぎず、ぎっしりと詰まっているのに味に重さを感じない。とにかく美味しい。

「同じお菓子でこんなに味が違うなんて……」

「きっと高級品だよ」

 リオスはがつがつと食いつき、あっという間に完食してしまった後、半分残っているツクヨのどら焼きをハイエナのような目で見つめている。

「あげないよ!!!」

 叫びながら慌てて残りを完食する。

 二人は美味しいお菓子に満足したまま、権蔵の仕事が終わるのを大人しく待った。帰り際にお菓子を貰ったことに再度礼を言い、権蔵の左右に立ちそれぞれ手を繋いで帰路についた。

「でね、でね、すっごい美味しかったんだよ! 師匠も食べた!?」

「ああ、食べた。あれは美味だったな。菓子も奥が深いと思った」

「だよね師匠。同じどら焼きでもあんなに味が違うなんて僕は驚いたよ」

「因みにあんこの中に木の実が入ったどら焼きもあるそうだぞ」

「えー食べたい!!!」

 二人同時に叫ぶ。権蔵は目を輝かせている二人に笑顔を浮かべた。

「では、授業参観が無事に終わったら買いに行くか。場所は聞いている」

「絶対だよ、約束だよ!」

「僕、二個食べたい!」

「じゃあ、私は三個!」

「そんなの無理だよ」

「無理じゃないもん!」

「わかったから二人とも静かにしろ。声が大きい」

「はーい」

 二人は分かっているのかいないのか、元気に返事をした後またどら焼きの話に戻り権蔵は苦笑した。よっぽど美味しかったらしい。

 この水地の国は食にこだわる国民性らしく、菓子だけでもかなりの種類を売っているし、伝統料理やらアレンジ料理やらこだわり出したらキリがない。水が近い国のせいなのか、温暖な気候のせいなのか解からないが、このままではリオスとツクヨの舌が無駄に肥えそうなことだけが今のところの悩みだ。





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