第五話
放課後、二人はエルトから明日の授業は体育があるから、体操着を忘れないようにねと教えてもらった。
「エルト、明日の体育って何するの!? 鬼ごっことか走る競争とか?」
「今回はマット運動だと思うよ」
「えー何それっ聞いたことない! どうするの!」
「初めてならその時まで楽しみにしてたらいいんじゃない」
「なるほど。わかった!」
リオスは素直に頷く。
「やるね、エルト」
「何が?」
ツクヨが横から悔しそうにつぶやく。リオスの性格を逆手に取った見事な返しだ。普通なら一から十まで説明させられた挙句やって見せてくれとせがまれる羽目になる。まさか一日でリオスの扱いを覚えるとはただものではない。
穴が開きそうなほど見つめられてエルトはたじろぐ。ツクヨは見た目も雰囲気もゆったりとして大人しそうなのに、時折油断ならないと思わせる何かがある。本人には特に自覚がなさそうなのも得体が知れなくて嫌だ。
「ねーエルト。今日も迎えが来てるの?」
「え?」
エルトは首をひねる。
柳士と翠虎は確かに毎日迎えに来ている。だが学校の生徒にそのことが知れ渡るととんでもない過保護な保護者のもとで生活していると噂が立ち無駄に目立ってしまう可能性があるため、いつも人目につかないところで合流し、二人の仕事帰りにたまたま一緒になったかのように装っていた。現に今まで目撃された人にはそう思われている。
「迎えには来てないよ。仕事帰りの二人にたまたま会って一緒に帰ることはあるけど」
「え、そうなの? でも昨日二人とも帰り道の角を曲がったところで待ってたから、てっきり迎えに来たのかと思った」
ピリッと、体に電流が走った。
見られていないはずなのに、どこで待っていたかまで知られている。
「もし今日も居たら挨拶させてもらおうと思ってたんだ。師匠がクラスの人の保護者に会ったらちゃんと挨拶しなさいって言ってたから」
リオスは無邪気な笑顔を浮かべる。
エルトは必死に平静を装う。リオスはまだ自分と同じ子供だ。悪意などあるはずもない。何より下心があるなら黙っているはずだ。
「エルト? どうしたの?」
突然黙り込んだエルトをリオスは心配そうにのぞき込む。ハッとしてエルトは視線を上げる。
返す言葉を探していると、横からツクヨがリオスを制するように手を出した。
「リオス。挨拶はきっとその内機会があるよ。ごめんねエルト、突然そんなこと言われても困るよね」
「え、うん。いや、気にしないで。二人は今度紹介するから」
「本当? 私もエルトに師匠を紹介するね」
「いや、僕は初日に校長室で会ってるよ」
「あ、そっか」
リオスはえへへと笑う。
「じゃあ、また明日。帰るよリオス」
「うん。またねー」
リオスとツクヨは連れ立って帰っていった。その姿を見送ってエルトは大きく息をついた。今になって冷や汗が出てくる。
ここ数年、何事もなく平和に幸せに生活してきた。気を張る事なんてなかった。
「平和ボケって、言うのかな」
日常を手に入れたと、思っていたのに。
「昨日の、絶対迎えに来てたよね」
校門を出てから、リオスは気落ちした様子でそう言った。
「そうだね。でも気配を消してたし人目につかないようにしてた。だめだよ、そういう隠してるものを暴くようなことを言ったら」
「でもさ、何か理由があるなら知りたいなと思って」
「出会ってまだ何日も経ってないのに、秘密を教えてくれるわけないだろ。リオスだってまだエルトに言えないことがあるだろ?」
ぐっと、リオスは言葉に詰まる。
今まで権蔵とツクヨと三人で生活する中に秘密というものは存在しなかった。いや、権蔵のすべてを知っているかと言ったらそれは否としか言いようがないが、それでも隠し事をされていると思った事は無かった。
それが一歩外に出た瞬間から、言えないことが増え言ってもらえないことも増えた。なんとなくリオスにはそれが悲しかった。
別に言わないからといって関係は何も変わらないのだが、相手との間に一つ壁ができているような気がするのだ。
せっかく生まれて始めて出来た一人目の友達なのに。
「もっと仲良くなったら、隠し事しなくても良くなる?」
「それは判らないよ。僕だって友達作ったの初めてだし」
「そうだった。二人とも初心者だった」
リオスはさらに肩を落とす。
あまりにも元気のないリオスの姿に何か元気づける言葉をかけたいが、ツクヨもリオスと同じ経験しかない。なんと言葉をかけていいかわからない。
「師匠に聞いてみる? 友達と仲良くなる方法」
「勘だけど、師匠には友達いない気がする」
「……僕もそんな気がする」
二人は顔を見合わせて笑った。
そして仕方ないとばかりに、お互いに肩を叩きあった。
家に帰ると、権蔵が夕食の準備の最中だった。
「二人とも、洗濯物は出しておけよ。宿題があるなら今のうちに済ませなさい」
「はーい。ねえ師匠」
「なんだ」
リオスは少し迷った後、思い切って聞いてみた。
「友達って、いる?」
「友達? そんなものは居ない」
「……わかった」
予想通りだった。しかも即答だった。
ツクヨが笑いを堪えている。
「なんだ。どうした」
「なんでもない。ねえ師匠。エルトって覚えてる?」
「エルト? 初日にお前たちを迎えに来てくれた子供か」
「そうそう、最近ねー仲良くなったよ」
「そうか。気が合うのか?」
「わかんないけど、色々面倒見てくれる」
リオスが料理中の権蔵の手元を見ながら返事をする。名前のわからない緑色の野菜が綺麗に千切りされていた。
「それはいい子供だな。ちゃんと礼を言ってるか?」
「うん。凄くお世話になってるからエルトの保護者の人にも挨拶させてって言ってきた」
「何!? 大丈夫なのか。くれぐれも勝負を挑んだりするなよ」
「もう師匠! 私を何だと思ってんの!」
頬を膨らませたリオスに軽く叩かれ権蔵は笑う。
「でも師匠。リオスは今日むかつく相手をあしらうのに鉛筆三本折ったよ」
「何で?」
「あ! ツクヨ言わないでよ!」
「だって、折った鉛筆の事をなんて説明するつもりだったんだよ」
「転んだって言おうかなって」
「無理があるだろ」
「二人ともちゃんと話せ。なんで鉛筆を折る羽目になったんだ」
リオスは渋々その日の出来事を話した。
権蔵は話を聞きしばらく考えた後、料理の手を止めてリオスの頭を撫でた。
「物を壊したのは褒められたことではないが、手を出さなかったのはまあいいんじゃないか」
「え、本当!?」
「ただし、鉛筆代は小遣いから引いておく」
「えええええええええええええええええええ」
リオスの叫び声が台所に響く。権蔵は涼しい顔で料理の続きを開始する。
「自分で折ったのだから当然だ。次にからかわれたときはどうするかもちゃんと考えておくんだぞ」
「え、私またからかわれるの……」
「可能性はある」
「ツクヨぉぉぉぉ」
「そんな情けない声出したって、僕が居ないときに話しかけられる可能性もあるんだから助けられない事もあるよ」
「じゃあどうすればいいか一緒に考えてよ」
「ええ? 予想がつかないからわかんないよ」
そんなこと言わないでよと詰め寄るリオスにツクヨは困り果てている。その様子を権蔵は微笑ましく思う。二人はとてもいいコンビに育っている。自分の子育ての才能が恐ろしい。こんないい子を育ててしまうなんて流石私だ、と心の中で自分を褒め称えた。
「そうだ、二人とも。私は花屋で仕事をすることになった。短い時間だから大丈夫だと思うが、昼間は家に居ない場合もあるから何かあったら職場まで来るように」
「花屋!!」
二人は声を揃えて叫んだ。
似合わない。いや、顔には似合うが性格には程遠い職業に思えた。
「なんだ。そんなに驚くことか?」
「いや、なんていうか」
「頑張ってね、師匠……」
「どういう意味だ」
なんでもない、と二人は権蔵に背を向ける。権蔵は少し首を傾げただけですぐに料理の続きに取りかかる。
リオスとツクヨは権蔵から死角になる部屋の隅に立つと声を潜めた。
「ねえ、師匠に花が売れると思う?」
「笑顔でこちらの花がお似合いですとか言うのかな」
「笑顔とか無理でしょ。真顔でこれを買えとか言うんじゃない」
「師匠の顔が好きな女の人にしか売れないよね」
「なんなら自分より顔が良くない人にお前に花は似つかわしくないとか言っちゃうかも」
「すぐクビになっちゃうよ。どうやって励ませばいいんだろう」
「お前たち」
地獄の底から響くような低い声が背後から聞こえ、二人は心臓が止まるかというほどびっくりして固まった。恐ろしくて振り返ることができない。
「要らぬ心配をしてないで宿題をしろ!」
「はいいいいいいい」
二人は大きな声で返事をすると、転がるように逃げて行った。
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